表2-23 3区制による町名表
1区 | 寺町 常盤町 花谷町 芝居町 天神町 梅枝町 | 茶屋町 上新町 坂町 下新町 片町 弁天町代地 山上町 新天神町 神明横町 | 鍛冶町 三町代地 駒止町 山背泊町 台町 代地竪通 浜町 | 大町上通 会所町 上大工町 下大工町 | 尻沢辺町 |
2区 | 鰪澗町 鰭横町 神明町 仲町 | 弁天町 西浜町 喜楽町 七軒町 | 大黒町 | 大町 仲浜町 | 内澗町 東浜町 |
3区 | 地蔵町 古築島町 蓬莱町 亀若町 恵比須町 | 蔵前通 | 鶴岡町 一本木町 | 豊川町 | 龍神町 西川町 大森町 東川町 |
『函館区史』では、この部分も『開拓使事業報告』を引用、この時点で大小区制が実施されたとし、表2-24を掲げている。しかし前述の東京出張所への問い合わせ書類(「開公」5734)でも、函館市中への触書(明治4、5年「御達留」(抄)『函館市史』史料2)でも小区を設定した様子が見えず、やはり当初には小区の設定はなかったとするのが妥当であろう。『北海道志』はこのことに関し「小区別ノ明文ナシ、或云当時小区画九年九月大小区画ノ小区ニ同シト、今姑ク之ニ拠ル、但町名改称分合等アル如シ、今詳ナラス」と注を付け、『開拓使事業報告』の明治5年2月の大小区表と同じものを載せている。ただ「区」の設定を行った1か月半ほど後の願伺届には、早くも小区の記載がみられるものもあり、早い時期に小区の設定を追加したようである。戸籍法による「区」の設定だけでは何か不便が生じたものか、または新たに設定された小区には、常盤町や天神町のように2つから3つの小区にまたがる町が数町みられることから推測すると、それまでの町代の担当区域を小区として承認、諸務の円滑な継続を意図したのかも知れない。しかしこの年の願伺届には小区まで記載されたもの、第何区のみのもの、全く町名のみのものと種々で、定着したものとは成っていなかったようである。
表2-24 『函舘区史』の明治5年大小区制の町名表
1小区 | 2小区 | 3小区 | 4小区 | 5小区 | |
1区 | 松蔭町 常盤町東側 寺町 芝居町東側 花谷町 愛宕町 天神町1丁目 | 茶屋町 常盤町西側 坂町 芝居町西側 片町 弁天町代地 天神町2~4丁目 山上町1~4丁目 上新町1丁目 下新町1丁目 神明横町 新天神町 | 鍛冶町 三町代地 駒止町 山背泊町 台町 代地堅通 天神町5、6丁目 山上町5丁目 上新町2丁目 下新町2丁目 浜町 | 元町 会所町 相生町 上大工町 青柳町 下大工町 春日町 上汐見町 下汐見町 | 尻沢辺町 |
2区 | 鰪澗町 鰭横町 神明町 仲町 | 弁天町 西浜町 喜楽町 七軒町 | 大黒町 | 大町 仲浜町 | 内澗町 東浜町 |
3区 | 地蔵町1~3丁目 蓬莱町 古築島町 亀若町 恵比須町 | 地蔵町4~6丁目 蔵前通り | 鶴岡町 一本木町 音羽町 | 豊川町 | 龍神町 西川町 大森町 東川町 |
また、戸籍編製が急がれる中での区画設定であったためか、実体に合わない町名も挙げられていたらしく、翌6年には町名の見直し作業が行われたようである。『函館区史』には『開拓使事業報告』を引用して9町の廃止と、28の新設町名が載せられている。これを表にまとめると表2-25となる。しかしこの町名中、宝町(8年4月14日)と幸町(8年11月20日)は共に8年に新設された町名であることが達書等で確認できることから、同書の整理は明治8年頃までの町名の動きをまとめたものとするのが妥当のようである。後述する7年5月の区画改正の企画でも、先の2件(宝町、幸町)を除いて、6年の町名異動が取り込まれていることもその裏付けといえる。明治5年2月に大小区制を導入したとしてしまった『函館区史』は、5年2月の大小区一覧にありながら、翌6年の新設町名としても挙げられている町名について、5年2月の町名の項に備考欄を設けて「松蔭町、元町、愛宕町、相生町、春日町、青柳町、上汐見町、下汐見町、音羽町は当時未だ公設せられず、其名は何れも私称なるべし」との説明を付けざるを得なかったわけである。
表2-25 明治6年廃止新設町名一覧
1小区 | 2小区 | 3小区 | 4小区 | 5小区 | ||||||
廃止町名 | 新設町名 | 廃止町名 | 新設町名 | 廃止町名 | 新設町名 | 廃止町名 | 新設町名 | 廃止町名 | 新設町名 | |
1大区 | 寺町 | 松蔭町 仲新町1 富岡町 愛宕町 | 弁天代地 新天神町 | 船見町東側 仲新町23 上新町1 | 三町代地 代地竪通 浜町 | 船見町西側 仲新町45 上新町2 元新町 | 大町上通 | 元町 春日町 青柳町 上汐見町 下汐見町 相生町 | 谷地頭町 柳町 赤石町 蔭町 浦町 | |
2大区 | 幸町 注1 | |||||||||
3大区 | 古築島町 | 船場町 堀江町 | 汐止町 宝町 注2 | 一本木町 | 若松町 高砂町 音羽町 | 真砂町 |
『開拓使事業報告』1より作成
※ 明治6年には小区が導入されたのは確実なので、大小区制での対照表とし、表中の算用数字は丁目を表す。
注1 宝町は明治8年4月14日に町名の新称を承認されている。(「開日」『新北海道史』史料1)
注2 幸町は明治8年11月20日に町名の新称を承認されている。(同上)
翌6年5月7日、函館支庁は函館を除く管轄地の村々に対し、名主を廃止し「副戸長」と改称すること及びその他の村役人(年寄、小頭、百姓代)を「村用掛」と改称し、各村に1乃至2名を置く事を布達(支庁布達第142号「明治六年函館町会所御触書留」)した。ようやく函館とその周辺の地方制度が統一されたのである。この触書はそれらの村々に大小区制を敷くことも同時に布達しており、函館支庁の主管轄地域は統一的に大小区制の枠に組み込まれることになったわけである。渡島国の亀田(30か村)、上磯(17か村)、茅部(14か村)の各郡が函館の3大区を受けて夫々4、5、6大区となり、胆振国の一部山越郡(2か村)が7大区となった。この大小区制を導入した地域は、幕末以来箱館奉行、箱館府が「箱館付村々及び六ヶ場所の村々等」として直轄した地域と重なるようである。