評定所では大目付(おおめつけ)または目付が担当し、武士とともに斬(ざん)罪や追放が申し渡され、四奉行(寺社奉行・郡(こおり)奉行・町奉行・勘定奉行)・徒(かち)目付・足軽目付・町同心などが出席した。重い犯罪に関しては家老(かろう)・用人(ようにん)も列席した。彼らに対する申し渡しは、延享二年(一七四五)ころから町奉行・町年寄・代官(だいかん)・庄屋宅などで行なわれる場合が多くなる。
牢屋の前での申し渡しは月番(つきばん)(その月の当番)の徒(かち)目付が当たったようで、斬罪・死罪(死刑の一種でその死体は新刀の斬れ味を試みる様斬(ためしぎ)りに使用される)のほか追放も申し渡され、牢奉行・足軽目付・町目付・町同心などが出席した。取上(とりあげ)の御仕置場(おしおきば)(現弘前市取上)では馬廻(うままわり)役の武士が当たり(寛政九年以後には徒目付が申し渡す)、火罪・磔(はりつけ)・獄門(ごくもん)・斬罪のほか、鞭(べん)刑(敲(たたき))のうえ追放が申し渡され、徒目付・足軽目付・町同心・縄取人足(なわとりにんそく)・太刀取(たちとり)などが出席した。安永三年(一七七四)ころからは、村のはずれや町のはずれで徒目付が追放などを申し渡すことも行なわれるようになり、足軽目付・町同心警固・町同心・縄取人足などが出席した。
図176.弘前城三の丸東門
図177.三道具