北海道の郵便は、その運搬や取扱人などは駅逓所に頼らなければならなかった。しかしその取扱量の増加とともに独立した役所として整備されていく。八年三、四月には郵便規則及び罰則を各村へ配布した。札幌郡では市街および篠路・札幌・琴似・丘珠・白石・上下手稲・発寒・上白石・月寒・雁来・平岸村の各副戸長と円山村の総代へ配布された(郵便諸留 道文一二五二)。
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写真-11 札幌郡各村地図(北大図) |
また十三年、札幌から対雁経由で石狩への郵便路線が増設された(郵便文移録 道文三八九四)。さらに篠路村の早山清太郎、対雁村の小笠原長吉をそれぞれ同村の郵便取扱人とした(郵便駅逓川渡守人名録 道文五二二八)。十五年月寒村字厚別・白石・札幌・山鼻・下手稲村字軽川に切手売下所を設け、琴似村には無集配郵便局(郵便受取所)を設けた。十六年中に郵便切手売下人をしていた南一条東一丁目の土倉一郎を南二条西一丁目の忍海長之丞に変更した。渡島通切手売下人が逃亡したため南二条西四丁目新田房吉を任命した。大通西二丁目の切手売下人を秋山清美に変更した(札幌県治類典 道文七四一七、八〇四七、八〇四八)。市中の切手売下所がいつ設置されたのか確認できないが、この頃に郵便の普及により郵便網を、札幌市中及びその周辺地域と順次整備していたことのあらわれであろう。
開拓使から札幌県になると札幌の郵便業務は、はじめは札幌県が管轄したが、十六年七月農商務省駅逓局の管轄となった。そのもとで函館駅逓出張局が全道の郵便業務を監督した。十八年逓信省の設置とともに管轄も移った。