写真8 本多庸一
「封建の世は知らず、今日は全国一家の如く三千五百万同胞を称するの時なり 文運日に新に、月に進み、各県互いに先を争う秋(とき)なり」と今や封建割拠の時代でなく、日本は近代国家として国民的統一のもとに文明開化の道を各地方競争しながらひたすら歩んでいることを述べ、それにつけてもわが青森県が他に劣る状況に心が痛む。さりとて浅学の身ゆえ「敢て妄(みだ)りに時事を談ぜす、謹慎忍耐年を累(かさ)ねること二、三のみならんや」と郷党の仲間の奮起を何年も待ったことをるる述べる。しかし「木鐸(ぼくたく)をもって任じ、権利、自由の重んずべきを説き、人心を煥発(かんぱつ)して昭代の治化に副うことを勉むる者あるを見ず」、しかして「風俗日に壊敗して志気月に萎靡(いび)し、自治の制度を見て喜ばず、圧制の処置を受けて恥じ」ない。今にして心ある者が立ち上がらないと「永く貧陋卑屈(ひんろうひくつ)の郷となり天下に奴隷視せられんのみ」。これを座視できないゆえ、共同会のメンバーが自由の権利の説を唱えた。また、一部に軽薄の徒がおって、いたずらに官に抗するを権利と思い、道徳に外れることを自由と言って若者を惑わすが、その徒の論を破るのが共同会の目的であると説明している。
これは、本多ら東奥義塾のグループが東奥共同会を作って自由民権運動を進めたことに対する弘前の保守士族の反撃-いわゆる弘前の紛紜事件に際し、旧藩主家へ出した弁明の書の冒頭の文である。
明治十四年六月四日の『青森新聞』に東奥共同会の会則が掲載されている。その主義は、東奥の人民一致協同して国権を伸暢(しんちょう)し、日本帝国の安全を図るを主眼とし、第二に民権を伸暢し、生命財産の安全を図る。会員は何人を問わず主義に賛同するものであればよい。その活動内容は、一、自治の道を同じうせんが為め生産の業を興す、二、自由の理を講ぜんが為め法律の科を設く、三、主義を拡張せんが為め演説会を開く。生産とは桐、桑、楮を植えて自活することであり、これが後には士族のりんご栽培となった。法律科は内外の法律を勉強することで、併せて会員中権利を侵害されている者があれば助けることである。
東奥共同会の主要メンバーは、菊池九郎、本多庸一のほか榊喜洋芽(さかききよめ)、田中耕一、伴野雄七郎(とものゆうしちろう)、今宗蔵、服部尚義、館山漸之進、斎藤璉(たまき)で、会長は斎藤だったが、実際の指導は菊池、本多だった。会は、毎週土曜日に演説会を開いて時事問題などを議論した。共同会の会員は中年以上が多かったので、その漸進性に飽き足らない血気の青少年は東洋回天社を結成、旧城内に集まって悲憤慷慨し、気炎を上げた。奈良誠之助、石郷岡文吉らである。しかし一般人は、身代を破り、斗酒なお辞さぬ慷慨家や壮士的人間を拒否した。
表2 政治関係年譜 |
元号 | 西暦 | 月 | 事項 |
慶応 4 | (1868) | 3 | 五箇条の御誓文発布 |
明治 2 | (1869) | 4 | 版籍奉還 |
4 | (1871) | 7 | 廃藩置県 |
9 | 野田豁道 弘前県大参事に任命さる | ||
9 | 弘前県を青森県と改称 | ||
11 | 菱田重禧 青森県権令に任命さる | ||
6 | (1873) | 5 | ~俸禄問題を巡り士族と県当局の間に紛争起こる |
8 | 権令菱田重禧免官となり、後任に北代正臣発令さる | ||
7 | (1874) | 1 | 民選議院設立建白 |
4 | 県士族の集会・論議禁止の布達 | ||
8 | (1875) | 6 | 東奥義塾生工藤覚蔵、国会開設を建言 |
9 | (1876) | 2 | 最初の県会が開かれる |
8 | 家禄全廃さる | ||
8 | 山田秀典 青森県令に任命さる | ||
10 | (1877) | 1 | 西南戦争起こる |
11 | (1878) | 9 | 町村戸長公選法布達 |
12 | (1879) | 3 | 公選議員による第1回県会開催さる |
8 | 町村会規則布達 | ||
▲ | 菊池・本多ら共同会を創設し、自由民権運動を起こす | ||
14 | (1881) | 10 | 山田県令 弘前地方の保守・革新両派に団結を促す |
11 | 笹森中津軽郡長辞職、大道寺県会議長県議辞職〈弘前の紛紜起こる〉 | ||
15 | (1882) | 1 | 山田県令東京にて客死す |
16 | (1883) | 4 | ~5月共同会解散さる |
20 | (1887) | ▲ | 中央政界にて大同団結運動起こる |
21 | (1888) | 7 | 鍋島県令の官報記事を問題として無神経事件起こる |
8 | 後藤象二郎来弘 | ||
22 | (1889) | 2 | 帝国憲法発布 |
4 | 弘前市制施行 | ||
5 | 第1回市会選挙 | ||
5 | 市会、菊池九郎を初代市長に選ぶ | ||
23 | (1890) | 7 | 第1回衆議院議員選挙 |
▲印は、年の全般にわたるものである。 |