第三節 注および引用・参考文献

343 ~ 349 / 425ページ
(1)安田喜憲 『環境考古学事始』 NHKブックス三六五 一九八〇年

(2)江坂輝彌 「海岸線の進退から見た日本の新石器時代」『科学朝日』一四-三 一九五四年

(3)森浩一・佐原眞監修 『考古学の世界(第一巻北海道・東北)』 ぎょうせい 一九九三年

(4)青森県教育委員会 『表館(1)遺跡発掘調査報告書Ⅲ』(青森県埋蔵文化財調査報告書一二〇) 一九八九年

(5)青森県教育委員会 『発茶沢(1)遺跡Ⅳ』(青森県埋蔵文化財調査報告書一二〇)  一九八九年

(6)青森県教育委員会 『鴨平(2)遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書七三) 一九八三年

(7)青森県教育委員会 『櫛引遺跡か』(青森県埋蔵文化財調査報告書 二六三)  一九九七年三月

(8)相原淳一 「日計式土器群の成立と解体」『赤い本』 赤い本同人会創刊号 一九八二年

(9)江坂輝彌 「青森県八戸市白浜遺跡」『日本考古学年報』四 一九五五年

(10)江坂輝彌 「青森県八戸市小舟渡平遺跡」『日本考古学年報』四 一九五五年

(11)江坂輝彌 「青森県三戸郡館平遺跡」『日本考古学年報』七 一九五八年

(12)青森県教育委員会 『中野平遺跡・向山(4)遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書一三四) 一九九一年

(13)江坂輝彌 「縄文文化の起源の研究」『史学』二九-二 一九五六年

(14)青森県立郷土館 『小田野沢-下田代納屋B遺跡発掘調査報告書』(青森県立郷土館調査報告〈考古〉一) 一九七六年

(15)江坂輝彌 「青森県下北郡東通村尻屋物見台遺跡調査報告」『考古学雑誌』三六-四 一九五〇年

(16)青森県教育委員会 『千歳遺跡(13)発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書三七) 一九七六年

(17)青森県教育委員会 『売場遺跡発掘調査報告書第1次~第4次』(青森県埋蔵文化財調査報告書九三) 一九八五年

(18)佐藤達夫・渡辺兼庸 「青森県上北郡出土の早期縄文土器」『考古学雑誌』四三-三 一九五八年

(19)佐藤達夫ほか 「青森県上北郡早稲田貝塚」『考古学雑誌』四三-二 一九五七年

(20)江坂輝彌 「青森県三戸郡大館村十日市字赤御堂貝塚の調査」『日本考古学協会研究発表要旨』一八 一九五六年

(21)青森県教育委員会 『長七谷地貝塚』(青森県埋蔵文化財調査報告書五七)  一九八〇年

(22)A (4)に前掲

  B 名久井文明 「青森県芦野遺跡の土器群について」『考古学雑誌』五七-二 一九七一年

(23)石橋孝夫・工藤義衛ほか 『石狩町上花畔地区宅地開発事業に伴う埋蔵文化財調査報告書-紅葉山砂丘内陸側低湿地における考古学的調査』 北海道石狩町教育委員会 一九九二年

(24)山本正敏 「富山県朝日貝塚」『探訪縄文の遺跡 東日本編』 有斐閣選書三三 一九八五年

(25)能都町教育委員会・真脇遺跡発掘調査団 『石川県能都町真脇遺跡』 一九八六年

(26)酒井忠純・江坂輝彌 『吹浦遺跡』 庄内古文化研究会 一九五五年

(27)中村孝三郎編 『馬高、No.1(近藤編)』(長岡科学博物館研究調査報告書二) 一九五八年

(28)A 石川日出志 「朝日下層式土器」『縄文時代研究事典』 東京堂出版 一九九四年

  B 小島俊彰 「福浦上層式・朝日下層式土器」『日本土器事典』 雄山閣出版 一九九六年

(29)藤森栄一 『縄文式土器』 中央公論美術出版 一九六九年

(30)鈴木保彦 「勝坂式土器」『縄文土器大成』二 講談社 一九八一年

(31)菅正敏・飯田勇 「稚内オニキリベツ遺跡第一次発掘調査報告書」『北海道考古学』九 一九七三年

(32)三浦正人 「上泊3遺跡」『礼文島幌泊段丘の遺跡群』 北海道埋蔵文化財センター 一九八五年

(33)柏倉亮吉編 「主要遺跡解説-飛島・勝浦遺跡」『山形県史 資料編』一一(考古資料) 一九六九年

(34)高橋正勝 「北海道における縄文時代中期の終末」①②『北海道青年人類科学研究会誌』九・一〇 一九七二年

(35)A 青森県教育委員会 『三内丸山(2)遺跡Ⅱ』第一・第二分冊 (青森県埋蔵文化財調査報告書一五七) 一九九四年

  B 青森県教育委員会 『三内丸山遺跡Ⅴ』(青森県埋蔵文化財調査報告書二〇四) 一九九六年

  C 青森県教育委員会 『三内丸山遺跡Ⅵ』(青森県埋蔵文化財調査報告書二〇五) 一九九六年

  D 青森県教育委員会 『三内丸山遺跡Ⅶ』(青森県埋蔵文化財調査報告書二二九) 一九九七年

(36)宮本長二郎 『町遺跡出土の建築部材』 小矢部市教育委員会一般公開資料 一九九七年

(37)(12)に前掲

(38)(35)に前掲

(39)秋田県教育委員会 『杉沢台遺跡・竹生遺跡発掘調査報告書』(秋田県文化財調査報告書八三) 一九八一年

(40)(35)に前掲

(41)渡辺誠 「雪国の縄文家屋」『小田原考古学研究会会報』九 一九八〇年

(42)相原康二 「岩手県西田遺跡」『探訪縄文の遺跡 東日本編』 有斐閣選書三三 一九八五年

(43)小畑厳 「秋田県鹿角市高屋館跡」『日本考古学年報』四二 一九九一年

(44)秋元信夫 「秋田県大湯環状列石周辺遺跡」『日本考古学年報』四〇 一九八九年

(45)八戸市教育委員会 『風張(1)遺跡Ⅱ』(八戸市埋蔵文化財調査報告書四二) 一九九〇年

(46)尾関清子 「縄文時代の編みと織りの復原」『企画展よみがえる縄文ファッション』 秋田県立博物館 一九九七年

(47)石原道博編訳 『新訂 魏志倭人伝 他二篇』 岩波文庫 一九九六年 六三刷

(48)鈴木尚 「相模平坂貝塚人骨について」『人類学雑誌』六一-三 一九五〇年

(49)星川清親・千原光雄 『食用植物図説』 女子栄養大学出版部 一九七八年

(50)渡辺誠 「縄文時代の食料」『歴史公論』五-二 一九七九年

(51)(1)に前掲

(52)中野益男 「残留脂肪酸による古代復元」『第3回「大学と科学」公開シンポジウム講演収録集、新しい研究法は考古学になにをもたらしたか』 一九八九年

(53)江坂輝彌 「三戸郡大館村十日市赤御堂貝塚調査略報」『奥南史苑』二 一九五七年

(54)小片保・村越潔 『青森県二ッ森貝塚発掘調査概報』 青森県教育委員会 一九六三年

(55)山崎幹夫 『毒の話』中公新書 七八一 一九九五年 二〇版

(56)(55)に前掲

(57)成田伝蔵・山田耕一郎 『青森県のきのこと山菜』 東奥日報社 一九七五年 三版

(58)渡辺武 『薬用植物』 駸々堂ユニコンカラー双書 〇四八 一九七七年

(59)(36)に前掲

(60)A 喜田貞吉・杉山寿栄男 『日本石器時代植物性遺物図録』 刀江書院 一九三二年

  B 保坂三郎編 『是川遺跡出土遺物報告書』 八戸市教育委員会 一九七二年

(61)A 鳥浜貝塚研究グループ編 『鳥浜貝塚-縄文前期を主とする低湿地遺跡の調査1』 福井県教育委員会 一九七九年

  B 森川昌和ほか 「福井県鳥浜貝塚」『探訪縄文の遺跡 西日本編』 有斐閣選書三四 一九八五年

(62)今村啓爾 「称名寺式土器の研究」『考古学雑誌』六三-一・二 一九七七年

(63)戸沢充則 「千葉県堀之内貝塚」『探訪縄文の遺跡 東日本編』 有斐閣選書三三 一九八五年

(64)後藤和民 「千葉県加曽利貝塚」『探訪縄文の遺跡 東日本編』 有斐閣選書三三 一九八五年

(65)A 吉田義昭編 『門前貝塚』(盛岡市公民館郷土資料館報告) 一九六〇年

  B 熊谷常正 「門前式土器の検討」『岩手県立博物館研究報告』四 一九八六年

(66)伊東信雄 「古代史」『宮城県史』一 一九五七年

(67)後藤勝彦 「縄文後期宮戸1b式周辺の吟味」『東北の考古・歴史論集』 一九七四年

(68)今井富士雄・磯崎正彦 「十腰内遺跡」『岩木山』 弘前市教育委員会 一九六六年

(69)名取武光・峰山巌 「入江貝塚」『北方文化研究報告』一三 一九五八年

(70)青森県教育委員会 『近野遺跡発掘調査報告書(Ⅲ)・三内丸山(Ⅱ)遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書三三) 一九七七年

(71)青森県教育委員会文化課三内丸山遺跡対策室 『第2回三内丸山遺跡発掘調査委員会-委員会議資料』 一九九七年

(72)A 岩手県埋蔵文化財センターほか 『上里遺跡発掘調査報告書』(岩手県埋蔵文化財センター文化財調査報告書五五) 一九八三年

  B 青森県教育委員会 『畑内遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書一七八)  一九九五年

(73)江坂・笹津・西村 「青森県三戸郡大館村蟹沢遺跡調査報告」『石器時代』五 一九五八年

(74)岡田康博・小笠原雅行君の教示による。

(75)笠井新也 「陸奥国発見の石器時代墳墓に就いて」『考古学雑誌』九-二 一九一八年

(76)市川金丸・村越潔ほか 『薬師前遺跡-縄文時代後期集合改葬土器棺墓調査』 倉石村教育委員会 一九九七年

(77)A 江坂輝彌 「青森市久栗坂山野峠遺跡」『考古学ジャーナル』一三 一九六七年

  B 村越潔 「北東北の葬制」『よねしろ考古』三 一九八七年

(78)齋藤忠編 『大湯町環状列石』(埋蔵文化財発掘調査報告二) 文化財保護委員会 一九五三年

(79)江坂輝彌 「縄文時代の配石遺構について」『北奥古代文化』三 一九七一年

(80)A 村越潔 「青森県の配石遺構-とくに環状列石について」『小牧野遺跡発掘調査報告書』(青森市埋蔵文化財調査報告書三〇)  一九九六年

  B 青森市教育委員会 『小牧野遺跡発掘調査報告書』(青森市埋蔵文化財調査報告書三〇) 一九九六年

(81)坪井正五郎 「雪中遮光器」『東京人類学会雑誌』六-六二 一八九一年

(82)藤沼邦彦 「遮光器土偶-静岡県上長尾遺跡」『歴史発掘 3 縄文の土偶』 講談社 一九九七年

(83)渡辺誠・南博史 『青森県石亀遺跡における亀ヶ岡文化の研究』(古代学研究所研究報告 五) 一九九七年

(84)吉崎昌一  「古代雑穀の検出-考古植物学的調査の展開」『考古学ジャーナル』三五五 一九九二年

(85)青森県立郷土館 『亀ヶ岡石器時代遺跡』(青森県立郷土館調査報告書-考古六)  一九八四年

(86)一九九二年、八戸市是川の風張(1)遺跡第三二号竪穴式住居跡(縄文後期末の十腰内Ⅴ式土器)床面の土壌を詳細に調べた結果、六粒のコメが発見され、そのコメの年代は、カナダのトロント大学イソトレイス放射性炭素(Radio Corbwn)測定により、西暦紀元前九二二年から三九三年の間に位置すると発表されている。

  An Accelerator Radio Carbon Date on Rice from the Kazahari site. Takehisa Kudo and A.C. D'Andrea.91 Project Seeds News NO.3 1992.

(87)中島直幸・田島龍太ほか 『菜畑遺跡』(唐津市文化財調査報告五) 一九八二年

(88)山崎純男 「福岡市板付遺跡の縄文時代水田址」『月刊文化財』 一八一 一九七八年

(89)高橋護 「縄文時代の籾痕土器」『考古学ジャーナル』三五五 一九九二年