1万年前、あきしまの縄文人は多摩川で獲った魚や貝、石器ですりつぶした木の実を食べて、林ノ上公園や上川原町の周辺で暮らしていました。一方、洪水が多発する多摩川が水田耕作に適さなかったせいか、弥生人の痕跡は見つかっていません。やがてあきしまは、古墳時代・平安時代を経て、武士の時代を迎えます。多摩川の河岸段丘沿いに広がる、この時期の遺跡・集落・神社・寺院の数々は、段丘からしみ出す湧き水が人びとの暮らしを支えていたことを物語っています。

段丘崖の湧水に育まれた、あきしまの“原始~古代・中世の記憶”をたどります。

  • 大日堂

    天暦6年(952)開創

    拝島公園にある古色豊かな仏堂 大日堂

    拝島公園の一角に、日吉神社、拝島大師と並んで鎮座している寺院です。天暦6年の多摩川の大洪水の折に、川の州に流れ着いた大日如来の木像を村民がお迎えし、一堂を建立したといわれています。境内には、薬師堂、鐘楼、仁王門、拝島のフジ、おねいの井戸、わき水などがあります。

  • 大日堂の木造如来坐像

    平安時代~江戸時代

    東京都指定有形文化財・彫刻 大日堂の木造如来坐像

    大日堂の堂内に三体の木造如来像があります。大日堂の本尊である「木造大日如来(金剛界)坐像」と、その両側に鎮座する脇侍「木造釈迦如来坐像」「木造阿弥陀如来坐像」です。いずれも寄木造り・漆箔で、都の指定有形文化財に指定されています。

  • 広福寺

    室町時代創建

    樹齢500年の大松がある古刹 広福寺

    多摩川の河岸段丘沿いにある福島町の寺院です。南北朝時代の銘が刻された古碑が現存することから、室町時代初頭の創建といわれています。境内には市指定天然記念物の樹齢約500年の大松、墓地には市指定旧跡の内藤源佐衛門藤原正頼の墓もあります。

  • 紅林家文書四通

    安土・桃山時代

    昭島の中世を知る貴重な文書 紅林家文書四通

    市内郷地町の紅林家に伝来していた、昭島市に残る唯一の中世文書です。後北条時代のもので、紅林八兵衛という人物に宛てたものです。文書の内容から、八兵衛が北条氏照の家臣であったことはわかっていますが、詳細はまだ明らかになっていません。八兵衛の近親者「おなへ母」によって書かれた書状です。当時の女性の手紙は珍しく、大変貴重なものです。現在は、昭島市教育委員会に寄贈されています。

  • 縄文時代~

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    古にこの地を選び暮らし始めた先人たちが残したもの 昭島市の出土遺物

    多摩川に面した南向きの台地は、古代人にとって恵まれた生活環境であったため、縄文時代以来、連綿と人々の生活が営まれてきました。
    最初の本格的な集落は、約9000年前の縄文早期で、林ノ上遺跡や上川原遺跡など、市内で最も標高の高い立川段丘上に居住しました。
    その後、約4000年前の縄文中期には、龍津寺東遺跡・西上遺跡・広福寺台遺跡から竪穴住居跡などが発見されています。
    玉川町から発見された火葬墓は奈良時代の有力者の墓として貴重です。
    それぞれの時代に生きてきた人々の生活を営む姿を思い浮かべながら、各遺跡から出土した土器などの遺物をごらんください。

    出土遺物

    西上遺跡から出土した縄文時代中期の土器です。勝坂式の変化にとんだ器形と可憐な文様で、把手に人面や動物を付けたものも見られます。

    施文具の標本

    縄文式土器の文様を付けるための施文具の標本です。撚り合わされた紐や縄を土器の器面に転がすことで文様を付けます

    獣脚付有蓋短頸壺

    奈良時代前半

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    全国で数例しかない獣脚付き骨壷の出土 獣脚付有蓋短頸壺 付・石櫃他一括

    昭和54年、東中神駅近くの立川段丘から発掘された、火葬した骨が収められていた壺と石櫃です。下水道工事中に発見された奈良時代の火葬墓から出土しました。獣脚付き骨壺の出土は全国で数例しかなく、東京都指定有形文化財になっています。昭島市では、奈良・平安時代の墓そのものの発見が少なく、昭島の歴史を考える上で大きな意味がある文化財です。

    縄文時代初頭の丸底深鉢形土器

    縄文時代

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    南関東最古の縄文時代早期土器 縄文時代初頭の丸底深鉢形土器

    この土器は、縄文時代初頭の撚糸文系井草式土器(杉並区井草遺跡を標準遺跡として命名)で、この時期のものとしては珍しく原形をよく保っています。
    昭和45年(1970)、上川原遺跡の第一次発掘調査が行われた際に発見されました。
    文様は撚糸を回転押捺した、いわゆる縄文が全面に施されています。南関東最古の土器の一つとして、考古学上きわめて貴重な遺物です。

  • 平安時代

    旧宮沢村の鎮守と豊富な湧き水
    諏訪神社と湧水

    拝島段丘の崖の上に鎮座する神社です。最初はこの地域に古くから居住していた小町氏の氏神として建てられ、その後、諏訪大社を勧請して祀ったといわれています。神社の石垣の下からは豊富な清水が湧き出ており、子どもたちの水遊びの場としても親しまれています。

  • 水神社と「水の講」

    中世(?)

    古来からの清泉の里を守り続ける 水神社と「水の講」

    宮沢町・中神町は古くから湧水に恵まれた土地で、いまでも段丘崖から清水が湧き出る場所がいくつもあります。その水源のひとつ、宮沢2丁目のわさび田の𦚰には、清泉を守護する水神社が建っています。ここからの清流を利用する家々は、澄んだ堀を守るために「水の講」と呼ばれる生活協同的な組織をつくり、毎年2月に水源から下流に向かって堀をきれいに清掃する「お日持ち」という行事をおこないます。

  • 日吉神社

    天暦年間(947-957)創建

    祭・囃子・彫刻・絵画…貴重な文化財の数々 日吉神社

    拝島段丘の崖上に大日堂と並んで建つ、旧拝島村の総鎮守社です。大日堂の守護社として創建され、江戸時代は大日堂の管轄下にありましたが、明治初期の神仏分離によって独立、日吉神社と改められました。本殿の彫刻・絵画および弊殿の杉戸絵は市の有形文化財に指定されています。また、日吉神社の例大祭の一部である榊祭は、東京都指定無形民俗文化財になっています。

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