藩から県へ

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明治四年(一八七一)七月十四日、廃藩置県(はいはんちけん)の詔勅が発布され、藩体制は名実ともに解体し、弘前藩も弘前県と改称されることとなった。この当時、青森県域には江戸時代からの藩領を管轄する弘前・黒石・八戸藩と、盛岡藩の減封に伴って明治二年に成立した七戸藩、同年会津藩の減転封により、二戸・三戸・北郡を領有した斗南(となみ)藩の五藩が存在した(図80参照)。

図79.弘前藩知事辞令

 廃藩置県の断行は新政府内で極秘裏に検討され、万一の反対に備えて薩摩・長州・土佐藩から約一万人の兵士を御親兵として東京に上京させていたが、抵抗はまったくなかった。弘前藩知事津軽承昭(つぐあきら)は明治四年四月二十八日に弘前を発し、五月十五日に東京に着いており、七月十四日には東京で藩知事を免官された。承昭に同行していた大参事杉山龍江は同日太政官に呼び出され、廃藩置県と承昭の罷免とともに、従来の藩名をもって県名とすること、官員の事務はこれまでのとおりとすべきことを通知され、この報知は七月二十六日に国元で諸士に示された(資料近世2No.六一二・六一四)。廃藩置県はいわゆる「第二の王政復古」とも呼ばれる重大な政策断行であったが、これにより新政府に対抗する政治勢力がなくなり、それまで藩から派遣される形で新政府の政務を担当していた官員は、藩利益との相剋(そうこく)に悩まされずに政治を推進できるようになった。新たに成立した県には中央から県令(または権令(ごんれい))が派遣されることとなり、旧藩主は東京に集められて封地との関係は断絶した。この点で廃藩置県は明治二年の版籍奉還とは決定的に本質を異にするものであったが、なぜ、これへの反抗が起こらなかったのだろうか。

図80.青森県の成立

 ひとつには、杉山龍江に伝えられたように、当面の間、新県の事務は旧体制に従って取り扱うとされ、藩政が即座に停止されたのでも、秩禄(ちつろく)処分のような士族階層に激変を与える政策が伴ったのでもない。もちろん、帰田法のように新しい県令が着任すれば疑念を持たれかねない強引な一部の政策については、既成事実を作り上げてしまおうという焦った施策が行われたが、おおむね旧藩の指導者の意識は現状の延長にとどまっていたと思われる。
 第二の原因は、新政府に反対しようにもこの時点ですでにその余裕がまったくなかったことである。戊辰戦争後の藩財政窮乏についてはすでに各項で詳述したが、廃藩時に少なく見積もっても藩歳入を超過する借財を抱え、明日の食料にも事欠く藩士が出るありさまでは反乱など思いもつかなかった。
 財政の窮乏は弘前県などはまだましな方で、その他の県の逼迫(ひっぱく)は想像を絶した。たとえば斗南藩転封された二戸・三戸・北郡の表高は三万石とされていたが、実際に来着してみると、実高は六〇〇〇石程度で、ほぼ着の身着のままで移住してきた藩士たちには農耕の道具さえ買えない状況であった。このため斗南藩は弘前藩に農具購入資金の救助を訴え、弘前藩は一〇〇〇両を拠出している(『弘前藩記事』明治四年二月二十九日条)。また、明治二年の凶作に苦しめられた黒石藩では、財政窮乏に耐えかねて明治四年秋に収納した年貢の半分を年内に支出してしまい、新生青森県に繰り入れる金穀が極端に少ないと県権参事(ごんさんじ)野田豁通(ひろみち)によって報告されている(「青森県史料」明治四年十二月一日条 国立公文書館蔵)。
 事態を憂慮した斗南県少参事広沢安任(やすとう)と八戸県大参事太田広城(ひろき)は会談して、困窮のどん底にある斗南・八戸・七戸・黒石県弘前県と合併すれば、表高は一七万石ほどにもなり、政務の費も大幅に省略できるとして、この案を四年八月に内務卿大久保利通に建議していた。大久保は両名を内務省に呼び出し、津軽と南部の事情を聴取した。その後弁事田中不二麿(ふじまろ)・内田政風(まさかぜ)や大蔵大丞(だいじょう)林友幸らによって詳細な取り調べがあり、四年九月四日に県域の五県と、同じく財政難にあえいでいた館(たて)県(旧松前藩)もこれに加えられ、弘前県は現在の青森県域と道南地方にまたがる広大な県となった(「県庁進達留」八戸市立図書館蔵、「八戸藩ノ偉材太田広城」『青森県史』、合併した弘前県の規模については表32参照)。しかし、弘前県は九月二十三日に青森県と改称され、県庁も弘前から青森に移転することとなった。十月十三日にはそれが民間に布達され、十一月二日付で野田豁通県権参事に、同七日付で野田の上司として菱田重禧(ひしだしげよし)が県権令(ごんれい)に任官し、十二月一日に開庁式が行われ、青森県政が始動した(「公文録」各日条 国立公文書館蔵)。

図81.広沢安任


図82.県庁元帳

表32.旧県田畑反別・租税高一覧(青森県域)
県 名反 別
(町歩)
石 高
(石)
租税
(米-石)
租税
(金-円)
租税
(銭-貫)
弘前県52,434.54329,673.64115,8273.2455,401.099 
黒石県1,194.2311,192.6118,236.272268.892 
斗南県不詳34,747.4657,310.37814,503.137 12,489.432
七戸県1,095.2314795.4722,729.4273,471.715111,907.163
八戸県不詳21,744.28 2,480.5367,041.125 93,271.697
江刺県管轄
二戸郡60ヵ村
不詳10,826.8542.64 4,488.138 
総 計53,628.77422,980.041179,032.49835,173.441 117,666.292
注)青森県歴史」明治4年11月(日欠)条(国立公文言館蔵)より作成。
 表中反別の歩の単位は四捨五入した。総計の数値は原文記載のものである。