深海に堆積してできた地層

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この時代は、前の時代よりさらに海に広く覆われていた。日本海が誕生後に急激に深くなった時期で、日本はすでに火山を伴った複数の島列にはなっていたが、現在の本州などのように広い陸域とはなっていない。島列の間には、南北に近い方向の深い海が何列もできており、現在の島々の輪郭とはかなり異なる様相を呈していた。このころ、もちろん奥羽山脈はまだ山地の形態をなしておらず、むしろ海域の中でも南北に延びた深い谷状の深海をなしていた。
 弘前市を含めた青森県の大部分もこの海に覆われており、深い海底には泥が厚く堆積していた。こうしてできた地層は弘前付近では栩内(とちない)川層または大和沢(おおわさわ)層と呼ばれていて、大和沢付近の丘陵から久渡寺山(くどじやま)のふもとにかけて分布している。小栗山(こぐりやま)神社付近の丘陵は、ほとんどこの硬い泥岩(硬質泥岩)からできており(写真57~59)、久渡寺山のふもとでみられる白っぽくみえる硬い泥岩も同じである。しかし、弘前市付近では近くに火山が存在したようで、しばしば火山灰が運ばれて海底に積もった。そのために硬質泥岩の間には凝灰岩が挟まれている。その当時の地層を詳しくみてみよう。
 小栗山や松木平(まつきたい)付近のりんご園の中を歩くと、園地を造成したときにできた崖があちこちにみられる(写真43・57~59)。例えば松木平付近の牛沢(うしさわ)川の流域でみられる露頭から松木平層の様子を観察してみよう。松木平層を構成する地層は、南に向かって傾斜している(写真57)。近づいてみると、泥岩層にみえるこの堆積岩は、粒子のサイズによる分類では極細粒砂岩からシルト岩と呼ぶべきもので、しかも凝灰岩質である。したがって、ここでは凝灰質シルト岩と呼ぶことにする。その表面は風化を受けて白っぽくボロボロとした状態になっており(写真58・59)、比較的新鮮な内部は暗い灰色をしている。泥岩の中に挟まれている凝灰岩は、粘土化したために少し粘着性があり、ハンマーでたたいても砕けにくい。表面は乾燥してサラサラに風化している。凝灰質シルト岩に混じって、より硬い地層が挟まれているのをみつけることもできる。その部分は硬質(または珪質(けいしつ))泥岩といって、珪酸(けいさん)分をより多く含んでいるために硬くなったもので、場所によっては硬質泥岩が厚い地層をなしていることがある。硬質泥岩はハンマーでたたくと、陶器をたたいた時のような軽く高い音がする。シルト岩や硬質泥岩にはすぐそれとわかるような化石はみつからないが、注意してみると、灰緑色の濃淡を呈する、墨流しでできたようなもやもやした模様(生物擾乱)や、濃い斑状の点々(底生生物のふんなどの跡)を認めることができる。また目がなれてくると、つまようじぐらいの太さの、真っ白いパイプ状の海綿化石、マキヤマ(写真46)をみつけることもできる。

写真57 上部中新統松木平層地層。成層した泥岩からなり,凝灰岩を挟む左側に傾斜している。(松木平付近)


写真58 松木平層泥岩層が風化を受けて崩れやすくなっている様子。


写真59 松木平層泥岩が風化して表面から剥離し,小さな破片が集積している様子。

 この時期の堆積物は、堂ヶ平(どうがたい)山から尾開山のふもとにも広く分布している。堂ヶ平山の桂清水(かつらしみず)に向かう途中の路傍の露頭には、硬質泥岩の他に緑色を帯びた凝灰岩や火山凝灰岩(ラピリタフ)がよくみられる。桂清水を過ぎた大沢川の谷頭に近い林道では、硬質頁岩に近い泥岩地層が露出しており、風化を受けて白っぽくみえる。近づいてよくみると、茶色の同心円状や渦巻き状の細かな縞模様がみえる(写真60)。この縞模様は、例えば泥岩層が風化を受ける過程で、節理などの亀裂に沿ってしみこんだ地下水や雨水などにより、その中に溶け込んでいた鉄分がすきまに周期的に沈殿してできたもので、リーゼガングの輪と呼ばれている。この付近では泥岩凝灰岩を挟んでいるので、深海底には繰り返し火山灰が降り積もったことがわかる。

写真60 硬質泥岩の割れ口にみられる,リーゼガングの輪と呼ばれる同心円状の茶色の縞模様。

 栩内川層松木平層泥岩からは、マキヤマという海綿の化石以外に化石がみつかることは少ない。よく注意して探すと、まれに魚の鱗や鯨の化石が発見されることがある。例えば久渡寺山の脇の沢に露出する泥岩の中からは魚の化石が、松木平付近の泥岩からは、二枚貝や木の葉の化石がみつかったことがある。
 大和沢層は弘前から西へ追跡すると凝灰岩の挟みが少なくなり、おもに珪質泥岩からなる地層となって大童子(おおどうじ)層と呼ばれるようになる。また松木平層を構成する泥岩層は一般的に赤石(あかいし)層という地層名で呼ばれるようになる。岩木山北西麓の中村川の川岸に露出する赤石層からは、ナガスクジラ科ザトウクジラ属の下顎骨から胴体の前半部にかけての骨格(和名イワキサンクジラ)が(大石・佐藤、一九九一)、また鰺ヶ沢町赤石谷の赤石層からは、ヒゲクジラ類の化石(和名ツガルクジラ)の頭骨の一部が化石としてみつかっている(Matsumoto,1926)。深浦町扇田沢の大童子層からは、ヒゲクジラ亜目ナガスクジラ科に属すると考えられる下顎骨の一部がみつかっている(木村、一九九〇)。
 栩内川層堆積後も泥岩堆積が続いた。後者の泥岩は挧内川層に比べるとやや軟らかく灰色をしている。このような泥岩層は弘前市内の小栗山や松木平付近に分布し、松木平層と呼ばれている。松木平層と同じ地層には西目屋村の大秋川流域に分布する大秋層や、鰺ヶ沢付近に分布している舞戸(まいと)層がある。