目次
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日義村誌 歴史編上巻
[目次]
編集:日義村誌編纂委員会
出版:日義村誌編纂委員会 1998年
『日義村誌 歴史編上巻』 目次
目 次
ページ
第一章 原始・古代の生活
1
第一節 遠い昔への思い
3
一 血が呼ぶルーツ
3
自分史
家の歴史
血のふるさと
二 考古学から探る
4
考古学
文化財保護法
時代区分
旧石器時代
縄文時代
時代変遷と区分
弥生時代
古墳時代
飛鳥・奈良時代
平安時代
鎌倉時代以降
三 村内での遺跡調査
16
木曽の先駆者
信濃教育会西筑摩部会
研究者の来郡
戦後の考古学ブーム
村内での発掘調査
四 木曽の遺跡分布と村内の遺跡
23
木曽の遺跡
村内の遺跡
村の地形
山間地の遺跡
段丘部の遺跡
木曽駒高原部
五 遺跡を、自然を大事に
34
進む科学で
豊かな自然
第二節 山野に食料を求めて
35
旧石器・縄文時代
一 北から南からの移動する人たち(旧石器時代)
35
大型獣を追って
二 シカ・イノシシを追った人たち(縄文時代草創期・早期)
37
弓矢の発明
土器の発明
考古学のアルファベット
押型文土器
三 平底土器をつくった人たち(縄文時代前期)
41
安定した土器
灯のある家
縄文海進
山の土器・海の土器
四 雑木林の豊かな食料を求めた人たち(縄文時代中期)
43
森は母
拠点のムラ
マツバリムラ
キャンプ地
ムラの一年
竪穴住居
飾られた土器
多量の石器
五 川沿いのムラに住む人たち(縄文時代後期・晩期)
54
気候の寒冷化
川沿いのムラ
一変した土器
縄文人
共同墓地
身体装飾
第三節 農業にいどんだ人々
59
一 新天地を求める人々(弥生時代前期)
59
弥生人
中部高地への波及
二 中部高地と濃尾平野の交流(弥生時代中期)
61
平野の土器
高地の土器
大陸系石器
三 農業技術の向上(弥生時代後期)
64
高原の遺跡
櫛描き文の甕
四 ヤマト政権の進出(古墳時代・奈良時代)
65
首長から大王
古墳のない木曽
土師器の発見
第四節 美濃国恵那郡から信濃国大吉祖荘へ
67
一 美濃国恵那郡絵上郷
67
古代は美濃国
恵那郡絵上郷
二 東山道と吉蘇路
73
東山道
木曽谷より伊那を
吉蘇路
逃亡する駅子
三 農民の負担と逃亡
77
物納
労役
兵役ほか
逃亡農民
容隠の輩
容隠の地
四 吉蘇村と小吉蘇村
81
二つの村
郷の人口
五 お玉の森遺跡
83
北部最大の遺跡
竪穴住居址
大きさと群
物持ちの家
土器にみる特色
鉄器のいろいろ
小鍛冶
墨書土器
多様な生業
六 信濃国大吉祖荘
96
勇敢な者
信濃につながる八稜鏡
信濃なる木曽
信濃国大吉祖荘
開発領主中原氏
第二章 中世の動き
103
義仲と木曽氏
第一節 中世の遺跡
105
一 宮の原(元宿)遺跡
105
元宿
遺構
多い陶磁器
用途別陶磁器
鉄器・鉄滓
渡来銭
二 お玉の森遺跡
109
遺構
遺物
三 元原遺跡
110
中世の地割
屋敷跡
陶磁器
その他
四 村内のほかの中世の遺跡
114
小沢原の地下式坑
中世陶磁器の出土鉄鍋
古い地名
五 豊かな村
116
豊富な器種と量
木曽路の宿
百姓は農民ではない
第二節 木曽義仲の生誕から没落まで
118
一 概説
118
二 義仲の生い立ちと日義村
123
義仲の生い立ち
駒王丸木曽に逃れる
中原兼遠の養育
元服後宮の原の館に移る
三 以仁王の令旨
128
1 平氏打倒の動き
保元・平治の乱
鹿の谷の謀議
後白河法皇と清盛の確執
平氏政権の危機
行家の経路
2 以仁王国城寺に逃れる
以仁王の危機
園城寺攻め
六波羅攻め
山門牒状と南都牒状
平等院の戦
3 義仲の挙兵と社会背景
義仲の挙兵と源氏の動き
市原の戦
義仲上野国にはいる
義仲の武士団
四 義仲の上洛進路
140
1 木曽から依田城へ
依田城への経路
2 横田河原の戦
『玉葉』に見る戦の記述
義仲の武士団
3 義仲越後の国府に入る
越前水津の戦
城資永出羽に逃れる
4 義仲と在地領主
義仲の下文
義仲の在地領主支配
得田文書
5 義仲と頼朝不和となる
武田信光の讒言
頼朝十万余騎で信濃に向う
6 般若野と倶利伽羅峠の戦
般若野の戦
倶利伽羅峠の戦
木曽願書
砥浪山の合戦
7 篠原の戦
手塚太郎光盛・斉藤別当実盛を討つ
8 木曽山門牒状と返牒
山門牒状
百済寺義仲に兵米を送る
山門僉議牒状
五 義仲の入京と栄進
155
1 義仲の入京
平家山門連署
義仲勢比叡山に登る
2 平家の都落
後白河法皇比叡山に身を隠す
六波羅・西八条灰燼となる
3 義仲、院宣を奉り京中を支配する
義仲・行家法皇に拝謁
義仲京中を守護する
京中の狼藉
都の飢饉
4 義仲の栄進
朝日将軍の称号を賜る
5 以仁王の御子と義仲
北陸宮
北陸宮の消息
6 頼朝の密奉
頼朝の戦略
養和元年の密奉
寿永二年十月の密奉
閏十月十三日の密奉と宣旨
7 水島の合戦
義仲都を発つ
義仲帰京する
8 法住寺合戦
戦の誘因
今井四郎兼平の忠告
義仲の嘆き
法住寺攻めの真相
合戦の顛末
六 義仲と頼朝の対決
170
1 後白河法皇の策謀
頼朝に上洛を促す
法皇王朝存続に不安を抱く
義仲平氏と和平を策す
2 義仲の最後
征夷大将軍の宣旨
貴女の遺を惜しむ
粟津原の決戦
『平家物語』に見る記述の特徴
3 木曽義仲の評価(史観と人物像)
義仲史観と人物像
七 義仲をめぐる人々
178
源義賢
小枝御前
中原兼遠
源行家
根井行親
樋口次郎兼光
今井四郎兼平
楯六郎親忠
斉藤別当実盛
大夫坊覚明
義仲の兄仲家
義仲の妻伊子
義仲の妹宮菊
巴御前
山吹姫
葵御前
附録 附録
木曽氏の系譜
木曽義仲年表
第三節 木曽氏とその子孫
193
一 概説
193
二 義仲の子ども
198
1 清(志)水冠者義高(隆)
人質として鎌倉へ
義高鎌倉から逃れる
大姫義高の死を悲しむ
義高と『吾妻鏡』の謎
義高の首塚
義高生存説
2 義重(二男)
義重の系譜
鬼無里の安吹屋に隠れる
広島県向島に隠れる
3 義基(三男)
4 義宗(四男)
5 鞠子
二代将軍頼家との関係
竹の御方と将軍頼経
三 暦代の木曽氏
209
1 義茂(三代)
2 基家(四代)
3 家仲(五代)
4 家教(六代)
5 家村(七代)
本領の木曽を安堵される
家村と荘園領主
家村の子ども
長男義親
次男家昌
三男家景
四男家光(満)
五男家重
6 家道(八代)
7 家頼(九代)
8 家親(十代)
9 親豊(十一代)
10 信道(十二代)
11 豊方(十三代)
12 家賢(十四代)
13 家豊(十五代)
14 義元(十六代)
15 義在(十七代)
黒川三郎の養育を受ける
義在の妻と小笠原氏
16 義康(十八代)
武田氏と接触
信玄の木曽侵略
小沢川の戦
武田氏と盟約を結ぶ
17 義昌(十九代)
武田家との盟約を破棄する
鳥居峠の戦い
岩姫処刑
義昌深志城主となる
徳川家康と盟約を結ぶ
家康と離れ秀吉に走る
貞慶、義昌の虚を突く
妻篭城の戦い
小田原北条攻め
網戸に移封となる
木曽義昌の晩年
18 義利(二十代)
第四節 木曽氏の改易とその家臣
242
義利追放となる
義昌の室真龍院
一 改易後の木曽氏とその家臣
244
義昌従士名
木曽氏の旧領と山村氏
第三章 近世の村の生活
251
第一節 木曽の幕藩支配の成立
253
一 織豊政権と木曽
253
近世とはいつのことか
信長・秀吉と木曽
二 徳川政権と木曽
255
徳川家康と木曽衆
尾張藩領への変化と山村氏
三 村のしくみと村政
259
村のしくみと村役人
宮越村と原野村の村役人
村役人一年間の主な働き
多忙な生活の一端から
落馬負傷者の対応に苦慮
負担の大きい公役・村役
村の財政とやりくり
キリスト教禁制で宗門攻め
「松本大変」の浪人家族が宮越村へ
四 年貢と検地
282
木曽谷住民への初期の年貢
木曽の木年貢とは
享保九年の検地と宮越村原野村
納物・木年貢の廃止
綿布役銀による備荒貯蓄
第二節 街道と宿場
294
一 中山道と宿場の成立
294
幹線道路としての中山道
宮越宿が設けられる
一里塚・高札と掃除の分担
宿駅のしくみと働き
-1 問屋
-2 年寄
-3 帳付・馬指・人足指
-4 宿役人への手当
二 伝馬役と人足役
305
負担の重い宿の人馬継ぎ立て
伝馬・人足の賃銭
伝馬改めと飼育の苦労
原野と菅が木曽寄人馬で応援
上四宿の助郷は隣の筑摩郡から
三 休泊施設と通行
319
本陣・旅篭屋と休泊費用
宿場はマチでもあった
大通行で宿場は大変
大名にそばきりを振る舞う
善光寺本尊も遊行上人も通った
姫君たちの通行
四 権兵衛峠
338
権兵衛峠の開削
峠路の開通と物資流通
萱ヶ平に番所を置く
五 牛方たちの働き
345
神谷の牛方のしくみと働き
牛馬士たちの要求
神谷の困窮と文之丞の直訴
出入り(争い)二件
-1 牛の売買をめぐって
-2 牛士と馬士の争い
第三節 木曽山と住民
352
一 木曽山と林政
352
木曽山支配の始まり
上松に材木役所が置かれる
林業労務者は杣と日用
育林事業に力を入れる
木曽山・五木の取り締まり
原野村と宮越村の山林
本丸材・伊勢遷宮材に関わる村の檜
木曽谷中の鉄砲攻め
二 山と住民の生活
368
明山・草山を頼りに
御免木とその移り変わり
お札木で橋を架ける
家作木・葺板と薪炭材の採取
漆の植樹と育成に力を入れる
巣山の設定と鷹と巣主
白木葺板の抜け荷事件
村方役人・山方役人の接待
第四節 村内外と家での生活
384
一 農業と生活
384
農民への取り締まり
農民の一年間の生活
-1 一年間の仕事
-2 養蚕
-3 薪炭
食料を補う切畑・焼畑
木曽谷の産物
用水の開削と新田開発
-1 征矢野孫左衛門による開発
-2 征矢野勘左衛門による開発
-3 征矢野三羽の開発
-4 斉藤半左衛門の開発
原野村内の倹約申し合わせ
幕末における宮越村のとりきめ
二 木曽馬の生産と馬市
405
木曽の毛付馬の制度
人気の高い木曽の牝馬
神谷と荻曽村の馬をめぐる争い
三 農間稼ぎ
410
村の人々の諸稼ぎ
外稼ぎに出た大工や木挽
大工頭と木曽の大工仲間
大工職と木挽職の諸届
牛稼ぎは「岡船」と呼ばれた
四 鰍沢杣死亡事件の顛末
418
甲州鰍沢で事件発生
宮越宿役人を江戸へ呼び出し
江戸の奉行所での吟味
判決で一件落着と費用
五 人別改帳・女手形控帳からみた村の姿
429
縁組で家の継続
家族と掛り人
村の子どもの姿
女性の地位は低かった
奉公に出る娘たち
奉公人いぬさんの死
寺子屋で学ぶ子どもたち
六 災害・飢饉を乗り越えて
443
宿場には火災が多かった
防火対策と幕藩の布令
嘆願書と藩の救恤措置
記録にみえる水害や冷害
水害や冷害による凶作と飢饉
-1 寛永の飢饉
-2 明和の木曽騒動
-3 享保の飢饉
-4 天明の飢饉
-5 天保の飢饉
第五節 信仰の姿
457
一 村の鎮守と檀那寺
457
義仲城山を背に南宮神社
義仲旗挙げの八幡社
原野村村社の八幡宮
義仲の菩提寺の徳音寺
中原兼遠の菩提寺の林昌寺
神主の神道葬願をめぐって
二 村人の多彩な信仰
464
三十三所観音札所(霊場)巡礼信仰
馬頭観音と大日如来の信仰
庚申信仰が盛ん
地蔵信仰の広がり
伊勢信仰と御師たち
三 信仰と行楽の旅
472
旅の支度と持ち物
往来手形が必要だった
木曽谷住民用の日帰り女手形
宮越女性の社寺参詣と湯治
第六節 幕末の動乱の中で
482
一 幕藩体制の破局
482
開国と政局の転換
皇妹和宮降嫁で中山道通過
下級武士の抬頭と幕府の衰退
征東軍の木曽通過
二 戊辰戦争下の原野と宮越
491
北越戦争での尾張藩と木曽
尾張藩・松代藩などの進攻
宮越宿千村宅右衛門の活躍
北越戦争の進展
三 村の困窮化と新しい動き
500
北越戦争で村の困窮化進む
上四宿を巻きこんでの木曽騒動
第七節 文献にみる近世の「日義村」
506
『吉蘇志略』の原野と宮越
『木曽巡行記』の原野・宮越
「中山道宿村大概帳」にみる宮越宿と原野村
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