一 御巡見様御用ニ付、銭亀澤村御本陣料理御掛り衆より
玉子差出し(す)べく(き)旨六郎え被二申附一候得共、上山村、赤川
村ニも無レ之候て右の訳(欠字アルカ)御届申上候。
六月朔日
御用状を以申入候。然ば当村御本陣御料理方ニ相用候間、
カブナ、みつな、菁、大根、右の品御買上相成候間、当月
七日迄当村え相送り候様可レ致候。且、玉子の義ハ少々ニて
も不レ苦候間、五ッ、六ッ宛取集候ても差出候様、村方一同
ニ御申付可レ被レ成候。直段の義ハ高直ニても不レ苦候。猶又
右の内無レ之処早々当村迄為二相知一候様、是又頼入候。早々
以上
六月朔日 銭亀沢出役
大 坪 郡左衛門
鍛冶村
上山村
赤川村
右村々名主中
一 簾 百 枚 鍛冶村
上山村 当(等)分割
一 リ ヱ 三拾本 赤川村
一 ホ ケ 五拾本 右三ヶ村当分割
右は此度御巡見御用御腰掛普請入用并水茶屋普請入用の分
簾はふし(節)不レ取候とも不レ苦候。六尺六尺出来、明後日迄ニ
可二申越一旨、小原様より厳敷被二仰付一候間、明後日迄の内、
無二間違一拙村迄附配り候様御手配、右の段急ギ申付候。
六月朔日 亀田村
名 主 所
かち村
上山村
赤川村
一 弐間物三本、先(サキ)り六本、右は亀田村持柏野御小休所御
用ニ付、名主殿迄
五月廿七日
一 前筆の通簾割六郎弐まへ(枚・以下同ジ)、三太郎弐まへ、紋三郎弐ま
へ、三四郎弐まへ、与吉弐まへ、鉄五郎壱まへ、権右衛
門壱まへ、勘右衛門壱まへ、平七壱まへ先り五本、覚右
衛門壱まへ、徳太郎壱まへ、重五郎壱まへ先り五本、八
内壱まへ、喜平次壱まへ、六三郎弐まへ先り弐本、辰之
丈壱まへ、六右衛門壱まへ、平蔵壱まへ杭拾本、長左衛
門壱まへ、萬九郎弐まへ、長作弐まへ、石五郎壱まへ、
与七壱まへ、彦七壱まへ、寅蔵壱まへ
都合簾三拾三まへ、杭拾本、先(リ)拾七(ママ)本
右の通申候て差置申候。
六月二日
亀田村名主所迄差送り申候。
六月二日
一 よし壱丸
右は御巡見様御腰懸御用ニ付、簾割合の節平蔵、藤太郎
え貸し遣し申候ニ付、為レ念記レ之
一 御用状壱封 赤川村御役人中行、箱館猿田久太郎様出。
右の通即刻継送申候。
六月二日
一 銭亀沢御本陣御掛大坪郡左衛門様、赤川村名主嘉兵衛
殿より御用青物差出し候ニ付、則継送り申候。人足喜平
次、八内差出し。
六月二日
触 書
一 刑部卿様御逝去ニ付、普請は三日、鳴物七日停止被二仰
出一候。右の通江戸表より申来候間、向々え不レ洩様可レ
被二相触一候。
五月朔日
右の趣被二仰出一候間、此段相触候。
六月二日
亀田村 鍛次村 上山村 赤川村 大川村 七重村
下湯川村 上湯川村 志苔村 銭瓶澤村 石崎村
右村々役人中
右の通当月三日当村え亀田村より継送、即刻上山村え順
継申候。以上
覚
一 萩野八十吉 右は在方掛り被二仰付一候間、此段相触候。
以上
戌六月三日
町 役 所
上山村 鍛次村 赤川村 大川村 七重村 峠下村
一ノ渡村 大野村 文月村 濁川村
尚々枝郷可レ有レ之処は其元村より相触可レ申候。
急ギ申進候。然ば明日御小休所外ニ別段御腰掛け出来候ニ
付、当村人足ニても間似合不レ申候故、御掛り御噺申上候処、
其御村え可二申越一旨被二仰付一候間、人足廿人、一ケ村十人
宛明五ツ時爰元御小休場迄相詰候様御手配可レ被レ成候。総
て赤川村は遠法(方)の処ニ候間、時刻間違なく(き)様御手配可レ被レ
成候。赤川村外ニ馬三疋樽を附、大森より砂附、小休所迄
候様(ママ)御申附可レ被レ成、此段急ギ申進候。
六月三日 亀田村
名 主 所
鍛次村 赤川村
一 玉子拾三 右は銭瓶(亀)澤村御本陣御用ニ付、差出し申候。
六郎正ニ御届候。則継送申候。以上
六月四日
一 馬弐疋 三太郎出 人足壱人平蔵
右は亀田支配柏野御小休所砂附ニ附、亀田村名主所より
達し有レ之、差出し申候。以上
六月五日
一 大こん 上の処百本
一 京ふき 弐 丸
一 水 な 見 合
一 午 房(牛蒡・ごぼう) 三拾わ
一 人じん 十本廿五わ
一 袮 義(ネギ) 大丸弐わ
一 ち そ 早(ママ) 々
一 めしか 有 合
一 青ちさ 有 合
一 ふ き 有 合
右の通銭亀澤御本陣御用被二仰付一候。
猶又同月八日、日限相定置参申候。以上
五月五日
廻 章
一 御巡見様来ル十日戸切(地脱カ)村より銭亀沢村え往返御通行ニ
候間火の元用心大切二可レ致、尤ごみ焼等も決て致間敷候。
但九日より十日迄、御通筋は勿論、脇道たり共馬通
し候儀、決て不二相成一事。
一 男女共乗馬致候儀堅不二相成一事。
右の通此度被二仰出一候間、不レ洩様早々順達可レ被二相触一
候。
戌六月
在 方 掛
亀田村より藤山郷まで
右村々名主、年寄中
外壱封
一 七重村役人中 在 方 掛
右の通上山村え順達仕候。以上
六月五日
廻 文
一 御巡見様御通行ニ付、野放し馬決て不二相成一候間、村
々え急度繋置候様取斗可レ申候。猶又御通り筋等通り馬相
成不レ申候。
右の趣被二仰出一候間、早々順達可レ被レ申候。
猶々兼て相達候通り男女共乗馬決て不二相成一事。
六月六日
在 方 掛
亀田村より赤川村夫より海岸石崎村 夫より山岸通り
藤山郷迄。右村々役人中
外 廻文壱封
以二廻文一御頼申上候。六月廿二日泉澤村名主、年寄、御百
性代の印形、外ニ三石村小頭印形、釜谷村小頭印形、印数
五ッ巾着入紛失仕候間、若其御村方御百性中ニ見当り候者
御座候ハバ御取持被レ成レ下、御返し被レ下度候様、偏御頼申
上候。以上
六月朔日
郷宿 宗 兵 衛
触 書
櫛、笄、かんざし、きせる又は煙草入、帋(紙)入、金物其外無
益なる翫の品ニ金銀用候儀停止の旨前々相触候趣も有レ之
候処、近来猥ニ金銀具相用、并売買いたし候ものも有レ之由
相聞、如何の事ニ候。以来百性、町人右体の品金銀用候儀
決て不二相成一、主人或は出入屋敷等より貰請、又は持伝など
ニ候共金銀器類一切持申間敷候。右ニ付てハ武家要用の品
ハ是迄の通、其外は武家より誂候分ハ格別、都て金銀具相
用候品内証ニて拵置、売買致間敷候。只今迄商人共仕入候
儀は当年限売買いたし、来亥年より可レ為二停止一候。
閏四月
右の通可二相触一候。右の通今便江戸表より申来候間、向々
不レ洩様可レ被二相触一候。
戌六月
右の通被二仰出一候間、此段相触候。
戌六月
右の趣被二仰出一候間、不レ洩様可二相触一候。
戌六月
在 方 掛
下湯川村より石崎村迄 夫より山附在々右村々 名主年寄 中
六月六日至来 即刻継送り
六月六日
赤川村
一 御用状 壱封 佐々木兼松殿 箱館 頭 取
急ギ御用向
右の通上山村継送り申候。
一 大谷又次兵衛様 右は御巡見様御下向ニ付、野放しの
馬不レ残取つなぎ、八日、九日厩かへ(飼イ)いたし(す)べく(き)旨被二仰
越一候て上山村御通行ニ付、人足壱人差出し申候ニ付記レ
之
六月六日
急札ヲ以申進候。然ば只今御掛様より被二仰付一候ニは、明
日道普請四ッ時まで出来可レ申様被二仰付一候間、明日人足
拾五人、鍛次村同弐拾人、上山村、亀田、中道は村中。右
は明朝早々道普請差出候様御手配可レ被レ成候。尤草とり鎌
ヲ為レ持、萩ぼ(う)き一ヶ村五本斗宛為レ持差出し候様頼入候。
且又棒引人足亀田拾人、鍛次村拾人、上山村拾人、都合卅
人手配可レ致様被二仰付一候間、何れ股引半天〔羽織を着し差
出し可レ申様被二仰付一〕(〔〕ノ十四字抹消シアリ。)候間、兼て罷出べく(き)旨、乍二しかし一
長着物、股引、半天、羽織ヲ着し差出し可レ申様被二仰付一
候間、兼て御申附被レ成明々後九日御間欠不二相成一様御手
配可レ被レ成候。赤川村は明後村中ニ水扚人足被レ致難、明日
人足駒引致候。右の段急ギ申進候。
六月六日
亀田村
名 主 所
鍛次村
上山村
御名主所
七重村
一 菊池遠江殿 箱館
急ギ
内 下 代
右の通夜七ッ時爰元至来仕候間、上山村継送申候。以上
六月六日夜七ッ時
急ギ申進候。然ば御巡見様ニ付、麻上下着弐人宛 明昼過
ギより拙者方迄相詰方迄(重複カ)相詰候様御手配可レ被レ成候。且又
棒引人足は譬へほげニても棒ヲ四人上下着弐人、此方昼過
ニてもよし、水扚人足十人、水附馬三疋、尤鏡樽ヲ付、明
朝早々相詰候様御手配可レ被レ成候。右の段急ギ申進候。若
人足御手配間違等相成候ては御間欠相成候訳ニて棒引は股
引半天ニ羽織を着し、明八日昼過ギ爰元迄相詰候様御手配
可レ被レ成候。
六月七日
亀田村
名 主 所
御用向キ急
鍛冶村 上山村 赤川村
御 名 主 所
一 馬弐疋 右は銭瓶澤御本陣御用青物附送り、組頭平蔵
差添、人足万九郎差出し申候。
六月七日
急ギ以二廻文一得二御意一候。然ば御巡見様、弥(イヨイヨ)八日ハ当村御
旅館申来、右ニ付、七重浜其外御通り筋え野放しいたし置
候牛馬、今日中ニとりつながせ候様厳敷被二仰出一候間、此
段早々申付、今日中ニ為レ取候様早々可二触しらせ一候。早々
順達可レ被レ成候。以上
戌六月六日
有川 名 主 所
一本木 千代田 大野村 文月村 本郷 市ノ渡村
峠下村 夫より藤山通湯の川村迄 右在々御名主中
六月七日至来
当月九日御巡見様有川御着ニ付、御通り筋え馬野放いたし
置候儀不二相成一候付、佐々木兼松差遣し候間、馬持の者え
厳敷申付、致二苅草一厩入置、野放不レ致様精々被二申付一へく
候。右の段同人委細可レ被二申聞一候間、承知の上、可レ然取
斗ひ可レ被レ申候。以上
六月七日
町 方 掛
亀田村 下湯川村 上湯川村 志のり村 銭亀澤村
鍛冶村 上山村 赤川村 大川村 七重村 藤山村
峠下村 一ノ渡村 千代田村 中郷村 大野村
右村々
名主 村役人中
六月七日
尚々馬壱疋差出、無二遅滞一佐々木兼松差立候様取斗ひ可レ
被レ申候。以上
則日
右の通当村同日御通行仕候付記レ之
急キ申越(ママ)候。然ば明日道普請人足鍛次村十人、上山村十五
人、赤川村廿人、右の通朝五ッ頃ニ爰元相詰候様御手配可レ
被レ成候。尚又今日申進候棒引上下は明後九日昼過キ相詰
候様御手配可レ被レ成候。右の段急キ申進候。以上
六月七日 亀田村
名 主 所
鍛次村
上山村 御名主所
赤川村
夜中不レ限御継立可レ被レ成候
一 御巡見様当月九日戸切地村御旅館ニ付、十日亀田村御
通行ニ付、当村より松前御城下行御人足七人の内、見舞
トして組頭六三郎戸切地村御旅館迄罷越申候。
一 亀田村御通行ニ付、当村より麻上下着人夫弐人六郎、
市太郎、羽織着人足六人平蔵、三四郎、平七、徳太郎、
与七、彦七。
右の通申附、手配仕候。以上
一 御巡見様御通行ニ付、野放し馬せわ方人足弐人、名主
悴豊吉、三太郎、右の通申附置候。
六月八日定
一 御出迎人数道案内鍛次村名主外ニ行届キ候もの。
一 馬五疋砂附。但し樽を附、水扚人足弐人
右は朝五ッ時に爰元相詰候様御手配可レ被レ成候。且又御
出迎は人数明日定揃仕度奉レ存候。昼頃迄ニ早々御越し
可レ被レ成候。以上
六月八日 亀田村
名 主 所
かち村御名主所
急札申進候。然ば町役所より今日只今馬有(合脱カ)相詰候様申来候
手紙、人足のもの右手紙取落候間、何卒馬有合、只今の内
ニ町役所迄相詰候様御手配可レ被レ成候。以上
六月九日 亀田村
名 主 所
態々申上候。乍二近頃一、焚用の内、割り木拾五丸此馬へ送り
可レ被レ遣候。尤も外方ニ沢山ニ有レ是候得共、御用ニ相成兼
候間、無二間違一送り可レ被レ下頼上候。
六月九日 かしわ木野
御 小 休 所
鍛次村 六月十一日
六郎殿 内十二丸かへり
一 御巡見様六月十日亀田村通行、尚駒引人足有川村え嘉
右衛門差遣候。
六月十日
一 御三方黒田五左衛門様、中根傳七郎様、岡田右近様。
右の通御通行。
以二御用状一申達候。然ば御厩御入用飼料青草、一日ニ付弐
拾五嶋ニ候。明後十四日より無二相違一差送り候様、例年の
通取斗可レ被レ申候。此段相達可レ申、如レ斯ニ候。以上
六月十二日
在 方 掛
亀田村 鍛冶村 上山村 赤川村
右村々役人中
猶々四ヶ村申合、何れニも差支ニ不二相成一様取斗可レ被レ
申候。以上
一寸加書仕候。然ば御用状ニ十四日より等(ト)申来候得共、
則当十三日より等(ト)申事候間、明日より貴村よりかり初メ
可レ被レ成候。以上
亀 田 村
鍛次村
先達て御借上いたし候道具、此節用済ニて御渡しニ相成候
間、今明日中ニ早々銭亀澤村御本陣迄罷出、改メの上請取
可レ申候。以上
六月十二日 銭亀澤村
御 道 具 掛
鍛次村
六郎殿
六月十三日
一 前書の通十三日より当村苅初申候ニ付、三軒組定、重
五郎、鉄五郎、辰之丈 右の通差出し申候。
廻 状
一 今日かしわ野御仮家取ほごし候ニ付、今日早々人馬以
取片付可二参申一候。
六月十三日 亀田村
名 主
鍛次村 役人衆中
上山村 役人衆中
一 兼て御借上ケ相成申候杭、桁、先(サキ)り等のもの御帰(ママ)しニ
なり候ニ付、則名主罷出、十四日相下候処不足相立、十
五日ニ配分いたし候。
六月十五日
一 御奉行枚田七郎右衛門様御日用ニ付、粟弐升六郎出、
稗壱斗名主、右の通御厩別当殿御使ニ参り、則差上申候。
以上
六月十七日
以二手紙一得二貴意一候。然ば例年の通其村方御百性六三郎え
御用御鷹侍被二仰付一候間、左様御心得可レ被レ成候。猶又御
塒普請も明日取拵可レ致候様申渡候。依て人足等同人より
被二申出一次第差出可レ被レ申候。以上
六月廿二日
廻 状
去十二月御貸付金上納方期月ニ相および候間、元金并御冥
加金共相添、当月廿九日迄ニ早々上納可レ致様厳敷被二仰出一
候間、無二相違一上納の上、猶又御貸付金ニ相成候間、願の
もの有レ之候ハバ罷出願出可レ申候。此段以二廻状一申達候間、
早々順達可レ被レ致候。以上
戌六月廿四日
御貸付金掛
鍛次村 下湯川村夫より石崎村 小安村 椴法花(ママ)村迄
右村々場処名主年寄 頭取小頭 中
覚
一 大崎千蔵 馬壱疋
右は在々六ヶ場所旅人改為二御用一明廿七日爰元差立候
条、村々場所々々おゐて書面の馬無二遅滞一差出、止宿、
賄、川越、渡船場等差支無レ之可二取斗一もの也。
戌六月廿二日
箱 館
御 役 所
従二箱館一在々六ヶ場所
名 主
年 寄
中
頭 取
小 頭
廿八日爰元出立、旅人宿同道ニて罷越候条、馬壱疋御手配
被レ下度候。以上
廿八日鍛次村泊り、廿九日七重村休、同大野村泊、晦日湯
川村休、有川村泊り、七月朔日茂辺地村休、同当別村泊、
二日泉澤村休、木古内村泊、三日泉澤村休、四日戸切地村
休、大野村泊、五日峠下村休、鷲木村泊、六日落部休、鷲
木泊り、七日砂原休、七日鹿部泊り、八日臼尻休、尾札部
泊、九日椴法華休、同日尻岸内泊り、十日戸井休、石崎村
泊り、十一日銭亀澤村休、上湯川村、下湯川村迄
右の通廿七日ハツ半時至来、即刻上山村え継送り申候。以
上
六月廿七日
覚
人足壱人 馬弐疋
右は長崎御用ニ付、明廿八日砂原出立、其村々場所々々罷
通候間、書面の人馬無二遅滞一差出可レ申候。以上
六月廿七日
高 橋 保 平
大野村より七重村通り夫より銭亀澤村海岸通尻岸内迄
右村々場所々々 役人中
泊石崎 尻岸内
猶々急御用ニ候間、人馬の儀は大野村より上山村迄通しニ
差出可レ申候。上山村より銭亀沢迄通しニ候間、人馬差出可レ
申候。小安より戸井迄前同断戸井迄尻岸内迄前同断。
六月廿七日至来
一 平蔵引受沼内忠吉、同所かき、三戸丈助、三戸子之丈、
三戸善助、八戸次五右衛門、八戸周平以上七人外ニみの
こ入。
名主引受八戸三太、八戸志や〆弐人
三太郎引受横濱倉松、大畑福松、同所亀松〆三人
六郎引受三戸多助、六三郎引受八戸幸八、長左衛門受
沼内幾具(きく)
八戸又吉、同所与兵衛、同松六、同志よか、同所友吉、
同まつ〆六人
彦七、はつ、彦吉三人、津軽深郷重五郎受 仁太郎
都合弐拾五人
右は六月廿八日旅人御役(改)として御出役大崎千蔵様并旅人
宿幸次郎殿御改ニ付、則書写し置申候。以上
六月廿八日
一 旅人改御役人御出役大崎千蔵様并旅人宿竹内幸次郎殿
当村御泊りニ付、御請書差上申候処左の通
差上申一札之事
一 今般旅人御改ニ付、当村軒別ニ御尋御座候得共、無鑑
札の者一切無二御座一候。向後無鑑札御座候ハバ早速ニ御
届可二申上一候。依レ之御受書一札奉二差上一候処如レ件。
天保九戌年
六月廿九日 年 寄
名 主
旅人御改
御役人中様
右の通御受書奉二差上一候。以上
一 白鳥藤十郎様 馬弐疋 人足壱人
右は長崎御用ニ付、高橋保平様御下役衆下湯川村御通行
則差出し申候。以上
六月廿九日