この異国船打払令の発令は、幕府が突如海防に関する政策を強硬策に転じたように受け取られるが、実はそうとばかりともいえない。打払令の目的は、異国船を威嚇して日本沿岸に近づけないことにあり、異船を遠ざけることは、ひいては大名負担の軽減という政策にきわめて好都合なものであった。打ち払いによって、異国船拒否の意志が諸外国に徹底すれば、大名の海防に要する負担の必要すらなくなるはずと考えられたのである(前掲『日本歴史大系』3・近世)。
この異国船打払令に津軽弘前藩がどのように対応したのかをみてみよう。打払令の発令を受けて同藩では、三奉行(郡奉行・町奉行・勘定奉行)が今後の処置について検討し、藩庁へ申し出ている(「国日記」文政八年四月十九日条)。
図165.異国船打払令への対応を示した国日記記事
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まず、海岸の防備は、この時期までに大間越・深浦・金井ヶ沢・鰺ヶ沢・十三・小泊・龍浜崎・鷹野崎・蟹田・青森に大筒を備え、人員もすでに配置されていたため、これ以上の増加・増員は必要がないとされた。そして、異国船を発見しだい最寄りの村役人・町役人に通報し、村役人・町役人は手近の大筒方に申し出るように定められ、さらにその情報をその先の大筒設置場所へと申し送り各所で打ち払いの対応をとるという方法が編み出された。
また、触書の趣旨の周知徹底については、三厩派遣の兵員・浦々の町奉行・湊目付にその心得方を申し渡すよう、また大筒掛役・廻船の乗組員へは勘定奉行から同様に申し渡すようにとしている。また高札を大間越から野内までの八浦、その外に金井ヶ沢・小泊・平舘・油川に立てることとし、作事奉行に命じて立て札を作らせ、設置については八浦がそれぞれの町奉行、金井ヶ沢・小泊・平舘・油川については郡奉行が責任を持つこととした。また黒石領分に触を伝達し立て札を立てるかについては、三奉行にはわかりかねるとして、決定を藩首脳部にゆだねたが、結局この触を黒石領にも伝えるよう命じられた。
以上みてきたように、津軽弘前藩は異国船の打ち払いについては、従来の沿岸防備の軍事力で対応できるという認識だったのである。