外国人居留地の性格

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 函館にとって開港とは、箱館奉行設置にみる都市権力の移入とその対象となる居留外国人の登場という両面から見て重要な歴史事象ととらえることができよう。つまり、外国人居留地としてどのような形態をもち、函館の都市形成とどのような関連を持っていたのかその性格を考えてみることが必要だと思われる。
 函館に最初に外国人が居住したのは、安政4(1857)年のアメリカ人ライスであり、当時大町にあった浄玄寺境内に止宿することになった。当然、外国人居留地がこの段階で定められていたわけでなく、とりあえず寺院などが提供され、安政5(1858)年日米修好通商条約が締結された後でも居留地の設定はみられず、商人所有の家屋や蔵などが貸与されたため雑居の形をとることになったのである。
 このような状態の中で、外国奉行は老中に対して次のようなことを上申した。函館は地形的な制約もあり、なかなか海岸の場所を外国人に貸渡すことができない。しかし、外国人にとっても商売をするために移住しているのだからそれなりの対応をしなければならない。そこで居住地を尻沢辺あたりにし、蔵地を海中に新規埋立をすることを提案した。これに対し、外国人に貸し渡す地所は条約において1か所と取決められているので慎重に対処すべきであろうというのが老中の達しであった。
 この時期に、ロシア領事との間には領事館建設についての交渉が持たれていたが、箱館奉行は願い出の大工町の原野について御役所や市中に支障がないのでこれを認め、引き続き各国へも割渡すことも差しつかえないとの判断を示した(『幕外』22)。
 また、同じ頃に村垣、堀両箱館奉行は老中に対し、外国人への貸渡地について次のような上申をした。両奉行は、はじめ地蔵町に1画を設け居留地と成すことを考えたが、竹内下野守地蔵町は「箱館咽喉の地」との認識を示したので中止し、長崎表出島のように鶴岡町海岸遠浅の場所を埋立てることを提示した(『幕外』23)。
 さらに安政6(1859)年12月には、箱館奉行支配勘定方から箱館奉行へ「外国人への貸渡蔵地所築出の件」についての伺書を提出した。これによれば、まず清国香港を例にとって外国への貸渡地の提供が遅れれば各国がそれぞれ埋立などしてそれらの土地の所有権を要求することになることも心配であると述べられた。また、運上所付蔵所もないのでこれも兼ねた大町の裏手海岸を2000坪埋立て蔵所にあて、余分の地は当所商人および外国人らに蔵所として貸渡し、地代などを徴収することをすすめた(『幕外』32)。
 前伺書をうけてか、その直後の万延元(1860)年正月に箱館奉行から老中へ、大町海岸を埋立し貸渡地に造成することを上申した。このことにより箱館奉行は「自然在留人一郭一纒相成、御取締も相立可申儀」を想定し、たびたび評議の中で問題にされた「一箇の地」を踏まえ条約に反しないことを意図し、同書の中で初めて「箱館表外国人居留地の義」との認識を示した(『幕外』34)。
 さて、大町居留地埋立以降も居留外国人は増え、大町以外の船着きの便利な海岸地を望む者が多くなった。このため箱館奉行は、地元商人が埋立てた土地2万2600坪余を上地させ外国人に貸渡すことにした(文久4子年「応接書上留」)。しかし、当地に対して外国人の反応が良くなく、一部の外国人が借受けただけでその他の土地は再び市中の者へ譲渡される結果となった(自元治元年至同2年「沽券地御用留」道文蔵)。
 このようなことから幕末の居留外国人は実質的には1か所に集約したことはなく、表4-3のように雑居していたことがわかる。地所貸渡関係書類によれば、大町外国人居留地については「当箱館港において外国人借用の場所として取極めし地の内にて」という範囲であり、その他の貸渡地については「同所ハ定メタル居留地ニアラズ雑居ノ場所ナレバ四隣人民ノ商業ニ対シ故障アルベカラザル事」という違いにより大きく2つに区分できる程度であった(「外国人地所貸渡其他規則関係書類」『函館市史』史料編第1巻)。しかも、広い意味での外国人居留規則や居留地の境界を定めたものはなく、このことが当地において各国領事と奉行との地所についてのやりとりの際の外交上の行き違いを生んだ火種とも言えないこともないのである。
 
表4-3 幕末の居留外国人
上大工町魯西亜岡士館地所
2,000坪
同国病院地所
1,200坪
亀田村
400坪
上大工町英吉列国岡士館地所
1,500坪
仏蘭西館地所
1,500坪
亜米利加岡士館地所
1,500坪
大町2丁目浄玄寺境内亜米利加コンシェル ライス仮止宿所
建家1
建家1
亜国商人フレタ 止宿所
175坪
会所町西村治兵衛フレツル止宿所
1,217坪
大町2丁目坂上称名寺境内仏蘭西人 メナルト 止宿所
53坪
大町3丁目宗太郎シロタ止宿所
建家1
上大工町亜国商人 フレイタ止宿所
建家1
大町築出町1 亜国商人 フレイタ
145坪
 2 英国商人 ホルトル
72坪
 3 英国商人フレツル
145坪
 4 同 官吏ライス
145坪
 5 同 フレツル
145坪
 6 魯国官吏 コクケウイチ
145坪
 7 亜国商人 フレツル
145坪
 8 英国商人 デュース
145坪
 9 同 ホルトル
145坪
 10 同 デュース
145坪
上大工町仏蘭西コンシェル勤方 ウエーウ止宿所
建家1
山背泊各国へ貸渡
墓所3
大町1丁目平七英国商人 デュース
建家1
鶴岡町4新七
336坪
鶴岡町4又兵衛
510坪
内澗町1沖右衛門フランク
44坪
上大工町左太郎ウイルキー
16坪
山ノ上新町佐太郎英国商人 ハウル
259坪
山ノ上新町吉兵衛
99坪
地蔵町築島市郎次同 フレキストン
704坪
地蔵町築島山西ホルトル
400坪

『通信全覧』による