また、医者が本町に九人、下鍛冶町に三人、親方町に一一人、和徳町に一人、土手町に七人、新町に五人、東長町に一〇人、亀甲町に二人、紺屋町に四人、茂森町に三人で計五七人(実数は五五人)となっている。診察科目の分類をすると、本道(内科医)が三五人、外科が九人、目医が二人、針医が八人、小児科医が一人であった。この内、本町の針医の一人は盲人であった。家業といえるのかどうか疑問があるが、町年寄物書が三人、人馬御払役が三人などがみえる。ただし、染物屋は項目だけあって記載がない。
一方、元禄七年(一六九四)の「切支丹改」には、質屋が三一人、魚売が本役・半役・直新役・新役・三ヶ一(いずれも営業税である役銭を納める者)を合わせて三二七人、大工・木挽(こびき)が一九九人、酒屋一〇七軒、本室屋一五七軒、新室七軒、質座(質屋)三二軒、豆腐屋三八軒の記載があり、家業の種類が少し多く記載されている。
江戸時代後期に入ると、弘前城下の諸職・家業はかなり詳しくわかるようになる。これは八代藩主信明時代の寛政三年(一七九一)四月に人別調役が初めて任命され、人別・戸数は綿密に調査をするようになり、在方は持ち抱えの田畑そのほかも書き出させ、郷士(ごうし)は戸ごとに面改(つらあらた)めを実施する等、領内の人別改めの仕方が改正されたからである(『記類』)。その結果は九代藩主寧親時代の同六年十一月に四八箱・一三一〇余冊という莫大な成果として結実している(同前)。この後の成果である寛政八年(一七九六)の「弘前町中諸職・諸家業軒数調牒」(資料近世2No.一九五)によれば、表1のように分類される。御役職人(藩に営業税を納める職人)は二八職種に分類され、この内、研屋・鞘師・塗師・経師(きょうじ)・筆師・紙漉・金具師に藩の御用を勤める者がいた。御役家業は三〇職種に分類され、この内、銚子屋・菓子屋・索麪(そうめん)(素麺)屋・豆腐屋・蝋燭(ろうそく)屋・染屋・仕裁屋・舛(ます)屋・鋳物師(いもじ)・鳥屋には藩の御用を勤める者がいた。菓子屋は現在も本町で営業をしている大阪屋のことであろう。このほかは、無役家業になり、一一五職種に分類される。この内、釘屋に御用釘屋がいたことは注目される。釘を造る原料鉄を藩から供給されていたためであろうか。藩内にある鉄山は小国鉄山(現東津軽郡蟹田町)、今泉鉄山(現北津軽郡中里町)、石川鉄山(現弘前市)が知られている。なお、今泉鉄山について付言すると、後述する文久三年(一八六三)の「桶屋町人別帳」にみえる日雇一家五人は、前年の九月に同鉄山で働いていたが、このたび同所を引き揚げてきたという記載があり、幕末期においても今泉鉄山では生産が行われていたことがわかる。
図1.さまざまな家業
表1.弘前町中の諸職・家業軒数調べ |
種別 | 職 種 | 軒数 | 備 考 |
御 役 職 人 | 鑓屋 | 1 | |
研屋 | 5 | 内 御用研屋3軒 | |
鞘師 | 9 | 内 御用鞘師2軒 | |
塗師 | 14 | 内 御用塗師4軒 | |
経師 | 5 | 内 御用経師1軒 | |
大工 | 115 | ||
木履大工 | 6 | ||
木挽 | 58 | ||
鍛冶 | 45 | ||
屋根葺 | 26 | ||
畳刺 | 8 | ||
左官 | 14 | ||
石切 | 8 | ||
乗物師 | 2 | ||
洗張師 | 1 | ||
筆師 | 2 | 内 御用筆師1軒 | |
篩嚢師 | 2 | ||
小細工師 | 2 | ||
瓦師 | 2 | ||
土細工師 | 1 | ||
炭団師 | 1 | ||
蝋燭掛 | 5 | ||
紙漉 | 15 | 内 御用紙漉1軒 | |
鏡磨・鍋鋳懸・薬鑵直 | 8 | ||
𨫤張 | 3 | ||
葛籠細工 | 2 | ||
籠組 | 2 | ||
金具師 | 8 | 内 御用金具師3軒 | |
御 役 家 業 | 造酒屋 | 45 | 内 御銚子屋1軒 |
質屋 | 9 | ||
菓子屋 | 21 | 内 御用菓子屋1軒 | |
室屋 | 22 | ||
蕎麦切屋 | 27 | ||
醤油屋 | 9 | ||
造酢屋 | 4 | ||
素麺屋 | 3 | 内 御用素麺屋1軒 | |
豆腐屋 | 41 | 内 御用豆腐屋1軒 | |
小売酒屋 | 13 | ||
絞油屋 | 27 | ||
蝋燭屋 | 16 | 内 御用蝋燭屋1軒 | |
染屋 | 45 | 内 御用染屋1軒 | |
仕裁屋 | 6 | 内 御用仕裁屋1軒 | |
足袋屋 | 2 | ||
鍋屋 | 4 | ||
桶屋 | 47 | ||
舛屋 | 2 | 内 御用1軒 | |
差物屋 | 2 | ||
檜物師 | 9 | ||
合羽屋 | 2 | ||
鋳物師 | 5 | 内 御用鋳物師1軒 | |
傘張 | 4 | ||
提灯張 | 8 | ||
魚売 | 24 | ||
魚触売 | 29 | ||
塩并干肴店 | 15 | ||
附木屋 | 16 | ||
塩噌触売 | 13 | ||
鳥取 | 1 | ||
鳥屋 | 1 | 但,御用 | |
無 役 家 業 | 116種 | 1903 |
注) | 資料近世2No.195より作成。 |
幕末期の元治元年(一八六四)八月の「弘前町中人別戸数諸工諸家業総括牒」(資料近世2No.一九六)では、当時の町方の諸工・諸家業は表2のように分類される。御役職人は一九職種に減り、藩の御用を勤めるのは、研屋・鞘師・塗師・金具師の四種は寛政期と変わらないが、鋳物師・挑灯(ちょうちん)(提灯)張・檜物師の三種が新たに加わっている。この三職種は寛政期には御役家業として分類されていたものである。一方、御役家業は三〇職種に分類され、数は寛政期と変わらないが、山漆実買請(かいうけ)所・𨫤張(きせるはり)・附木(つけぎ)屋・石灰焼・花粉灰が新しく加わっている。なくなったものは差物屋・鳥取・鳥屋である。山漆実買請所は寛政期には無役家業であったが、漆木の増産計画によって扱いが変わったためであろう。無役家業は一四五職種に分類される。寛政期に比べると大幅な増加であるが(二六・一パーセント増)、これは職種の細分化や新たな職種の誕生によるものであろう。
表2.元治元年当時の町方の諸工・諸家業 |
区 分 | 軒数 | 備 考 | |
借 家 | 医者 | 53 | 内本道13軒 鍼医40軒 |
公用船取扱 | 2 | ||
御廻船調取扱 | 1 | ||
御馬飼料方取扱 | 1 | ||
町年寄 | 2 | ||
時計師 | 1 | 但,御用 | |
御役者支配 | 7 | ||
御用達町人 | 4 | ||
鍛冶頭 | 1 | ||
御用鞍鐙師 | 1 | ||
御刀鍛冶 | 3 | ||
御鎗師 | 2 | ||
御弓師 | 2 | ||
御鉄炮師 | 4 | ||
御具足師 | 3 | ||
鋳筒鉄炮師 | 3 | ||
御具足鍛冶 | 6 | ||
御鞢師 | 1 | ||
御鉄炮台師 | 2 | ||
御轡師 | 3 | ||
御用火縄綯 | 1 | ||
畳屋頭 | 1 | ||
切付師 | 2 | 但,御用 | |
矢師 | 3 | 但,御用 | |
御用蝋燭懸 | 1 | ||
御用蝋絞 | 1 | ||
御国産鉄取扱 | 1 | ||
彫刻師 | 2 | ||
御前穀物請負・同搗屋 | 1 | ||
御買上品取扱 | 1 | ||
御座頭 | 2 | ||
米金仲買頭 | 1 | ||
座頭頭 | 2 | ||
御大工 | 11 | ||
日市頭 | 2 | ||
日市物書 | 2 | ||
日雇頭 | 6 | ||
御蔵拼頭 | 8 | ||
新屋敷賄方取扱 | 1 | ||
大作人 | 1 | ||
駅場役 | 5 | ||
町年寄物書 | 3 | ||
町年寄小使 | 3 | ||
医学館御製薬持廻小使 | 1 | ||
御雇鳶 | 8 | ||
御雇小人 | 4 | ||
馬喰頭 | 1 | ||
馬喰締方 | 1 | ||
時鐘撞 | 5 | ||
修験 | 5 | ||
牢屋番 | 13 | ||
牢医者 | 1 | ||
按摩取 | 1 | ||
灸治 | 2 | ||
売卜 | 2 | ||
浪人 | 3 | ||
御 役 職 工 人 | 研師 | 11 | 内 御用3軒 |
鞘師 | 4 | 内 御用1軒 | |
塗師 | 11 | 内 御用3軒 | |
経師 | 3 | ||
左官 | 7 | ||
大工 | 67 | ||
木挽 | 62 | ||
木履大工 | 2 | ||
屋祢葺 | 17 | 内 小頭1軒 | |
唐箕大工 | 3 | ||
石切 | 11 | 内 小頭1軒 | |
金具師 | 15 | 内 御用4軒 | |
畳剌 | 15 | ||
差物師 | 12 | ||
鋳物師 | 5 | 内 御用3軒 | |
銅師 | 4 | ||
傘張 | 4 | ||
提灯張 | 14 | 内 御用1軒 | |
檜物師 | 18 | 内 御用1軒 | |
御 役 家 業 | 造酒屋 | 31 | 内 御銚子屋1軒 休2軒 |
質座 | 13 | 内 休1軒 | |
菓子屋 | 43 | 内 御用1軒 | |
室屋 | 29 | 内 御用1軒 | |
蕎麦切屋 | 31 | 内 休1軒 | |
小売酒 | 18 | ||
絞油屋 | 38 | 内 御用1軒 | |
醤油屋 | 13 | 内 御用1軒 | |
造酢屋 | 5 | ||
麪類屋 | 6 | 内 御用3軒 | |
豆腐屋 | 51 | 内 御用1軒 | |
鍛冶屋 | 95 | 内 御用4軒 | |
蝋燭屋 | 40 | 内 御用1軒 休1軒 | |
山漆実買請所 | 1 | ||
染屋 | 56 | 内 御用3軒 休2軒 | |
仕裁屋 | 5 | 内 御用4軒 | |
鍋屋 | 5 | 内 御用2軒 | |
升屋 | 2 | 但,御用 | |
合羽屋 | 4 | 但,御用 | |
𨫤張 | 30 | ||
魚売 | 124 | 内 御用2軒 休1軒 | |
魚触売 | 48 | 内 休2軒 | |
桶屋 | 64 | 内 御用2軒 休1軒 | |
附木屋 | 13 | ||
塩触売 | 29 | ||
塩卸売 | 1 | ||
塩小売 | 3 | ||
石灰焼 | 2 | ||
花粉灰 | 2 | ||
足袋屋 | 1 | 但,御用 | |
無 役 家 業 | 145種 | 4009 | |
隠 職 工 ・ 諸 家 業 | 御役職工 | 73 | |
御役家業 | 10 | ||
無役家業 | 10 |
注) | 「弘前町中人別戸数諸工諸家業総括牒」(資料近世2No.196)より作成。 |
ここで注目したいのは、「外(ほか)に隠(かくし)諸工・諸家業之部」に御役諸工が七三、御役家業が一〇、無役家業が一〇、新たに記載されていることである。この部の説明によると、去年の亥年つまり文久三年(一八六三)に戸数・人別を調べた結果、申し出た者がいてこのように書き出されたことが判明する。まだ調査中のようであり、実態は不明であるが、御役諸工・御役家業が大半を占めるところをみると、綿密に調査をすることは、藩にとって人口の把握のみならず、漏れていた御役諸工・御役家業からも税の徴収が可能となり、税収の増加につながる問題であったことは確かである。なぜこのように綿密に調査をするようになったのかは、「国日記」文久三年六月から七月の条にかけて記述されているように(同前No.一三九)、一人ひとり面改めをして領民の諸家業・家内人数などを詳しく調査するようにしたからである。