さて、天正十八年八月十二日、奥羽両国に検地条目が出され(資料近世1No.二四)、九月末にかけて検地が実施された。十二月から翌年一月にかけて、出羽の大小名はこぞって上洛し、検地の成果による領地朱印状が下された。一方、陸奥では、検地の後に起きた葛西・大崎一揆、和賀・稗貫一揆の影響で、上洛は果たせなかったようであり、奥羽両国の大名に一斉に領知宛行(あてがい)の朱印状が下されたわけではなかったようである。
津軽氏の場合、天正十八年(一五九〇)十二月に前田利家に伴われて妻子とともに上洛を果たしており(資料近世1No.二七)、おそらく、この時に領地が宛行(あてが)われたものと思われるが、津軽氏への領知宛行の朱印状の存在は確認されていない。そして、境を接する南部氏についても同じである。津軽氏の場合、天正十九年六月二十日付で、九戸一揆に対する出陣の催促の朱印状が下されていることから(同前No.三三)、この時までには津軽氏への領知の宛行は決定しており、それをもとにして九戸一揆の軍役が課せられたものと思われる(長谷川成一「文禄・慶長期津軽氏の復元的考察」同編『津軽藩の基礎的研究』一九八四年 国書刊行会刊)。さらに、天正十九年十月を徴収期限として、諸国御前帳(ごぜんちょう)(秀吉が禁中に献納するとして徴収し、国郡別に石高が記載されている)の徴収が指示されている。この諸国御前帳は、翌年の朝鮮への出陣と連動し、九月以降の軍役量の基礎となっているものであるという。津軽・南部両氏は「肥前名護屋在陣衆」の一員として動員されているので、両氏の知行石高は、少なくとも天正十九年十月までには決定されていたものとみることができる。
では、津軽氏の石高はどのくらいであったのであろうか。表1によると、津軽氏の石高は、三万石もしくは三万四〇〇〇石とされている。奥羽大名の朝鮮出兵の際の軍役は、およそ二〇〇石につき一人(渡海人数はその半分の四〇〇石につき一人)であった。これは、「遠国(おんごく)」に対しては、軍役の人数の軽減・その期間の短縮が初めから意図されていたことによるものであったからという(藤木久志「中世奥羽の終末」小林清治他編『中世奥羽の世界』一九七八年 東京大学出版会刊)。この時、津軽氏の軍役は一五〇人とあり(資料近世1No.四七)、それにより判断すると、石高は三万石ということになる。
表1 北奥羽大名の領知高(万石以上) |
史 料 名 | 南部氏 | 津軽氏 | 秋田氏 | 小野寺氏 | 戸沢氏 |
万 | 万 | 万 | 万 | 万 | |
A 天正年中大名帳 | 11 | 3,4000 | 5 | 3 | 4 |
B 慶長4年諸侯分限帳 | 10 | 3 | 19 | 4 | |
C 太閤秀吉公時代諸大名分限帳 | 10 | 3 | 5 | 3 | 3 |
D 太閤御時代一万石以上之分限帳 | 11 | 3 | 5 | 3 | 3 |
E 慶長3年大名帳 | 11 | 3 | 5 | 3 | 3 |
F 伏見普請役之帳 | 10 | 3 | 5 | 3 | 3 |
G 秀吉朱印状(天正19年) | 5,2440 | 3,1600 | 4,4350 |
表2は、慶長元年(一五九六)から慶長四年までの伏見作事板の割り当てを示したものである。作事板と石高との関係は、慶長元年は約三〇〇石に板一間という比率となり、翌二年以降は、約二〇〇石に一間となっている。津軽氏への割り当ては、小野寺氏の割り当て量とほぼ一致していることがわかる。小野寺氏の石高は、天正十九年(一五九一)一月に三万一六〇〇石と定められている。先にみたように、津軽氏の石高は小野寺氏と同じようになっているので、およそ三万石程度であったことをうかがわせる。慶長四年を例にしてみると、両者には五間の相違があり、これを石高に置き換えると一〇〇〇石(五間×二〇〇石)となり、津軽氏の石高は、表1で得られたものに近似してくることになる。ここから、津軽氏の領知高は、約三万石であったと考えられる(小野寺氏より若干少ない程度)。
表2 伏見作事板の割り当て(慶長元~同4年) |
大名(朱印高) | 慶長元年分 | 慶長2年分 | 慶長3年分 | 慶長4年分 | |
石 | 間 | 間 | 間 | 間 | |
秋田氏 | (52,440) | 225 | 350 | 350 | 350 |
津軽氏 | 90 | 145 | 145 | 140 | |
仁賀保氏 | ( 3,715) | 10 | 30 | 30 | 30 |
赤宇津氏 | ( 4,500) | 11 | 33 | 33 | 33 |
滝沢氏 | ( 2,800) | 7 | 21 | 21 | 21 |
内越氏 | ( 1,250) | 4 | 12 | 12 | 12 |
六郷氏 | ( 4,518) | 11 | 33 | 33 | 33 |
岩屋氏 | ( 891) | 2 | 6 | 6 | 6 |
小野寺氏 | (31,600) | 90 | 145 | 145 | 145 |
戸沢氏 | (44,350) | 100 | 160 | 160 | 160 |
本堂氏 | ( 8,983) | 22 | 66 | 66 | 66 |