3区の設定

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 戸籍法によって戸籍編製のために生み出された「戸籍区」は、一般行政区画の「区」として受け止められ、戸長副戸長の任命と表裏一体の形で、函館市街の区画分けが行われた。当時の函館市街を3区に分け、函館山の裾を巡る地区を第1区(27町)、弁天町から内澗町までの海岸線とその裏町(大黒町ほか)の地区を第2区(13町)、地蔵町から北東へ拡がる新興地区を第3区(13町)と設定した。管轄町は表2-23の通りである。ここに初めて旧幕以来の公認11町以外の町も公認され、函館市街の町は53町となったのである。
 
 表2-23 3区制による町名表
1区寺町   常盤町
花谷町 芝居町
天神町 梅枝町
茶屋町 上新町
坂町   下新町
片町   弁天町代地
山上町 新天神町
神明横町
鍛冶町 三町代
駒止町 山背泊
町   代地竪通
浜町
大町上通 会所町
上大工町 下大工町
尻沢辺
2区鰪澗町 鰭横町
神明町 仲町
弁天町 西浜町
喜楽町 七軒町
大黒町大町 仲浜町内澗町 東浜町
3区地蔵町 古築島
蓬莱町 亀若町
恵比須町
蔵前通鶴岡町 一本木町豊川町龍神町 西川町
大森町 東川町

 『函館区史』では、この部分も『開拓使事業報告』を引用、この時点で大小区制が実施されたとし、表2-24を掲げている。しかし前述の東京出張所への問い合わせ書類(「開公」5734)でも、函館市中への触書(明治4、5年「御達留」(抄)『函館市史』史料2)でも小区を設定した様子が見えず、やはり当初には小区の設定はなかったとするのが妥当であろう。『北海道志』はこのことに関し「小区別ノ明文ナシ、或云当時小区画九年九月大小区画ノ小区ニ同シト、今姑ク之ニ拠ル、但町名改称分合等アル如シ、今詳ナラス」と注を付け、『開拓使事業報告』の明治5年2月の大小区表と同じものを載せている。ただ「区」の設定を行った1か月半ほど後の願伺届には、早くも小区の記載がみられるものもあり、早い時期に小区の設定を追加したようである。戸籍法による「区」の設定だけでは何か不便が生じたものか、または新たに設定された小区には、常盤町や天神町のように2つから3つの小区にまたがる町が数町みられることから推測すると、それまでの町代の担当区域を小区として承認、諸務の円滑な継続を意図したのかも知れない。しかしこの年の願伺届には小区まで記載されたもの、第何区のみのもの、全く町名のみのものと種々で、定着したものとは成っていなかったようである。
 
 表2-24 『函舘区史』の明治5年大小区制の町名表
1小区
2小区
3小区
4小区
5小区
1区松蔭町 常盤町東側
寺町   芝居町東側
花谷町 愛宕町
天神町1丁目
茶屋町 常盤町西側
坂町   芝居町西側
片町   弁天町代地
天神町2~4丁目
山上町1~4丁目
上新町1丁目
下新町1丁目
神明横町 新天神町
鍛冶町 三町代
駒止町 山背泊
町   代地堅通
天神町5、6丁目
山上町5丁目
上新町2丁目
下新町2丁目
浜町
元町   会所町
相生町 上大工町
青柳町 下大工町
春日町 上汐見町
      下汐見町
尻沢辺
2区鰪澗町 鰭横町
神明町 仲町
弁天町 西浜町
喜楽町 七軒町
大黒町大町 仲浜町内澗町 東浜町
3区地蔵町1~3丁目
蓬莱町 古築島
亀若町 恵比須町
地蔵町4~6丁目
蔵前通り
鶴岡町 一本木町
音羽町
豊川町龍神町 西川町
大森町 東川町

 また、戸籍編製が急がれる中での区画設定であったためか、実体に合わない町名も挙げられていたらしく、翌6年には町名の見直し作業が行われたようである。『函館区史』には『開拓使事業報告』を引用して9町の廃止と、28の新設町名が載せられている。これを表にまとめると表2-25となる。しかしこの町名中、宝町(8年4月14日)と幸町(8年11月20日)は共に8年に新設された町名であることが達書等で確認できることから、同書の整理は明治8年頃までの町名の動きをまとめたものとするのが妥当のようである。後述する7年5月の区画改正の企画でも、先の2件(宝町、幸町)を除いて、6年の町名異動が取り込まれていることもその裏付けといえる。明治5年2月に大小区制を導入したとしてしまった『函館区史』は、5年2月の大小区一覧にありながら、翌6年の新設町名としても挙げられている町名について、5年2月の町名の項に備考欄を設けて「松蔭町、元町、愛宕町、相生町、春日町、青柳町、上汐見町、下汐見町、音羽町は当時未だ公設せられず、其名は何れも私称なるべし」との説明を付けざるを得なかったわけである。
 
 表2-25 明治6年廃止新設町名一覧
1小区
2小区
3小区
4小区
5小区
廃止町名
新設町名
廃止町名
新設町名
廃止町名
新設町名
廃止町名
新設町名
廃止町名
新設町名
1大区寺町松蔭町
仲新町1
富岡町
愛宕町
弁天代地
天神町
船見町東側
仲新町23
上新町1
町代
代地竪通
浜町
船見町西側
仲新町45
上新町2
元新町
大町上通元町
春日町
青柳町
上汐見町
下汐見町
相生町
谷地頭
柳町
赤石町
蔭町
浦町
2大区幸町 注1
3大区築島船場町
堀江町
汐止町
宝町 注2
一本木町若松町
高砂町
音羽町
真砂町

  『開拓使事業報告』1より作成
 ※ 明治6年には小区が導入されたのは確実なので、大小区制での対照表とし、表中の算用数字は丁目を表す。
 注1 宝町は明治8年4月14日に町名の新称を承認されている。(「開日」『新北海道史』史料1)
 注2 幸町は明治8年11月20日に町名の新称を承認されている。(同上)
 
 翌6年5月7日、函館支庁は函館を除く管轄地の村々に対し、名主を廃止し「副戸長」と改称すること及びその他の村役人(年寄、小頭、百姓代)を「村用掛」と改称し、各村に1乃至2名を置く事を布達(支庁布達第142号「明治六年函館町会所御触書留」)した。ようやく函館とその周辺の地方制度が統一されたのである。この触書はそれらの村々に大小区制を敷くことも同時に布達しており、函館支庁の主管轄地域は統一的に大小区制の枠に組み込まれることになったわけである。渡島国の亀田(30か村)、上磯(17か村)、茅部(14か村)の各郡が函館の3大区を受けて夫々4、5、6大区となり、胆振国の一部山越郡(2か村)が7大区となった。この大小区制を導入した地域は、幕末以来箱館奉行箱館府が「箱館付村々及び六ヶ場所の村々等」として直轄した地域と重なるようである。