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松 田 力 熊(注2)
国家経済の膨脹よりして国本(こくほん:国家の独立・繁栄の基礎)を培養し国力を充実しなければならぬと云ふは、天下の世論である。此(この)目的を達するには各種の実業を盛ならしむる外、善い手段はないのである。実業教育は実業発達の上に直接の働きをなすべき性質なものではないけれ共(ども)、実業の予備機関とも云ふべきもので、実業学校を設け多数の着実なる実業家を養成し、それ等の人々の働きによりて始めて実業上の進歩発達を期することが出来る。之れを軍隊に例へて見たならば百万の兵ありと雖(いえど)も烏合(うごう)の衆のみであるならば、戦場に於て何の役にも立たざるべく、軍隊に於て訓錬せられたる精鋭なる兵士にあらざれば、戦場に於て大功を奏する事は出来ない。我が国は有形の戦争に於ては世界万国に武威を輝かし名誉を博して居るが、無形の軍即ち富の戦ひには、未(いま)だ欧米諸国に比肩する事が出来ないのは、甚だ残念なことである。其事実では我国の輪出入の統計表を繙(ひもと)けば一見明瞭なることである。故に此無形の戦ひに打勝ち国家を泰山の安きに置くのは、実業学校を設け実業軍を養成するに如(し)くはない。此(かく)の如(ごと)くにして初めて富国強兵の実を挙ぐることが出来る。余輩(よはい:われわれ)は詳細に此に実業教育の必要を喋々(ちょうちょう:しきりにしゃべるさま)説明するの要を認めない。寧(むし)ろ如何(いか)なる教
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育の方法により、此目的を達する事を得べきや否やを講究(こうきゅう:研究する)しなければならぬ。文部省の方針も此所にあるので高等農林学校の設置、実業教育国庫補助法或(あるい)は実業教員養成所等を設け、しきりに御奨励になつて居る。又各府県に於て農工商各種の実業学校が続々設立されつゝあり、此数年間に於て全国に設けられたる実業学校の数も少なからぬ。試に左の統計を掲ぐる事とした。
明治33年12月現在、全国に於ける中学校と同程度の実業学校及び生徒数
種類 校数 生徒数
工業学校 15 1,605
農業学校 56 5,040
商業学校 38 8,269
商船学校 4 319
計 123 15,228
此外に
徒弟学校 22 4,642
実業補習学校 142 8,850
総計 287 25,720
之が公学費も28年度19万円に比すれば、33年度に於ては100万円以上にのぼれり。是(こ)れ学校の増設及び設備の拡張等に伴ふ結果たるに外ならない。此の如(ごと)く多数の実業学校が今日我国に設立されてあると云ふのは、国家の為(た)めに喜ぶべき事である。
森林学校(注3)は現今の規定によれば農業学校の中に含まれて居る訳なれ共、今日まで専門の森林学校若(もし)くは農業学校の名称の下に専門的に森林教育を施し居るのは極めて少ない。余輩の耳に達して居るのは愛知・奈良の農林学校其他2、3校に過ぎない。何(いず)れも最近の設置に係り、本校の如きは昨年4月の設立なれ共、全国中で最も創始であるとの評判を受けて居る。
前述せる如く各種の実業学校の中でも農業学校の如きは余程(よほど)以前から設置されたる地方あり。森林学校は何故に後れたのであるかと云ふに、維新来百般の文物長足の進歩をなせしに反し、本邦の森林の制度は却(かえ)って退歩し、公私有の森林は濫伐(らんばつ:乱伐)の弊を蒙(こおむ)り荒廃を来たせり。林業上直接に大関係ある処(ところ)の営林
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保護の道すら充分着手するの場合に立至らざりしを以(もっ)て、森林教育のことなどに至りては近年迄(ま)で着眼されなかつたのである。偶(たまたま)有志の士あつて之れが必要を唱へても、地方経済を支弁し森林学校を設立するが如(ごと)きことは容易に行はれなかつたのである。
扨(さ)て是より本論に立帰るのであるが、実業学校に於ては実業家所謂(いわゆる)実地家を養成せざる可(べ)からずと云ふことは異口同音に唱ふる処なり。此れ所謂実業家・実地家なるものは如何(いか)なる人物なるべきやは、余輩は甚だ迷ふのである。独乙(ドイツ)の書物にホルツハウエル(材木を切る者、木挽<こびき:木材を大鋸で挽く人>の如きもの)、コ-レンブレンネル(炭焼)は果して林業家と云ふことを得べきかと云ふことが書いてあつたが、若(も)しも種々珍奇なる植物を培養し之(こ)れを養成するを以て林業家なりとせば、吾人(ごじん:われわれ)は彼の園芸家に及ばない。若しも伐木造材等の業務に頗(すこぶ)る熟練する者を以て林業家なりとせば、吾人は木曽の杣人(そまびと:きこり)に匹敵し得べき様もなし。若しも多数苗木を僅(わず)かの時間に於て速に植栽するものありと仮定せよ、是等の人々を目し(もくし:判断する、見なす)て実地家なりとせば、吾人は実に熟練なる労働者に三舎(さんしゃ:注4)を避けねばならぬ。今日の所謂林業なる者は、此の如(ごと)き単一なる業務に従事するものにあらずして、実に多種多様なる智識と経験とを備へねばならぬ。曰(いわ)く植物培養の方法を知らざる可(べ)からず。亦之れを保護するの道を講究せざる可らず。伐木造材の責任を負ふと共に進んで運搬利用の任に当たらねばならぬ。造林事業の実行に熟練を要すると共に森林経営の術に長ぜねばならぬ。曰く林業は経済的事業なり。例とへ如何(いか)に美良なる樹林を養成するも、収支相償はざるに於ては林業に非(あら)らず。短かき期間に僅かなる資本と労力とを費し、可成(なるべく)大なる生産を得るのが林業の本である。故に経済の理に通曉(つうぎょう:よく知りぬいていること)せざる可らず。法律なくんば森林保護の道を全ふする能(あた)はず。有益なる副産物の製造は純粋化学の応用にして、樹木の病虫害は動植物学の助すけによりて之を駆除(くじょ)予防することを得るのである。之れを要するに林業は純粋科学の応用術とも云ふべきものであつて、其範囲は頗る広い。此故に実業学校殊(こと)に森林学校に於て養成すべき所謂(いわゆる)実業家なるものは、此に述べたる種々の学術技芸に長じ、社会の応用に好適する素養あらざる可らざるは固(もと)
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より言ふまでもないことである。換言すれば我が国今日の森林の状態に鑑(かんが)み、之れが改良発達をはかる上に、社会の需用に一致する人物を養成せざるべからずと云ふなり。然(しか)らば如何なる人物が世の需用に一致するや、と云ふ事に就て少しく陳(の)べやうと思ふ。
日本の森林は之れを所有上により区別をなすときは、官有林(国有林・御料林<ごりょうりん:皇室所有の森林>)、公有林、民林の3種類に区別をなすことが出来る。故に将来学校の修業者は是(これ)等森林の営林保護の任に当らざるべからざるは申すまでもない事である。御料林、公有林の仕事は言はば官業で、民林の仕事は民業である。即ち官業と民業との両方面に向つて需用があるのである。現今我が国有林を直接に管理する大小林区署官制(注5)を按ずる(あんずる:しらべる)に左の如(ごと)き定員である。
官 名
林務官 技師
監督官補 林務官補
営林技師 営林主事
営林主事補 森林監守
此中(このうち)林務官補以上は高等教育を受けたるものゝ中より充たすとするも、技手以下は相当の技術者を得んとするには、何(いず)れも中等教育の学校卒業生に待たざる可(べ)からざる事と思ふ。勿論(もちろん)現今夫(そ)れぞれ官員はあるのであるけれ共、現に農商務省に於ては林業貸費生を設け、或は林務講習等の方法に依り熱心に技術者を養成されつゝある点より見ても、将来官業の方面に於ても大に歓迎さるゝであろうと信ずるのである。実業学校は官吏養成所に非(あら)らずしては、実業家を養成する所たることは勿論なれども、実業学校の卒業生が官吏となるは学校の目的に反するかの如く思ふものなきにしもあらず。是(こ)れは誤りなり。森林学校の卒業生が官林業に従事する能力なき時は、不具(ふぐ:不備、そなわらない)の実業家である。遠き未来はいざ知らず、林業界の現状は此の如きことを許さぬ故に、学校としては官業にも民業にも堪能なる処(ところ)の人物に素養を与へざる可(べか)らず。中々多忙なのである。
次は日本の公有林、是(これ)は官林と異なり従来森林保護等のこと一(ひとつ)も行はれざるが故に、最も荒廃を極めて居る。森林と云ふ名称はあれ共、其実は殆(ほと)んど未立木地に非(あ)らざれば禿山に過ぎない。我国には数百万町
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不生産地が横はつて居る訳である。稍(やや)もすれば洪水の源因となり、却つて国家に大なる損害を来たして居る。民林も公有林程荒れては居(お)らないけれ共、殆んど大差なき程濫伐の余弊(よへい:伴って生じた弊害)を受けて居る。よつて是等(これら)林業を適当なる経営をなし、利用の道を開くは国土保安上より見るも、地方経済上に於ても、最も急務なることである。先年我国有林に於ては特別経営の事業に着手されたが、それと前後して各府県に於ても此公有林・民有林の営林保護に着眼し、之れが奨励の方法として或は苗圃(びょうほ:苗木を育てる畑)を設置し、或は植樹奨励費を下付し、或は森林技術者を設置するが如(ごと)き趨勢(すうせい)となったのは、多年吾人が患ひつゝあつた此公有林整理と云ふに就て聊(いささ)か愁眉(しゅうび:注6)を開く事を得る様になつた。左に掲ぐる所の35年(1902)度に於ける府県勧業費中、山林に対する支出額に対照すれば、年一年と各府県に於て林業が重んぜらるゝに至りし事を証するに足る。
地方勧業費中、山林業に関する予算累年比較
明治 27年度 2,889円
同 28年度 4,362円
同 29年度 14,020円
同 30年度 31,671円
同 31年度 51,389円
同 32年度 112,643円
同 33年度 166,435円
同 34年度 237,521円
同 35年度 315,656円
前表により35年度の予算を32年に比すれば3倍、30年度に比すれば10倍、尚(な)ほ之を27年度に比すれば113倍以上に増加せり。是(こ)れ主として公有林・民有林に対する森林調査、林業巡回教師、苗木養成、植樹奨励に充つる経費なりとす。余輩是れを以(もっ)て満足するものに非(あら)ずと雖ども、数年来如何(いか)に各府県に於て森林経営に熱中するに至りしやを想像するに、是れ我が国有林の整理と共に日本林業勃興の徴(きざし)として喜ぶべき現象であると信ずるのである。此公私有林の経覚と云ふのは、本邦今日林業の状態に照らし最も急務である。之れが適当なる施設をなすには、勿論(もちろん)多数の技術者を要するのは明白の次第である。地方経済で設立されたる学校の卒業生は進んで
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地方森林業に従事すべき職責あると共に、地方に於ても此種の学校の卒業生を利用せねばならぬ。全体(ぜんたい:もともと)森林管理と云ふのに就ては、日本の国有林・御料林に於ては組織が夫々(それぞれ)整ふて居るけれ共、公私有林に於ては夫等(それら)の機関組織が設けられてはない。併(しか)し将来林業の発達するに伴ひ、必ず恰(あたか)も国有林・御料林に於けるが如(ごと)く管理方法を設定し、之れに適当する技術者を配置さるゝ様になる時機到逹するであろうと思ふ。独乙(ドイツ)の如き百事整頓したる森林国に於てすら、一人の管理せる森林面積4,000町歩以内であると云ふ事である。之れに反し本邦の如き、是(こ)れより林業上諸般の施設をなすべき国に於ては、一人の管理区域は果して幾何(いくばく:どれほど)町歩の標準となすべきやは別問題として、今仮りに4,000町歩を標準とせば、吾が国の公私有林の面積700万町歩に対して1,800人以上の技術者を要する訳である。此他日本には森林に準じて同一の取扱をなすべき原野百万町歩あり。此原野の利用其他鉱山備林の経営、森林工業発達に伴ひ、何(いず)れも多数の森林技術者を要するに至るべし。
日本の森林経営をするに此の如く多数の技術者を養成せざれば、我が目的を達することが出来ないのである。是等の技術者養成の任に当る実業学校に於て殊に注意すべき要件を陳べやうと思ふ。
第一、我国の森林の状態が至る処(ところ)変化して居ると云ふことである。例を挙げれば、
木曽・吉野・天竜の様な樹種に於ても林相(りんそう:森林の形態や様相)に於ても、比類なき程の美良なる森林の現在するに反し、中国地方の如く荒涼寂漠たる観を呈する林地あり。又木曽の如きは完全なる木材の利用の方法を講ずるのが最も今日の急務である代はりに、他方に於ては絶対的に利用すべき原料を欠くのみならず、日常必需の薪炭を得るに苦しみ(注7)、林業上最も有害なる落葉採集を行ふ処あり。又造林事業の方面より見るも樹種の如きは、我国にて200余種の重要林木がある。気侯・地質・将来の利用等を考へ夫々(それぞれ)適当なる作業を取らねばならぬ。是(こ)ればかりでも中々容易な事ではない。地力の良好なる地方に於ては容易に成功し得べき造林事業も、荒廃せる地方に於ては砂防工事を営むにあらざれば其目的を達すること能(あた)はざる処あり。之れ故に日本全国の有様より見る時は、積極的に森林
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利用に重きを置かざる可(べか)らざる場所と、反対に造林と云ふことが大切なる処とがある。其他森林保護の種類・程度・経理上のこと等、各地同一の定規を以(もっ)て律す可らざることである。此関係は一地方に於ても各々(おのおの)状態を異にするのである。故に森林学校に於ては限りある時間内に多方面に通ずる素養を与へざる可らず。故に是には時間と学科との配当を適切ならしめ遺漏なからしめんことを要するのである。
第二は、学校の位置と云ふことであるが、従来各種の学校は多く都会の地に設けられてある。是れ種々なる点に於て便利あるによるべしと雖も、実業学校は他の中学・師範等と異なり、必ずしも繁華の地に設くる必要はないと思ふ。寧(むし)ろ実業に密接の関係ある場所に設置するのが善いと思ふ。併(しか)し同じ実業学校の中でも商業学校の如きは貨物の集散地たる都会の地に設くるの必要あるも、実業を主とする所の農業・水産或は森林学校等を都会の地に設くるの理由は少しもないのである。此点に就ては当校の如(ごと)きは全国に於て有名なる森林地に於て設けられたるは、適当なる位置を選ばれてあると信ずるのである。
第三は、学校に於て授くる所の学理は極めて実地に近よらしめねばならぬと云ふことである。即ち高尚なる学理の如(ごと)きは之を避け、実務に関連する教育の仕方を取らねばならぬと云ふことである。之に就ては次ぎに陳べる二つの事項の如きは、殊に大切なることであろうと思ふ。
イ、森林学校に於ては専門の学科を授けると共に普通学を科せねばならぬ。之れ普通学の素養あらざれば、専門学を理解する事能(あた)はざるのみならず、従って亦(また)之れが応用をもなすに足らざるべし。故に之れは極めて緊要なることゝ信ずるのである。
吾人は普通学科に就て可成(なるべく)全体にわたり正則に教授する心要は万々認めて居る処(ところ)なれ共、之は到底時間の許さない事である。此を以(もっ)て普通学は専門学に関係ある点に於て出来得る丈(だ)け詳しく、其他の点に於て簡略に或は全く略することあるも止むを得ないことであろうと思ふ。
例へて見たならば森林学校に於て植物学を授くるにも、森林樹木に縁故深き顕花植物の説明の如きは詳細にあたるべきも、隠花植物若(も)しくは水藻の如き
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は簡略にして宜(よろ)しかろうと思ふのである。
ロ、学理と林業の実務とは最も近よらしめねばならぬと云ふことである。抑(そもそ)も林業なるものは秋季より春季の間に於て最も多忙であつて、夏季に在つて寧(むし)ろ閑(ひま)である。此季節の中でも夫々(それぞれ)業務の順序があるので、たとひて見れば播種植樹の事業は春季、疎伐(そばつ:間伐)、枝下ろし等手入事業は秋冬の季節に行ひ、伐木・造材・運搬又秋冬の季節を可とす。此故に学校に於て授くる処の学理は、業務の時期に一致せしむと云ふことが肝要であろうと思ふ。此の如(ごと)くなすとき学生は学理を授かると共に、直に之れを実検し観察することを得るのである。小なるが如しと雖も、森林学校に於ては是等(これら)の点に就て注意すべきことである。
第四は、実習に重きを置かねばならぬと云ふことである。将来の林業経営と云ふことが大切であるから、多く精神的の労力を要するに至るべきは勿論(もちろん)なれ共、去りとて肉体的労力を疎(おろそか)にすべきに非(あ)らず。日本の如き人工造林の必要ある処に於て殊(こと)に必要があろうと思ふ。学校の卒業生は世の所謂(いわゆる)実業家に及ばないとか、或は学理と実地とが一致しないとかの僻論(へきろん:かたよっていて道理にあわない議論)は、学生に肉体的労力の素養が足らないことも多少関係するのであろう。故に学生は他日進んで業務の指導者となり、模範者となるの覚悟なかる可(べか)らず。故に学校に於ては適当なる実習地を設けて、平素勤勉の美風を養成し、充分実務に長ぜしむる様方針を取らねばならぬ。即ち林業に在りては経営に必要なる林地と造林に必要なる林地と及び苗圃(殊に試験的苗圃)は是非設備を要するのである。
第五は、修学旅行の必要なることである。林学は観察の学問である。机上に於ての修養のみを以て効果を挙ぐることの出来ないものであると云ふ事は、前に述べたる処(ところ)によつて推して知らるゝのである。殊に日本の森林の状態が各地至る所変化して居る事実は、一層其必要を認むるのである。学生が他日働くべき舞台が一局部に限らるゝならば、左程(さほど)大なる関係もあるまいけれども、舞台広ければ広い程各地の事情に通ぜざれば不都合である。例へて見たならば天然林の林相、之れが更新又は伐木運材事業は木曽森林に勝る処(ところ)はないけれども、人工林の最も集約なる吉野森林の如(ごと)き、又は経済的林業を以て有名なる天
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竜の森林の如き、又技術的に経営されつゝある処の清澄山林の如きは、今後の日本の森林を経営するには是非模範とせねばならぬ。之に反し森林荒廃地に於ける砂防工事・営林の方法の如きは、殊に施業順序等に精通せざる可(べか)らず。如何(いかん)となれば我国の山林は林地の回復を図るには、最早単純なる人工造林により其目的を達する事能(あた)はざる程、荒廃せる林地多きが故である。故に学校に於ては時間と経済の許す限りは、進んで修学旅行を行はねばならぬ。之れ決して風物を観光するが如き無意味のものにあらずして、森林学校に於て実際に欠くべからざる重要なる事である。
第六、中等教育の森林学校・農学校は主として農家の子弟に実業を教ふる場合が多い。されば其専門科以外に地方特種の実業学科を付加すべき必要ある場合があろう。森林学校に於て農学大意を授くるが如き、又信州の如き養蚕地方に於ては蚕業大意を加へても差支(さしつか)へあるまいと思ふ。是(これ)に就て特に注意すべきは森林と工業との関係である。方今(ほうこん:ちょうど今)工業の発達に伴ひ著しく木材を消費するに至れり。之れは欧州の事実に照すも明白なる事である。英国は勿論(もちろん)彼の独乙(ドイツ)国の如きは世界第一の林業先進国でありながら、年々木材を輸入すると云ふは自国工業の発達によると云ふ。現に我国の如きも製紙事業の如き、燐寸(マッチ)事業・竹器製造の如き多量の原料を消費する工業が興つて居る。独り之れのみならず、林産物を原料として営み得べき工業種類は沢山ある。工業は原料に豊富ならざる可(べか)らず。森林は不断永久に多量の木材を生産することを得るを以て、工業の原料を供給するには最も適当なるものである。吾人(ごじん)は森林を造成するの天職を有すると共に、他方に於ては之れが利用を講ぜねばならぬ。此点よりして林産物に関係ある地方特種の工業、若しくは将来有望なる所の工業の種類を選び、森林学校に加設することは極めて必要なる事ならんと信ずるのである。
以上は予(よ:自分自身を指す語)が本校の経営上に就て平素抱負する処の卑見(ひけん:愚見。自分の意見の謙称)の大要である。若(も)し之れが適当なる施設の方法に就ては深く研究を要することであるけれども、聊(いささ)か会員諸君の参考に供せんが為に私の考へを述べたのである。
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