また、表中の「知行取之分」など町支配の下部組織が、三〇~五〇石取の小知行層を取り立ててゆくことで、しだいに表29にみえるような下級の町役人層が形成されていったと思われる。ただし、彼らが城下特権商人層を形成した形跡はなく、あくまでも町役人として、次代を迎えることになった。
表29 弘前における町支配担当者の由緒 |
町支配の職 | 出身 | 召し抱え時点 | 高 | 扶 持 拝 領 時 |
町年寄 町年寄 町年寄手 | 近江 近江 本城 | 為信代 為信代 万治3年 | 100石 100石 30石 | 為信代 (大坂浪人) 為信代 (浪人) |
知行取之分 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 同 | 津軽 津軽 越前 山城 近江 津軽 津軽 津軽 津軽 津軽 津軽 近江 | 万治2年 為信代 為信代 為信代 信枚代 為信代 為信代ヵ 信義代 為信代 | 30石 30石 50石 50石 50石 50石 50石 50石 50石 30石 50石 50石 | 寛文12年 (最勝院無住時 衆徒支配) 寛文4年 寛永年中 為信代 寛文4年 信義代 寛永14年 寛永19年(新田仕立) 信義代 (隣国見聞役) 慶安元年(新田仕立) 為信代~ |
籠奉行 同 籠守 時の鐘撞き 同 同 | 津軽 津軽 津軽 津軽 津軽 津軽 | 為信代 | 30石 30石 30石 30石 30石 | (碇ヶ関番 寛文11年より) 寛永20年(延宝3年より) 慶安2年 万治3年 (小知行役 寛文5年から) 明暦3年 (同上) 万治3年 (同上) |