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火災

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 札幌は本府建設当時以来火災が多く、開拓使が不燃建造物を奨励したことは第五編九章でも触れた。出火原因は炊事用の竈(かまど)からがもっとも多く、ことに冬期間は暖房用の炉・炬燵やストーブからの出火が多く、春先は強風にあおられて野火が発生しやすかった。このため十六年の場合には、全焼家屋五六戸、半焼家屋一五戸、焼失面積七八二坪にもおよんだ(札幌県統計書)。
 道庁設置以後の札幌市街は、人口稠密で人家の家並がならび、空地が少なくなってきたため一度火災が発生すると被害も大きくなった。
 二十年以降三十二年までの主な火災を当時の『北海道毎日新聞』等から拾いあげ、年代順に示したのが表26である。
表-26 札幌におけるおもな火災(明治二十~三十二年)
年月日概要
20・ 9・30南一西九、せんべい屋より出火。類焼五棟七戸。
21・ 2・27札幌郵便電信局焼失。
3・18南三西二、五十集業水野銀造方より出火。罹災家屋一一〇棟、うち全焼一〇二棟、半焼八棟。
10・30札幌女子職業学校茶の湯座敷より出火、全焼。
22・ 8・11八月十一日より九月十四日頃まで札幌市街及び豊平村にかけて放火事件相次ぐ。
23・ 2・ 7山鼻外一カ村戸長役場山鼻小学校焼失。
24・ 5・ 5五月五日より六日にかけ強風のため篠路・札幌・琴似村字新琴似の三村野火発生。焼失家屋札幌村三七戸、新琴似兵村七戸、篠路村一一戸、焼失原野二里四方。
12・ 9北海道尋常師範学校、同附属小学校全焼。
25・ 3・  北海道製麻会社出火。
4・ 1札幌郵便電信局出火。
5・ 4五日にかけ南三西四、服部文諾方より出火。烈風にあおられ四方に延焼。南三条北側より大通以南、新川通より西二丁目間の家屋ことごとく全焼。延焼戸数八八七戸。このため札幌警察署、北海道毎日新聞社、札幌創成小学校札幌女子小学校、札幌地方裁判所、札幌区裁判所も類焼。
27・11・25南一西三、旅人宿(旧区役所の建物)より出火。七棟一〇戸を類焼。石油ランプが原因。
28・ 3・ 4豊平村一一番地飲食店魚口サト方より出火。全焼二戸、半焼一戸。
5・13南五西一、藪惣七所有長屋より出火。全焼五戸、半焼六戸。原因は子供の火遊び。
7・21豊平村荒物商及川栄八方より出火。全焼一五戸、半焼四戸、半潰二戸、焼失面積四八〇坪余。
8・12白石村番外地真柄七右衛門所有木挽小屋より出火。全焼。
10・ 1手稲村番外地畑中由蔵方より出火。全焼五戸。
10・21白石村番外地酒井伊三郎方より出火。全焼。
11・ 1上手稲村三五番地内馬場仲良方蚕室より出火。半焼。
11・20丘珠村番外地岩田三右衛門方より出火。全焼。
12・17南二西二、伊藤辰造所有の空家より出火。一一四戸を焼失。
29・ 4・27六月中旬にかけて各地で山火事発生。平岸村石山山鼻村八垂別官林、円山官林、上手稲官林、発寒官林、簾舞御料林等一万五〇〇〇町歩を焼失。
8・27北七西一、対島嘉三郎所有長屋一棟六戸全焼、一戸半焼。製麻会社職工の宿舎。
この年市街失火八八件、放火七件、焼失一九九戸。
30・ 1・12北八東一、飲食店高田良助方より出火。二棟五戸全焼。一戸半焼。
5・ 3四日にかけ南四東一より出火。一五〇戸焼失。
7・10琴似村斎藤粂造方より出火。全焼。
9・30北四東一、八田忠居亜麻屑工場より出火。全焼六棟一一戸、半焼三戸、潰屋二戸。
31・ 4・24平岸村五八番地稲垣源太郎方より出火。二戸全焼。塵芥焼却の火が原因。
7・10山鼻村東本願寺境内真宗学館附属宿舎炊事場より出火。一棟四九坪焼失。舎監一人火傷。
10・15豊平村五、六戸焼失。
11・18製麻会社雁来製綿所亜麻貯蔵小屋全焼。死者一人。豊平村四二番地阿部文吉細工小屋より出火。八戸全焼。
12・ 8南一西三、野原商店野原昌三方より出火。全焼三棟五戸。半焼三戸。
32・ 3・15北一東一、酒造業佐伯弥市方より出火。死者一人。
5・ 9白石村農家より出火。二戸焼失。白石神社焼失。
6・13南六西一、材木商大国元輔方より出火。家屋、木挽小屋全焼。