青森騒動の経過

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三年七月十九日夜、諏訪(すわ)社(現青森市栄町。当時堤川中州にあった)および毘沙門(びしゃもん)境内(現香取神社青森市長島)にそれぞれ一〇〇人ほどの者が集まり、そこから四~五〇人で連れ立って町中を練り歩き、翌日の毘沙門境内における示威行動への惣町挙げての参加を呼びかけた。主人が不在の家には女でも子どもでも集会に参加するよう呼びかけたり、また不参加の町人には打ちこわしの威嚇(いかく)があったことも「津軽徧覧日記」は伝えている。翌二十日朝、呼びかけどおり多数の町人が杉畑および毘沙門境内に参集した。

図126.騒動勢が集結した青森の諏訪神社

 その数は三~四〇〇〇人といわれる。当時の青森町の人口が七~八〇〇〇人と推定されるから、まさに惣町を挙げての運動であった。その後騒動勢のうち、名主会所万屋武兵衛方へおよそ七~八〇〇人が押し寄せ、来年春までの公定値段(一匁につき米一升四合)での販売、廻米の停止、米留番所の廃止を「惣町中一決」の主な要求として訴えた。
 この騒動は当初町役人など町上層部の参加を得ないで開始されたが、名主会所を巻き込み町名主から町奉行に訴願を提出させている。町制機を動かした事実上の惣町訴願運動に展開していったのである。一方、番所では別の一隊が、「廻米を強行するなら廻船を破壊し、米俵は海に捨てる」との威嚇を行い、上方相場の代金と引き替えに、廻米町方に売却して欲しい旨の要求を行った。

図127.青森町奉行

 騒動勢は町奉行が訴願を受け入れない場合は弘前城下強訴に出るつもりだったが、彼らが返答を待つ間に、寺町商人嶋屋長兵衛が近隣の常光寺に米を隠匿(いんとく)しようとした行為が発覚した。弘前強訴に行った場合、ほかにも米隠匿の行動が横行すると騒動勢は判断し、見せしめのため、打ちこわしを実行することになった。嶋屋は米不足の際に隠米をする不届き者として家を取り壊され、家財道具・衣類・売り物までずたずたに引き裂かれ、鍋釜までみじんに打ち砕かれたという。その後、「青森一の分限者」の大町横町の辻甚左衛門家が打ちこわされ、市街中心部の大町・浜町・米町を中心に周辺部の寺町・博労町・安方町の有力商人一〇軒が打ちこわしの対象となった(表33)。米穀を蓄えていた商人のほかにも、町名主や両替商としての不正・不評を理由に、懲罰的に打ちこわしを受けた者もいた。
表33 天明青森騒動打ちこわし被害者一覧
居町名名  前所持米・雑穀俵数備  考
大町辻甚左衛門米185俵 大豆125俵青森一番分限」
米町吉田屋三郎次米 18俵 大豆300俵
米町滝屋伝七米 48俵 大豆 70俵
米町近江屋利助  ?町名主
米町村林平次米 63俵 大豆623俵「近年出来分限」
浜町滝屋善右衛門米 90俵 大豆950俵
寺町嶋屋長兵衛米 73俵「近年出来分限」
博労町奥野屋庄右衛門籾 20俵「近年出来分限」
博労町村田太郎兵衛米111俵博労町名主
安方町舛屋忠兵衛  ?安方町名主
「葛西秘録」「津軽徧覧日記」(弘前市立図書館蔵)により作成。各所持米・雑穀俵数は『青森沿革史』(青森市役所蔵版,1909年)。
注) 1各所持米・雑穀俵数には他家からの預かり米を含む。また,他家への預け米は含んでいない。
   2他に吉田左兵衛・近江屋善五郎・海原屋宇右衛門・近江屋清兵衛(米町/米114俵)・林屋兵次郎・能登屋惣兵衛(米町/米11俵)・木下伝右衛門(博労町/米39俵)が小規模な打ちこわしの被害を受けたとする記載あり(括弧内は判する居町名および所持米・雑穀俵数)。

 さらに、打ちこわしの前に蔵を開けさせ、豪商が保有している米穀の量を調べる「米改め蔵改め」も行われた。拒否すると打ちこわされるため、豪商らは保有量を自主的に高札や張札に書いて申告したという。このようにして、騒動勢は商人一〇四軒が蓄積していた米穀約五二〇〇俵、大豆約六〇〇〇俵の存在をらかにし、町奉行ができなかった備蓄米の調査を自らの手で強制的に行ったのである。
 しかしながらこの騒動は突発的・偶発的なものでなく、十分な計画と組織・規律に支えられた行動であった。打ちこわしに当たって騒動勢は、大工商人の家から鉈(なた)や手斧(ちょうな)を持ち出し、質入れした刃物を取り出すなど、十分に武装・準備を行ってから決行している。さらに、現場での盗みを厳禁し、違反した者には厳罰を与えたり、事前に対象となった店に通告して家内の者を避難させ、死傷者が出ないようにした。また、盗人が出ることを懸念して打ちこわしも夜でなく昼に行うなどの配慮をしている。
 これに対し、町奉行所はなすすべもなく、かえって自ら鎮圧に当たろうとした奉行が罵声を浴びせられ、負傷する始末だったという。町奉行所は緊急に公定価格の堅持などを約束する高札を立てたので、騒動は夕刻にはようやく沈静化した。騒動勢は最後に杉畑に引き返し、町名主に訴状受理の状況をただし、名主からも公定販売の確約の印形を取ったうえで、気勢を上げて散会したという(『永禄日記』)。