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地券の発行と地租の創定

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 地所規則の第一条「永住ノ者居屋漁舎倉庫敷地、或ハ社寺及ヒ墾成セシ従来ノ拝借地等、自今更ニ経界畝数致改正、永ク私有地ニ定メ地券相渡シ、今壬申歳ヨリ七年間除租ノ事」以下、各種の土地の所有区分に応じた除租期間について規程しており、上記の売貸規則第四条(地所規則第九条)もその一つである。ただ第一六条に「除租満期後ノ制程ハ追テ其地ノ差等ニ寄リ適当ニ可相定事」とあるように、当時なお、ほとんどの土地は除租期間内にあったので、実際の地租徴収にはそれを補足するばらばらの規程があったにすぎない。
 しかし地所規則による除租期間もしだいに少なくなり、その対策が必要となった。そこで六年以降開始された府県の地租改正事業に準じて北海道においても地租改正に当たる地租創定の事業が、まず九年の実地丈量、地価査定の作業から手がつけられたのである。同年十二月、太政官布告により北海道地租は地価の一〇〇分の一(府県は一〇〇分の三)と定められた。
 十年十二月、この地租創定地券発行に関する基本方針として北海道地券発行条例全五八条の制定をみた。その第一条に「土地ノ種類ヲ分チ宅地、耕地、海産干場、牧場、山林トシテ、官有ノ地ヲ除クノ外人民各自之ヲ所有セシメ、其経界歩数ヲ正シ、地位等級ヲ定メ地券ヲ発シ地租ヲ課スベシ」と記し、土地の種類及び地租賦課の原則を定めた。そして地租は第二条において「北海道地所規則並土地売貸規則ニ掲載セル除租満期ノ翌年ヨリ課収ス」と決められた。
 以下、詳細な諸規定の中には、開拓初期北海道の特徴がいくつか見られる。たとえば、山林、川沢、原野等をすべて官有地に入れたこと、先住者たるアイヌ民族の居住地をその種類を問わずすべて官有地に入れたこと、あるいは牧場地として一定地域を指定して官有地に編入し、人民の要求に応じて払い下げるとしたことなどである(上記三規則は市史第七巻に収録)。
 ところで、新しい土地法制の中心的な適用地域である札幌周辺ではどのような状況であったか。
 地券発行の準備は、地所規則の公布直後に始められている。五年十月の次の文書は地券に書き込む地価算定のため、土地の等級を規定した最初のものであろう。
今般当庁下私有地券御発行相成候ニ付テハ、一里方内地所ノ差等左之通被相定可然哉、此段相伺申候也
  上地[東ハフシコ川 西ハ円山村境] [南ハ豊平川 北ハ御蔵地]以内
  中地フシコ川以東 豊平川以南
  下地御蔵地以北 [水原虎蔵拝借地已南 但カモ/\口水門辺]
                                  (下略)(開墾掛→次官)

(市史 第七巻)


 この後札幌本庁では、しだいに広がる居住地域に応じて地割や検地を行ったが、六年五月には地所払下代金の等級を次のように定めた。
〔一等〕札幌村 丘珠村 苗穂村 篠路村
〔二等〕円山村 手稲村 同村ノ内字星置 発寒
〔三等〕平岸村 月寒村 白石村 琴似村 千歳通月寒村以東南定山渓

 このほかの村でも上中下の等級を後でつけているが、九年四月に上中下の等級を廃止し、状況に応じて査定することとした(地券発行関渉書類 道文二四九九)。
 九年十一月、札幌郡管内の区画を実地検査し耕宅地の地券を発行する運びとなり、庁下市街を検査の皮切りに順次周辺村落に及ぼした。その結果のひとつ『第一大区五小区豊平村耕宅地明細帳』(明治九年)の中から一部を掲げる。
第廿九番
一 宅地 [縦三拾間横百間]此坪三千坪 船越長善
    地価金四円五拾銭
一 耕地 [縦七拾間横百間]此坪七千坪 前同人持地
    地価金三円五拾銭
     明治八年十月私有地ニ御払下

(市史 第七巻)


 ただし部分的に調査が完了してもただちに地券発行には至らなかったらしく、十年末でも調査は未了であった。現在残っている地券地券録からみれば官有地を除き十四年以降の発行と思われる。しかし地租の徴収は除租期限が切れ次第行われたのであり、その基本台帳ともいうべき『地価創定請書』(道文三一四八、市史 第七巻)から上記船越長善分の一部を引くと次のとおりである(明治十二年)。
明治六年九月割渡同墾成七十番地 同(平岸村)在籍 持主
一 耕地三町壱反八畝二拾七歩 船越長善 [此地価百二円四銭此地租壱円二銭四毛] 但壱反三円二十銭
明治九年四月割渡同年家屋営構七十二番地
一 宅地千四百六拾九坪 船越長善 [此地価十九円五十八銭此地租拾九銭五厘八毛] 但三百坪四円


写真-7 地券 明治14年(札幌市文化資料室蔵)

 ちなみに船越はこのほかに耕地一町三反歩余を有していたので、三年間に宅地を半分に減らし、耕地を二倍にしていたことがわかる。こうして十年以降実施された耕地宅地の地租創定事業は十二年中にほぼ終了し、民間の土地所有に対する行政側の対応が一応できあがったのである。