四代藩主津軽信政(のぶまさ)の時代、貞享五年(一六八八)の「諸式要集」の中にある「御在国中御定法」(『津軽家御定書』一九八一年 東京大学出版会刊)は、藩主の在国中における家臣の勤務についての詳しい規定である。これによって勤務の状況をみると、左のようになる。
最初に部屋の警備については、玄関を入って左側の奧の御広間・上ノ間には、御手廻(おてまわり)・御馬廻組頭(おうままわりくみがしら)(番方の役職)が申し合わせのうえ、一人ずつ交代で詰め、物頭(ものがしら)(武頭、足軽(あしがる)大将といわれる武官)・長柄(ながえ)奉行が一人ずつ交代で午前八時から午後二時まで勤務する。そのほかの武官として、同二ノ間へ御中小姓頭(おんちゅうこしょうがしら)・御歩行頭(おんかちがしら)・御手廻番頭(ばんがしら)・御手廻三人が、続く三ノ間には御馬廻番頭・御馬廻三人が、この三ノ間東側の縁側に御歩行小頭(こがしら)一人と並(なみ)御歩行二人がそれぞれ詰める。
御用座敷は上ノ間から家老、二ノ間は用人・大目付、三ノ間は三奉行(寺社奉行・町奉行・勘定奉行)、四ノ間は吟味役・勘定小頭(かんじょうこがしら)(両者は勘定奉行の下僚)が詰めて藩政を処理する。
梅ノ間御次ノ間には大目付が午前十時から午後二時まで勤め、家老・用人が退出後、用事がなければ帰る。この座敷には、御旗奉行・御持鑓(おんもちやり)奉行・大組足軽頭(おおくみあしがるがしら)・御持筒(おんもちつつ)足軽頭(いずれも番方)のうち一人が、午後二時から翌朝八時まで宿直する。同座敷の北の御襖際(ふすまぎわ)に寄合(よりあい)の者二人が昼夜連続勤務する。南の縁側には本道(ほんどう)(内科)表(おもて)医者五人が詰め、そのうち一人は午後四時から翌日午前七時まで宿直した。
以下、御中小姓が二人ずつ昼夜連続して勤務し、藩主が急に出かける時は供をし、庭前に出る際はほかに供番を追加する。大納戸役(おおなんどやく)(藩主からの下され物についての管理を扱った職)一人は午前九時より勤務し、家老・用人が退出するまで詰める。右筆(ゆうひつ)(側用人(そばようにん)直属の下僚で書記)一人は、家老・用人が出仕する前に詰め、彼等が退出後に帰宅する。目付(めつけ)は二人ずつ昼夜連続で勤務し、小納戸役(こなんどやく)(藩主の衣類やその他の諸調度類などの支度を整える役)は一人ずつ昼夜連続の勤務とする。小姓組の者は昼六人・夜四人ずつ勤め、藩主が昼に出かける際は供をし、庭前に出る時はさらに供番を追加する。さらに歩行(かち)(徒)目付・足軽目付(ともに用人や大目付・目付の指揮下にあり、藩士の行状を監察し、非違を糾弾する任務をもつ)は、それぞれ一人ずつ昼夜詰める。坊主(ぼうず)(本丸御殿内の給仕その他の雑役に従事)は御広間二人、御用所三人、廊下二人、浪ノ間御次ノ間二人、ほかに小頭(こがしら)一人が詰める。年頭・節句・御礼日には組頭(くみがしら)より歩行(かち)まで城門番所へ詰め、御礼が終わったならば、目付より指図が出しだい日常の勤務に戻る。城代(じょうだい)(藩主が軍を出した場合に、留守して国城を守る武官)が出仕および御用あるときは、組頭は中ノ廊下で待機する。
藩主が他出する際の留守は、寺社へ参詣の場合、当番の用人が勤め、一日中他出の場合、午後二時ころまで城代が、午後二時以降帰城まで留守居組頭が勤める。さらに遠方へ一泊以上の留守の場合、午後二時より翌朝八時まで城代が、午前八時より午後二時までは留守居組頭(番方の武官で、藩主の留守中、城代の命を受けて城内を守衛する)が勤める。これらの場合に、城代・留守居組頭は梅ノ間御次ノ間西側で、用人は御用座敷で勤務する。近習(きんじゅう)(藩主の左右に近侍する)一人は昼夜連続で勤務し、近習小姓(きんじゅうこしょう)は藩主の指示によって勤め、近習医者(きんじゅういしゃ)(藩主に近侍する医者)は、特別に勤務がなく、ご機嫌うかがいに午前十時ころ一人ずつ登城して、御用がなければ帰る。奥坊主(おくぼうず)・茶道(ちゃどう)坊主など(これらは本丸御殿内の給仕、その他の雑役を担当)は指示によって適宜勤める。この他、道具持・挟箱持(はさみばこもち)(外出するとき衣類などを入れ、棒を通してかついだ従者)・草履取(ぞうりとり)(藩主の草履を持って供をした従者)・陸尺(ろくしゃく)(駕籠などをかつぐ人夫)などは、その時の必要によって使われた。
在国中御番免除の役は、留守居組頭・城付足軽頭(しろつきあしがるがしら)・手弓頭(てゆみがしら)・手筒頭(てづつがしら)(これらは藩主の側近くを警備する役)・手道具頭(てどうぐがしら)(藩主の手廻品や鑓その他道具類を守護する役)であるが、急の御用の際には勤める。近習医者はご機嫌うかがいに出ればよく、また眼科医・外科医・針立(はりだて)(鍼医)も御免であった。中ノ口詰めの歩行(かち)(徒)も御免であるが、年頭・節句そのほか登城する者が多い時には特別勤務を命じられたのである。