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神社等の増加

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 区・村落部の人口が増加し、あらたな集落が形成されるにつれて相当数の神社が創建された。この時期も、開拓使札幌県の時代と同様、郷里の神社祭神の勧請、屋敷神等の発展、職業と関わるものなどが多い。これらのうち若干は公認神社として社格を得るが、大部分は無願の神祠として集落の産土神の機能を果たした。そのうち太平洋戦争後まで残って、戦後法人格を得たものもあるが、反面、官の規制等によって消滅したものも少なくないと思われる。したがってその全容を把えることは現段階ではほとんど不可能であるが、一応地域内町村史、集落史等によって整理すると、表2のとおりである。ある程度類型的な説明は前編で行っているので、ここではそれ以外のいくつかの事例について、成立事情その他を略述するにとどめたい。
表-2 明治32年までの創立神社(民社)
神社名所在地創建年月公認年月摘 要
発寒神社発寒安政4明治32. 5創建時稲荷社
篠路神社篠路村安政7頃明治34. 9創建時八幡社
上手稲神社上手稲村明治5
白石神社白石村明治5明治30. 9
琴似神社琴似村明治8明治30. 6
三吉神社札幌区明治10明治13
中の島神社平岸村明治10頃
手稲神社下手稲村明治11明治30. 9創建時札幌神社遙拝所
諏訪神社札幌村明治15明治31. 2
花岡神社平岸村明治15. 9大正4.3
丘珠神社丘珠村明治15. 9明治25.10
星置神社下手稲村明治17
豊平神社豊平村明治17. 6明治22. 2
月寒神社月寒村明治17. 9明治33. 9公認時西山神社
水天宮札幌区明治18
石山神社平岸村明治18
厚別神社月寒村明治18昭和5.5
山口神社山口村明治18明治35. 9
伏見稲荷神社山鼻村明治19明治31. 3
琴似神社琴似村明治20. 5大正6.3
上野幌神社白石村明治22
一心神社琴似村明治23
三里塚神社豊平村明治23
西岡八幡宮月寒村明治23
上山鼻神社山鼻村明治24
下野津幌八幡神社白石村明治24頃
(相馬)妙見宮札幌区明治24. 6
江南神社篠路村明治24. 7明治30.11
すすきの金比羅社札幌区明治25.10
稲荷神社札幌区明治25. 3
烈々布神社篠路村明治26.11
雁来神社雁来村明治27. 9
中の沢神社山鼻村明治28
平岸村遙拝所平岸村明治28.11
鴨川神社札幌区明治28. 8頃
苗穂神社苗穂村明治29. 8明治30. 8
藻岩神社山鼻村明治29. 9
大谷地神社白石村明治30. 9
信濃神社白石村明治29. 9明治30.10
南沢神社山鼻村明治30
新川神社下手稲村明治30頃
十軒神明宮篠路村明治31.10
西野神社上手稲村明治32. 1三つの小祠を合併創建
稲穂神社下手稲村明治31. 9
『神社明細帳』,札幌関係市町村史,集落史等より作成。

 まず、村で神社設立の事情も若干知り得るものとして、平岸村札幌神社遙拝所をあげたい。同村は明治四年の開村であるが、札幌県の時代までに産土神的な施設は持たなかったようである。十九年に至り当時の村総代であった中目文平の『日記』に「宮ヲ建ルノ事ヲ申合ス」、さらに十三日付に「村宮ノ儀ハ、ヒトマヅ見合セ可致ト申合候事」とあって、村社創建の事が議せられたが、必ずしも順調にはいかなかったことを示している。二十一年九月になると、改めて村社の規模、経費調達手段について議せられているが、この時も立消えとなった。二十三年の暮になって、札幌神社の白野宮司らが、平岸村に村社創建についてうちあわせていることが伝聞として記されている。そして結局は二十七年に札幌神社遙拝所として設立されるに至る。無願の小祠を建てて祀ること自体は、開村十数年を経た同村にとって特に負担が過大であったとは思えない。おそらくそれ以外の、たとえば祭神等を巡っての意見の不一致などがあったのではないかと推定されるが、詳細は不明である。さらにこれは札幌神社が神社創出に関し、行政的に活動していたことをも推察させる。
 これに対して、この時期の屯田兵村の場合は、移住後比較的早期に神祠の創立される場合が多い。二十二年篠路兵村に入地した屯田第一大隊第四中隊は、二年後の二十四年に中隊本部の北側に小祠を建て、開拓の守護神とした。祭神は天照大神、大国魂神、日本武尊の三神で、おそらく軍組織の下での国家神道のある程度の浸透をみることができるし、また出身地が多様であることから、その最大公約数的な判断も働いたのではないかと思われる。二十九年に社殿を新築、江南神社と称し、三十年に公認を得た。
 またこの時期、三吉神社の分霊を受けたとされる小祠が二つ建立された。一つは札幌村の烈々布神社で、二十六年に住民の横山久太郎が発起し、札幌区守護神三吉神社の御分霊、大己貴神、少名毘古名神、崇徳天皇、菅原道真、藤原三吉命を鎮祭して烈々布神社と称した(札幌村史)。もう一つは南沢神社で、三十年に分霊を受けて八垂別に奉斎した。分霊を受けたのは麻田小与門という説が強いとされているが、麻田は石川県の出身であり、また藤原三吉命は本来秋田県内で尊崇されているものであるが、同集落の秋田県出身者はごく少数でしかない(さっぽろ藻岩郷土史 八垂別)。三吉神社札幌区唯一の公認神社として、少しずつ区の産土神的傾向をもちはじめたということであろうか。
 以上前編と併せていわゆる無願の神祠を中心に若干の考察を加えたが、本格的な研究はむしろこれからであろう。