「貞享検地」のおもだった役人は、高田領検地の派遣役人、ないし高田領検地と何らかのかかわりを有する者であり、「貞享検地」が高田検地に派遣された役人たちによって実施されたという側面を持っていることは明らかである。具体的にみていくと、惣奉行は大道寺繁清と間宮勝守であり、大道寺は高田検地の惣奉行、間宮は元締めであった。元締め二人のうち、田口維章(これあき)は高田領検地では検地奉行であり、武田定清は天和年間の領内検地においては検地奉行三人のうちの一人であり、高田領検地が下命されると領内検地を中止して城下弘前へ戻るよう命じられ、派遣要員とされた(実際には派遣されなかった)。検地奉行の太田茂左衛門と今次兵衛は、高田検地にはともに竿奉行として国元から派遣された。また竿奉行一〇人のうち六人が、高田検地の竿奉行その他二人も検地役人としてそれぞれ派遣されている。
また、検地役人の体制面からみると、寛文~天和期(一六六一~一六八三)の津軽領の検地では、比較的小規模な編成だったのに対し、「貞享検地」にみられるような惣奉行・元締め・検地奉行・目付・竿奉行等といった検地役人の組織体制を作って領内総検地を実施するという方法は、高田領検地の影響が如実に現れているものであるといってよい。
このような検地役人の共通性のほかにも、高田領検地と「貞享検地」の関連性をうかがわせる事例としては、「貞享検地」の間数の基準値が、幕領検地の基準と同じ一間=六尺一寸の間竿と、一反=三百歩という田積を用いていること(資料近世1No.一一六一解説)、「貞享検地」でも検地竿に高田領検地で用いられた「なよ竹」などを用いていること(「国日記」貞享元年四月八日条)などがみられ、幕領検地の経験で得た方式が領内検地に導入されている。
表16 御竿奉行勤方覚書(天和4年3年月12日)の内容 |
条 | 項 目 | 備 考 |
1 | 田位付之義 | |
2 | 田畑位付之義 | |
3 | 御検地之時分御竿延縮無之様随分念を入御竿取にも可下知事 | 附あり |
4 | 屋舗四壁引之事 | |
5 | 御仮屋屋舗御番所屋舗之事 | |
6 | 町屋敷地子屋敷寺屋敷除地屋敷之事 | 但書あり |
7 | 庄屋屋舗之内ニ小蔵有之事 | |
8 | 御蔵屋舗之事 | |
9 | 堂地社地之事 | 但書あり |
10 | 畔引井寸尺用捨之事 | 但書あり |
11 | 田地畔引之事 | |
12 | 畑を田に願候事 | |
13 | 田を畑に願候事 | |
14 | 漆杉松楮こかい桐新田畑之事 | |
15 | 川端に有之田畑之事 | 但書あり |
16 | 山畑之事 | |
17 | 給地割入打分之事 | |
18 | 川原田畑に願候事 | |
19 | 御鳥屋場之内畑有之事 | |
20 | 藪之内畑有之事 | |
21 | 稲上ヶ場之事 | |
22 | 堰合に作毛仕付候事 | |
23 | 新堰新道足道新江溝新溜池水除之土手下新さんまい原井足地之事 | 但書あり(案紙4例) |
24 | 空地之事 | |
25 | 座頭其外村中介扴抱にて住所仕候者之事 | 但書あり |
26 | 切替畑之事 | |
27 | 田畑共に他村へ入込候事 | |
28 | 村境論井論地之事 | |
29 | 小帳はつれ之事 | |
30 | 古川御鷹場之事 | |
31 | 川端堰端之事 | |
32 | 百姓合帳之事 | |
33 | 下札井打印之事 | |
34 | 悪地にて下々田にも釣合不申田之事 | |
35 | 畑位付之事 | 但書あり(活字本は34条にこの条を含む) |
36 | 御竿先にて給人上ヶ地之事 | |
37 | 漆桑楮桐杉松古畑之内に有之事 | |
38 | 永荒場井川欠山崩其外田畑に可罷成所之事 | |
39 | 其村検地前に絵図引合致見分大概を究田畑位付相違無之様可致御検地事 | 全文 |
40 | 御蔵地給人地寺社領入組之所は双方之百姓立合せ検地可仕給人之家来出申候はゝ猶以之事に候間立合セ可申事 | 全文 |
41 | 山盛林池堤町沼潟萢浜鳥屋場藪牧右之品々可致検地 | 但書あり |
次に、支配機構の面からみると、一〇人の竿奉行は、本来の役職が高田領検地の場合に比べて役格の高い者が多い。高田領検地の場合、竿奉行は手廻組・馬廻組に属する藩士が務めることが多かった。限られた短期間に検地を実施したために役職等の異動もみられなかった。これに対して貞享検地の場合(「国日記」貞享元年十二月二十一日条)、検地役人の本来の役職に異動がみられる。他に史料がなく断定はできないが、貞享検地の場合、支配機構上の役職に異動があったとしても、地方功者の能力を優先させて、検地の担当者の任からは外さなかったということができるのではないだろうか。
もう一つ、たとえば検地奉行の太田茂左衛門が任じられた馬廻番頭の支配機構上の序列は、竿奉行の田村・対馬の役職である勘定奉行・郡奉行よりは下の地位である。つまり支配機構内の役職とその役職に付随する職掌は一応決まっているものの、事業によっては個人の持つ能力を優先した人事・人材の活用が図られていたということができるのではないであろうか。