菊地重賢は天保四年(一八三三)生まれ、京都下加茂玉田家四男で嘉永六年(一八五三)箱館八幡宮菊地家を相続した。明治五年、札幌神社の創立にあたりその宮司となった。このときの調査記録を編んだ「明治五年壬申八月巡回御用神社取調」巡回日記がある。
各社ごとに村々の戸数・人口を記し、神社の沿革・祭祀する神体・社殿の形体・神仏混淆の有無など、詳細に記録されている。
その旅程は
七月一九日 調査団一行小樽郡銭函村出立、日本海沿岸の各郡村々を調査
九月 二日 函館に到着。九月二八日函館出立(略)
九月二九日 陰北風寒 下湯川村出立、銭亀沢泊
一〇月 一日 乾風晴午後北風小雨 銭亀沢村出立、汐首村泊
二日 美晴西風瀬吹 汐首出立、戸井泊
三日 東風陰夜七時頃雨 戸井出立、尻岸内泊
四日 北風陰昨夜雨暁放晴 椴法花村泊
五日 晴朝乾風瀬吹 第十字頃ヨリ同風吹募 同滞在
六日 美晴乾風第十字頃ヨリ巽風 瀬吹夜中雨七日暁ニイタリ晴尾札部村泊
七日 放晴西風瀬吹 臼尻村泊
八日 西風陰晴午前ヨリ乾風 茅部村泊
二日ヨリ今日迄亀田神職随行候事
一二月 七日 約五か月余の長期の大調査を終えて帰札した。
この巡回日記の記録にもとづいて、明治五年当時の郷土の各神社の立地の状況をみる。
(茅部郡)
同郡尾札部村枝郷椴法花 戸数五拾七軒
人口四百廿弐人
男弐百拾三人
内
女弐百八人
△稲成社 木像 翁稲荷 廃物 改祭同前
拝殿二間ニ三間 神門一
社地五間方
起元不分明
同所ヤジリ濱
[図]
△八幡宮 木像 立体弓箭ヲ持、白衣紫八藤指貫卑シ。改彫又神鏡、和幣ヲ以テ改祭可レ然カ。
祠一尺 拝殿二間ニ二間半 神門一
社地五間ニ拾間
起元不分明
同所恵山絶頂
[図]
△秋葉社 木像 不動ニ均シク白狐ニ乗ル。廃物 改祭同前
祠三尺ニ五尺
起元不分明
右ハ福山阿叫寺修験年々来テ祈禱ス。御改正ノ上ハ修験復飾又ハ亀田村神職ヘ可レ任申聞候処、亀田神職ヘ可レ頼書面差出候事。
[図]
尾札部枝郷古部 戸数九軒 男四拾壱人
内
人口七拾七人 女三拾六人
△稲生社 木像 咜枳尼(ダキニ) 廃物 女体白狐ニ乗ル。ヨウラク付手ニ玉ト鍵トヲ持。
厨子一尺方 極彩色彫物数多 廃物
祠三尺
社地五間ニ拾間
起元不分明
合祀
稲荷 木像一 翁稲荷 村中大澤藤兵衛私祀ノ由、此分モ後日御沙汰次第上納ノ事。
[図]
尾札部枝郷木直村 戸数三拾三軒 男百拾五人
内
人口弐百拾六人 女百壱人
△稲成社 木像 咜枳尼(ダキニ) 白狐ニ乗立像 廃物 改祭同前
神璽一 是ヲ以テ神体ニ改祭ノ事。
拝殿三間ニ四間 神門
社地拾間四方
合祀
海神 木像 曖昧 廃物 改祭前同断
起元不詳 文化六己巳六月再造ノ棟札アリ。
[図]
尾札部村 戸数六拾四軒 男弐百拾四人
内
人口四百三人 女百八拾九人
△稲成社 木像 咜枳尼(ダキニ) 改祭同前
祠三尺 極彩色金箔 上納ノ上白木造ニ改造スベシ。
拝殿四間ニ五間 神門三基
社地拾五間四方
起元不分明
合祀 従前尾札部ヤキ(八木)ニ勧請ノ処祠破損ノ上合祀ノ旨申出ル。
三嶋神 和幣 木像一躰アリ書面上ニナシ。素ヨリ可レ廃也。
恵美須神 石像一 書面上ナシ。辛未三月村中若者中ニテ私祭ス。可レ廃理ノ処、若奉祀可レ致バ前断ノ通改祭可レ致旨申聞候事。但、神像ハ箱館ヘ可レ納事。
[図]
尾札部村枝郷川汲 戸数五拾五軒
人口三百九拾五人
男百九拾五人
内
女百九拾七人
△稲生社 木像 翁稲荷 廃物 改祭同前
祠一尺五寸 極彩色 上納モノ
拝殿三間ニ五間 神門三基
社地八間ニ拾五間
起元不分明 凡百五、六十年(前)造立ノ由申伝
合祀
事代主神 石像 可レ廃。改祭同前
稲生社境内末社
金刀比羅神 木像 崇徳天皇
白木立像左手ニ巻物ヲ持、天狗弐人前立ス。此木像可レ存也。
本祠一尺五寸、金箔塗、是又可レ存也。
起元 廿五年程ニナル
但、此祠稲生社合祀可レ然申付候事。
[図]
川汲村領温泉場 川汲村ヨリ凡半里
△薬師仏 石像一 此石像廃止 改祭同前
祠九尺ニ弐間
社地五間ニ七間
此温泉寛保年間始テ土人見出シ候由、文化十二仙臺千葉尚ト云人温泉由来ヲ録ス額面アリ。
[図]
尾札部村川汲 臼尻村板木境セウジン(精進)川右両村境中央
△稲生社 木像 翁稲荷
拝殿六尺ニ九尺 神門一
社地間口六間 奥行十五間
此祠境中勧請不レ可レ然、後日必両村争論ヲ可レ生基トモ被レ存候ニ付、両村エ申諭廃止ノ上、神体上納ノ書面請書為二差出一候事。
※稲生社と記しているが明治五年まで境(さかい)明神と呼ばれた神社があった。
[図]
臼尻村枝郷板木 戸数廿五軒 男七拾弐人
内
人口百四拾三人 女七拾壱人
△稲生社 木像 翁稲荷 廃物ノ上改祭同前
祠一尺 拝殿二間ニ二間半
社地七間ニ奥行拾間
起元不分明
[図]
同国同郡臼尻村 戸数五拾三軒 男百七拾九人
内
人口三百弐拾人 女百四拾壱人
△厳嶋社 和幣
外ニ木像八手ノ躰壱、文政八酉年新彫、明治三庚午十一月越後白山丸船主エ相托シ修覆ニ為レ登候由申出ル。下着ノ上ハ早々箱館庁エ可二相納一申付候事。
祠二尺 極彩色金箔塗 此分モ上納ノ事。
拝殿四間ニ五間 幣殿二間方
神門六基 内石造一基
社地小二嶋
但、澳辺二嶋アリ、宮祠辺ニアリ。
辺嶋巾九間 長廿九間
起元不分明 文政八丁酉年七月廿三日再造(文政八年ハ乙酉、丁酉ナラバ天保八年カ)、明治四辛未十月再造ノ棟札アリ。
[図]
同村
△稲生社 木像 翁稲荷 改祭同前
大麻一 伏見本宮中津瀬家調、此大麻ヲ以テ神体ト可レ致事。
拝殿九尺ニ弐間 神門一
社地六間ニ廿間
此祠厳嶋社合祀申付、請書取レ之候事。
起元不分明
同村 曹洞宗箱館高龍寺末 龍宮庵
右庵中点検ノ処、混淆一切無レ之候事。
[図]
臼尻村枝郷熊泊 戸数三拾六軒 男百三拾壱人
内
人口弐百四拾人 女百九人
△稲生社 木像 翁稲荷 改祭同前
厨子二尺塗物 廃物
拝殿表口四間 梁行三間半 神門二基
社地三間ニ四間
起元不分明 文化六巳年七月始テ亀田村神職祭典ス、村日記ニアリ。
[図]
以上亀田村八幡宮氏子場
社数弐拾三社
村数拾九ヶ村 内本村八ヶ村枝郷十一村
合戸数九百六拾三軒
此人別
明治五年壬申八月
巡回御用神社取調にみる神社庵室
下湯川より長万部まで亀田より木古内まで (起源)( )のないもの起源不詳
湯倉神社ノ氏子場
亀田郡 戸数 人口
下湯川村 七六軒 四三六人 〇湯倉神社
(承応)
村内根崎 大日〓貴尊
上湯川村 四四軒 二二七人 稲成社
志苔村 六一軒 三五八人 八幡宮
銭亀沢村 一〇六軒 六四五人 八幡宮
(享和三再建)
石倉稲生社
〃古河尻 川下社
石崎村 一二〇軒 七六五人 八幡宮
○実行寺末△妙見△鬼子母神今上皇帝
小安村 三五軒 二二〇人 八幡宮
○高龍寺末今上皇帝…
〃枝郷釜谷 二五軒 一三一人 大巳貴神
〃枝郷汐首 三六軒 二二九人 恵美須社
〃枝郷瀬田来 四六軒 三一一人
亀田郡宮氏子場
茅部郡
戸井村 六二軒 三三一人 宮川社
(文化一〇再建)
末社飯生神
〃枝郷鎌歌 三三軒 二〇四人 稲成社(宝暦)
〃枝郷原木 稲成社
尻岸内村 五五軒 三二一人 八幡宮
末社稲荷祠 末社西宮大神
〃枝郷日浦 一七軒 九七人 稲荷社
〃枝郷古武井村 四一軒 二四四人 海社境内稲成神
〃枝郷根田内村 七四軒 四九八人 厳嶋神
末社稲成神
尾札部村枝郷椴法花五七軒 四二二人 稲荷社
同ヤジリ浜 八幡宮
同恵山絶頂 秋葉社
〃古部 九軒 七七人 稲生社
〃木直 三三軒 二一六人 稲成社
尾札部村 六四軒 四〇三人 稲生社
八木三嶋神恵美須神(破損)
枝郷川汲 五五軒 三九五人 稲生社・事代主神金刀比羅神
川汲村領温泉場 薬師仏
川汲・板木境 稲生社
臼尻村枝郷板木 二五軒 一四三人 稲生社
臼尻村 五三軒 三二〇人 厳嶋社
稲生社 高龍寺末龍宮庵
枝郷熊泊 三六軒 二四〇人 稲生社
七重村神職管摂
鹿部村 五五軒 二八五人 稲生社(延享二)
〃本別 稲生社
〃相泊村 一一軒 境明神(明治五)
砂原村 一三七軒 六八〇人 稲生社(延享二)
高龍寺末地蔵庵 一向宗能登寺末定規寺 ここ茂辺地村神職内浦社(文化三)
〃彦澗 稲荷社
〃門平砂原 稲荷社
掛澗村 四七軒 三一八人 稲生社(宝暦二)
尾白内村 六〇軒 三七八人 稲生社(寛政三)
森村 一二一軒 六八九人 稲生社(延享四)
実行寺末一妙庵
鷲木本邨中島崎 稲生社(宝暦二)
〃石川原 稲生社(寛政二)
鷲木村 一一六軒 六六四人 稲生社
末社海神社 称名寺末霊鷲庵
〃枝郷棒美 六軒 二九人 稲生社
〃蛯谷小舟 二〇軒 九〇人 稲生社
〃本茅部村 二四軒 一八〇人 稲生社(寛政七)
石倉村 一八軒 一〇八人 稲生社
茂無部村 一六軒 七八人 恵美須社
落部村 五〇軒 二七九人 八幡宮(文化一二)
末社稲生社
〃枝郷野田追 二二軒 一一五人 恵美須社
〃湯追村 二〇軒 一一六人 稲生社(文化二)
茂辺地村神職管摂
胆振国山越郡
山越村黒岩迄 一二六軒 五一七人 諏訪社(文化四)
合祀稲荷(寛政一二)
境稲生社 臼善光寺末円融寺
湯羅府 稲生社
黒岩 恵比須神(安政五)
長万部村 八二軒 三五八人 稲生社(文化五)
善光寺末善導寺本願寺出張所末光明寺
亀田村 一六五軒 八二九人 八幡宮(慶長八)
旧五稜郭同心長家稲成社
鍛冶村 五五軒 三一二人 稲生社
神山村 五四軒 三〇七人 稲生社(寛政八)
赤川村 七五軒 四七六人 三嶋社(寛政元)
亀田郡
千代田村 二七軒 一五七人 飯生社 (寛政)
一本木村 二三軒 一二五人 稲荷社 (寛政)
上磯郡有川村
七重浜 飯生社(寛政)
高龍寺末観音庵
有川村 二〇九軒 一、一七五人 神明社(慶長二)
同社地飯生社(享保) 実行寺末妙立庵
中嶋郷 三三軒 九五人 稲成社(慶応二)
境内八雲社
清水村 二三軒 九八人 稲成社(慶応二)
三好郷 一五軒 五三人 八幡宮(慶応二)
吉田郷 一三軒 六四人 稲成社(文久二)
中ノ郷 二七軒 一三七人 稲成社(寛政)
野崎村 (戸切地村含) 雷神社(元文四)
稲荷社(寛政五館藩アナヒラ陣屋)
戸切地村 一九一軒 一、〇〇四人 八幡宮(天文二)
境内三嶋神(安永) 稲荷社(安永) 同境内〓疫社(万延二)
三ツ谷村 一一九軒 七一四人 稲荷社(宝暦二再建)
同境内川濯社(弘化二)
富川村 九三軒 五六六人 八幡宮
稲荷社
茂辺地村 一五一軒 八八八人 天満宮(長禄元)
末社矢不来森稲荷社(元和元) 末社川南館稲荷社(元和元) 末社日形泊丹生神社(寛文五) 末社同村堂前稲荷社(延宝六) 同上合祀金比羅社 日形泊稲荷社(文化四)
当別村 三八軒 二二八人 丸山神社(元禄六)
合祀恵美須神(元和三) 三嶋神(元禄一〇) 境内外明地川下社(元禄一二) 境内若穂稲荷社(文化二)
三ツ石村 一五軒 九七人 瑞石社(寛文九)
末社稲荷社(文久二) 社内川下社(元文二) 末社薬師社
釜谷村 六丁澗 稲荷社(天和二)
釜谷村 二三軒 一六三人 塩竈社(元禄八)
泉沢 竹駒稲荷社(享保三)
泉沢村カドコノ沢脇 川下社(享保五)
字カドコノ岳三嶋神八雲神(同上)
泉沢村 一一八軒 七四三人 古泉神社
同上境内稲荷社 同上馬形社(享保元)
札刈村 七五軒 五二八人 西野神社
同上境内川下神 同上歓興稲荷社(元禄七)同上熊野神社
(慶応元)
木古内枝村 瓜谷村 稲荷社 (弘化三)
木古内村 大澗 恵比須社 (元禄二)
上磯郡 木古内村 九三軒 七〇三人 佐女川神社 合祀稲荷社
渡島国亀田郡
箱館総社 八幡大神(慶安) 末社際疫社(天明八) 海運飯生社(文政四) 求中飯生社(安永七) 永福稲生神(文化四)
箱館 招魂社(明治二)
愛宕山 愛宕神社
会所町上山際 船魂社(保延元)
山上町・天神町 天満宮(寛政)
地蔵町 海神社(安永九)
一本木町 稲成社(享和)
豊川町 豊川飯生社(文久三)
山上町 神明宮(天和)
尻沢辺町 住吉社
箱館山半腹 医王社(明暦元)
山背泊 正信稲成社
大森町 稲成社
弁天町 厳嶋社 境内稲成神(文政二)
相生町 歓喜天(慶応元) 等樹院休泊所天祐庵
〃 東照宮(慶応・明治二)
山背泊 天台宗清光院不動尊
水天宮
稲成神
深堀村 二八軒 一五二人 稲生社(明治元)
〈湯倉神社〉
亀尾村 三八軒 二二五人 三嶋社
〈函館八幡宮氏子相成度 安政二・一一・一七〉
桔梗村 〈亀田八幡宮氏子相成度〉
鶴野郷 一七軒 六二人 〈有川村神明社氏子相成度〉
濁川村 五三軒 三一三人 稲生社
石川郷 二九軒 一一七人 川上社(安政四)
文月村 四九軒 二七七人 稲生社
大川村 四三軒 二七三人 川嶋社(文化二)
大野村鍛治在所 稲生神
七重村 四二軒 一八六人 三嶋社(寛政二再建)
高龍寺末
宝林庵
飯田郷 一七軒 七三人 稲生社(文久)
大野村 一八三軒 一、〇一三人 稲生神 大日〓社(文久四)
城山郷 一三軒 四七人 熊野社(文久)
本郷村 四六軒 三一六人 鹿嶋社(寛政)
藤山郷 三五軒 一七五人 稲生社(寛政)
市渡村 一〇九軒 六二七人 稲生社(文化) 高龍寺末大悲庵
亀田郡
軍川村 五八軒 二五四人 稲生社(慶応三)
峠下村 六五軒 三四三人 稲生社(寛政) 臼善光寺末一行院