写真23 赤倉沢の標高1300m付近のカルデラ内を埋積する火砕岩(N40°W,20°S)
写真24 岩鬼山を構成する安山岩質溶岩
(赤倉沢の標高約1300m付近)
一方、山麓から外縁の丘陵にかけては岩屑なだれ堆積物を不整合に覆う形で、鍵層となる黄褐色ラピリ(16)質軽石層(厚さ三〇~五〇センチメートル)が数枚堆積している(写真25)。この数枚の軽石層を含むローム層を岳層下部(厚さ四~五メートル)とし、松山・岩木山団研(一九八〇)は特に最上部の黄褐色ラピリ質軽石層を「ビーフカレー」と呼称し、火山灰層序の指標として利用してきた(写真26)。由来は具(火山礫)の多いカレーのことで、堅固な軽石層であまり風化は進んでいない。山麓ではラピリ質であるが、赤倉沢流域(標高五〇〇メートル付近)では径二~五センチメートル大の角礫が多くなる。火山体に近くなると厚くなり礫径が大きく量も多くなる傾向をもつことから、新岩木火山の噴出物と判断される。なお、各軽石層とも直下には堅固な緑灰色細粒火山灰(厚さ一〇~二〇センチメートル)が付随する。岳層上部は下部層にほぼ整合的に載り、褐色の粘土化した火山灰(ローム)が主体で、野外調査では「サメアカローム」と呼称している。これはローム層中に特徴的な軽石層が挿入されていないこと、またローム層に堆積間隙を示す暗色帯(褪(さ)めた感じの色)が存在することから名付けられた。ローム層上部には周氷河地帯にみられるインボリューション(17)が発達している(写真26)。
写真25 貝沢南方にみられる火山噴出物。軽石層(白色の縞模様)が数枚堆積する。
写真26 砂沢溜池北方の山風森付近にみられる岩木火山起源の噴出物。下部の白色帯が「ビーフカレー」で,上部のローム層はインボリューションの発達により大きく波打っている。
岳層上部の基底には、中位段丘の指標であり広域火山灰としての洞爺テフラが約一〇センチメートルの厚さで堆積している。ちなみに、洞爺テフラは約一〇~一二万年前に洞爺湖(カルデラ)の形成に起因する水蒸気爆発で放出された噴出物であって、北海道から東北一帯をほぼ覆っている。日本海に面した海成段丘では、細粒火山灰として確認される(写真16)。
岳層の上位には、常盤野層にあたる黄褐色細粒軽石層(「カレーパーミス」と呼称)が堆積している。二〇~五〇センチメートルの厚さであるが、岩木火山体周辺では必ずしも厚く堆積するわけではない。岳層上部のインボリューションによる凹凸面を不整合に覆っている。また平野寄りの火砕流台地では火砕流堆積物の上に載り、百沢面ではカレーパーミス直下および直上に土石流によって供給された砂礫が堆積している。このカレーパーミスは岳層下部のビーフカレーほど堅固でなく軽石粒も細かいが、地表直下に堆積し鍵層となるので、発掘調査では遺構確認の目安となっている。弘前市石川城跡では、カレーパーミス直下に堆積する軽石質砂層中の流木を年代測定したところ、約一万二六〇〇年前の測定値が得られている(第一章第三節 表4)。
ところで、西麓の松代面を除く山麓部では、岩屑なだれ堆積物および岳層下部が確認できないが、それは弥生面を構成する火山麓扇状地の堆積物によって覆われているからと思われる。そして扇状地外縁の丘陵で再び岩屑なだれ堆積物と岳層下部を確認できることから、岩木火山を取り囲む半径約六キロメートルの環状断層によって山体側が荷重沈下したためと思われる。鈴木(一九七二)によると、火山体の地質および地形に関する東西方向の非対称性を根拠に、東側への継続的な傾動(18)を想定している。いずれにしても、古岩木火山の岩屑なだれが発生した後の出来事である。
そして、更新世末期に新岩木火山体の頂上部において再び崩壊および陥没が発生し、直径約八〇〇メートルにも及ぶ円形火口が形成され、鳥海山、岩鬼山、西法寺森などが外輪山として存在する。鳥海山のK-Ar法による年代測定として〇・〇一±〇・二四百万年前(佐々木ほか、一九九六)があり、また鳥海山周辺には軽石層(写真27)はあるものの、外輪山にはカレーパーミスが確認されていないことから、約一万年前には外輪山が形成されたものと思われる。その後、山頂においてやや粘性の高い石英安山岩からなる中央火口丘を形成する噴火活動が起こった。中央火口丘の形成は前後二回の噴火で生じたもので、まず御倉石火口丘が、次いで直径三〇〇メートルのドーム状の岩木山(狭義)が形成された。末期的な活動として水蒸気爆発が相次ぎ、馬蹄形カルデラ壁にあたる標高一〇〇〇~一二〇〇メートル付近に集中して爆裂火口跡が形成された。
写真27 鳥海山にみられる降下軽石層