ただ、首脳部を支持したかわりに、菱田は停滞していた弘前藩の藩政改革の徹底した推進を求めた。六月十八日に再び藩知事承昭は告諭を発布したが、その中で自分は朝廷の家臣であり、改革が進まないと官職も取り上げられると述べている。実はこの認識こそ幕藩体制から朝藩体制への転換を示しており、藩知事でさえ非世襲の一官職として位置づけられたことを意味している。
改革の具体的施策としてまず菱田が藩に示唆したことは大幅な減禄であった。これは表23のように高家禄の者ほど削減率が大きいが、低家禄の者への影響が少なかったというわけではない。もともと家計が苦しい彼らにとって、わずかな減禄でもそれは生活の破綻(はたん)に直接つながった。よって、主にこの減禄分を補填(ほてん)する目的で実施されたのが同十月から開始された帰田法であった(帰田法については本章第三節二を参照)。
表23.明治3年6月家禄削減一覧 |
元の家禄 | 改正家禄 | 削減率 |
800俵以上 | 200俵 | 最低75% |
500俵以上 | 150俵 | 最低70% |
250俵以上 | 100俵 | 最低60% |
100俵以上 | 80俵 | 最低20% |
70俵以上 | 60俵 | 最低14.3% |
50俵以上 | 40俵 | 最低20% |
30俵以上 | 30俵 | 最大25~0% |
20俵以上 | 20俵 | 最大33~0% |
15俵以上 | 15俵 | 最大30~0% |
注) | ただし,勤料・賞典禄は削減の対象外。「弘前藩記事」明治3年6月18日条(弘図八)より作成。 |
また、この改革によって藩庁組織は表24のように改められたが、部局は大きく藩庁・民事局・軍事局・学校に分かれ、下部機関として監正・会計・営繕・租税・通商・庁訟・山林・記録・輜重(しちょう)・督学などがそれぞれ機能することとなった。そして、藩庁首脳部も表22の明治二年十月十日時「その他」、および明治三年十二月時「正権大属」の欄からわかるように、先に落選した津軽済の他にも、番方の高級藩士であった津軽平八郎・佐藤源太左衛門・戸田清左衛門らが、反首脳的態度や老齢を理由に無役入とされ、代わりに三〇俵台という少禄の者でも、実務に精通した新鋭が登用され、世代交代は大きく進んだ。
表24.明治3年6月改革時藩庁組織 |
正四位 | 従四位 | 正五位 | 従五位 | 正六位 | 従六位 | 正七位 | 従七位 | 正八位 | 従八位 | 正九位 | 従九位 | 大初位 | 少初位 | |
藩 庁 | 知事 | 大参事 | 権大参事 | 少参事 | 権少参事 | 大 属 | 権大属 | 少 属 | 権少属 | 史 生 | 庁 掌 | |||
公議人 | 公用人 | 監正掛 | 上ニ同シ | 上ニ同シ | 上ニ同シ | |||||||||
会計掛 | 上ニ同シ | 上ニ同シ | 上ニ同シ | |||||||||||
営繕掛 | 上ニ同シ | 上ニ同シ | 上ニ同シ | |||||||||||
書 記 | 権書記 | |||||||||||||
民 事 局 | 少参事 | 権少参事 | 大 属 | 権大属 | 少 属 | 権少属 | 史 生 | 局掌 | ||||||
租税掛 | 上ニ同シ | 上ニ同シ | 上ニ同シ | |||||||||||
通商掛 | 上ニ同シ | 上ニ同シ | 上ニ同シ | |||||||||||
庁訟掛 | 上ニ同シ | 上ニ同シ | 上ニ同シ | |||||||||||
山林掛 | 上ニ同シ | 上ニ同シ | 上ニ同シ | |||||||||||
庶務掛 | 上ニ同シ | 上ニ同シ | 上ニ同シ | |||||||||||
軍 事 局 | 少参事 | 権少参事 | 大 属 | 権大属 | 少 属 | 権少属 | 史 生 | 局掌 | ||||||
記録掛 | 上ニ同シ | 上ニ同シ | 上ニ同シ | |||||||||||
輜重掛 | 上ニ同シ | 上ニ同シ | 上ニ同シ | |||||||||||
器械掛 | 上ニ同シ | 上ニ同シ | 上ニ同シ | |||||||||||
兵学教授 | 兵学助教 | 兵学副助教 | 生兵学教授 | 生兵学助教 | ||||||||||
学 校 | 少参事 | 権少参事 | 大 属 | 権大属 | 少 属 | 権少属 | 史 生 | 校掌 | ||||||
督 学 | 教 授 | 助 教 | 副助教 | |||||||||||
小学教授 | 小学助教 |
(注) | 資料近世2No.五八三より作成。 |
さらに、この組織が従来と大きく変わった点は、各部局にはいずれも藩庁から正・権少参事が係り役人として配属されており、すべての指令は知事―大参事―少参事を通して末端まで浸透する仕組みになり、より中央集権的色彩を濃くしたところにある。こうして、弘前藩の職制も朝廷の指示する藩治職制に徹底的に対応した組織に改編されたのである。