第一次藩政改革と特色

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同日、藩主承昭は藩士を惣(そう)登城させたうえで、自筆書と家老口達を回覧させた。その内容は、昨春以来の各地派兵や箱館戦争では総督府から感状を賜り、武門の名誉であるが、朝廷が推進している府藩県一致の制度である藩治職制に対する取り組みが遅れており、これに邁進(まいしん)せねばならないこと、および武備の拡充を今後も継続する必要から、軍費負担が続く中ではあるが、禄高一〇〇石につき七厘五毛(七・五パーセント)の割で軍資金を控除(こうじょ)するというものであった(資料近世2No.五七〇)。
 表20はこの六月に定められた藩庁組織であるが、それらは具体的にどのような成であったのであろうか。まずここで全藩士は一等から五等にランクされているが、「改正職制一列表」をみると、正確には一等~二等上・二等下~五等下までの九級に序列化されており、等級ごとに席禄(せきろく)や役料(やくりょう)(家禄とは別に勤務中に支給される給与)が異なっている(同前No.五七三)。組織の成面では藩庁は新たに政事堂と呼ばれ、旧家老執政(しっせい)、用人参政(さんせい)、各部署の長は知局事と称するなど、全般にわたって職制や名称を一新した。政事堂は政治首脳部が成し公務方監察方に分かれる。公務方新政府集議院に出席したり、国元と東京間の連絡調整を務める公議人と、その補佐の公用人などからなり、旧組織では江戸詰に当たる。監察方は旧大目付(おおめつけ)・目付に該当する大監察・監察からなり、下部に巡察方・隠密(おんみつ)方があり、ここには旧早道之者(はやみちのもの)などがまとめられた。
表20.明治2年6月12日改正藩庁組織
藩治職表一等二等三等四等五等
政事堂執政参政書記筆生
公務方公議人公用人書記筆生
監察方大監察監察巡察方
隠密方
文武局知局事議事
監察
書記筆生
武庫方締方
砲術方調方
操教方調方
郡政局知局事調方筆生
山林調方締方
生産方調方
市政局知局事調方
筆生
社寺方調方筆生
刑律方調方
会計局知局事庶務調方同締方
営造方調方
勘算方
庖厨方勘算方
商社方調方頭取
(注)資料近世2No.五七一より作成。

 次に文武局であるが、これは旧軍政局が発展的に拡大した部局で、軍事だけでなく、文芸の涵養、人材育成といった藩校の機能も吸収した。文武を兼備してこそ富国強兵は達成されるという新政府の指針を反映させたのである。局内は知局事の下に議事という補佐を置き、それとは別に藩校や局中の風紀取り締まりに当たる監察が置かれた。さらに文武局兵站(へいたん)の武庫方(ぶこかた)、銃砲訓練の砲術方、一般軍事訓練の操教方(そうきょうかた)に分かれており、従来と比べれば軍事的専門性ははるかに高度化された感がある。
 その他、郡政局は旧郡方(こおりかた)で職掌は農業・林野生産の把握、市政局は旧寺社方町方で宗教や町政・司法を、会計局は旧勘定方作事方台所方を統合したうえに、青森商社の管理運営に当たる商社方も含んでおり(青森商社については本章第三節二参照)、広範に財政を担当した。この改革が発表される以前の藩の職制は、有名無実化して実際には人員が配置されていない部署や、銭給・扶持給による町人農民・雇いの者などを除けば、実に四四一に上る役職が存在し、役方(やくかた)(行政)・番方(ばんかた)(軍事)・奥向(おくむき)(藩主家政)・小普請(こぶしん)(無役)に分かれて、非常に複雑な組織となっていた(「嘉永四年改分限元帳」弘図津)。それと比較すれば、この改革では組織の整理が大胆に進められ、城代家老を筆頭とする七四の役職も廃止されて、冗員の排除にも懸命に取り組んだことがうかがわれる。
 この改革の大きな特色は、家禄のあり方にも改変を加えた点であった。つまり、従来、藩士たちに渡される禄には石(こく)取り・俵子(ひょうす)・扶持(ふち)・金給(きんきゅう)など雑多な種類があり、それらは相互に組み合ってその武士や家の身分や格式を成していた。それがここでは一律に一俵四斗入りの俵子渡しに改正された。禄制はより理解しやすくなり、封建的身分制の打破にもつながったといえるのであり、箱館戦争終了からわずか一ヵ月の間にこれだけの改革を断行したことは、藩当局が藩治職制問題を大きな課題としてとらえていた証(あかし)である。しかし、この改革では新政府が意図するような藩権力の削減、つまり、定員や家禄の削減などには十分応えきれていない面が目につく。たとえば、七四の役職が廃止になったといっても、同時に藩は「役免并隠居嫡子准席定(やくめんならびにいんきょちゃくしじゅんせきさだめ)」等の規定を発表し、無役となった者の公的場所における席次や、嫡子の家督相続の保全を定めており、彼らの家禄や家格を奪うことは毛頭考えていなかった。また、家禄の削減については表21から実際の様子を考察しよう。
 表21は「分限元帳(明治二年改)」(弘図津)から無作為に選び出した一等銃隊(旧御手廻組)一小隊四二人の家禄比較表である。これによると、元高は四二人中一八人が石取り、一一人が俵子取り、一二人が金給、一人が扶持取りと大別できるが、これらを一律に比較することは非常に困難である。というのも、家禄の渡し方には藩政時代からの細かな規定があり、石取りでは一〇〇石以上は四ツ成(四割を得ること)、五〇石になると四ツ成に二人扶持の付扶持、三〇石台だと五ツ成、等々、個々の藩士財政を考慮してさまざまな段階が設定されていた。また、禄高に応じて「段取(だんど)り」という控除の適があったため、機械的に換算しにくいのである。よって、表中「元高の実質高(A)」の欄はあくまで概数にすぎず、実際は「段取り」を考慮すればこれより少ない数になるはずである。表では改正高の元高に対する比率が全体平均で約九二・八パーセントと、七・二パーセントの家禄削減が行われている結果を示しているが、実際の削減率はもっと小さくなるだろう。
表21.明治2年6月12日改正禄高表(旧御手廻組一等銃隊42名)
No.元高元高の実
質高(A)
元高の換算方法改正高改正高
の実質
高(B)
B/A
(%)
1130石52.0石四ツ成130俵52.0石100 
2130石52.0石 〃130俵52.0石100 
3120石48.0石 〃120俵48.0石100 
4100石40.0石 〃100俵40.0石100 
5100石40.0石 〃100俵40.0石100 
6100石40.0石 〃100俵40.0石100 
7100石40.0石 〃100俵40.0石100 
8100石40.0石 〃100俵40.0石100 
9100石40.0石 〃100俵40.0石100 
10100石40.0石 〃100俵40.0石100 
11100石40.0石 〃100俵40.0石100 
12100石40.0石 〃100俵40.0石100 
13100石40.0石 〃100俵40.0石100 
1450石23.54石四ツ成+2人扶持(3.54石)58俵3斗4升23.54石100 
1550石23.54石 〃58俵3斗4升23.54石100 
1630石13.77石 〃38俵3斗4升外11俵6升20.0石145.24
1730石外3人扶持17.31石四ツ成+3人扶持(5.31石)38俵3斗4升外6升15.6石90.12
1820石外2人扶持13.54石五ツ成+2人扶持(3.54石)38俵3斗4升外11俵6升20.0石147.71
19100俵35.0石1俵3斗5升入り67俵8升26.88石76.8 
20100俵35.0石 〃67俵8升26.88石76.8 
21100俵35.0石 〃67俵8升26.88石76.8 
22100俵35.0石 〃67俵8升26.88石76.8 
23100俵外4人扶持42.08石1俵3斗5升入り+4人扶持(7.08石)84俵3斗6升33.96石80.7 
2450俵3人扶持外1人扶持24.58石 〃47俵1升18.81石76.53
2545俵3人扶持21.06石1俵3斗5升入り十3人扶持(5.31石)53俵3斗1升21.51石102.13
2640俵3人扶持外10俵22.81石 〃45俵1斗外2斗6升18.36石87.18
2745俵3人扶持外10俵2人扶持26.02石1俵3斗5升入り+5人扶持(8.85石)49俵1斗4升外2斗6升20.0石76.86
2830俵2人扶持外20俵2人扶持24.58石1俵3斗5升入り+4人扶持(7.08石)32俵3斗6升外17俵4升20.0石81.37
2930俵3人扶持外15俵2人扶持24.6石1俵3斗5升入り+5人扶持(8.85石)37俵1斗3升外12俵2斗7升20.0石81.3 
3015両6人扶持42.62石1両=銀80匁、銀15匁=米4斗の換算88俵3斗5升35.55石83.41
3110両5人扶持31.95石 〃66俵2斗7升26.67石83.47
3210両5人扶持31.95石 〃66俵2斗7升26.67石83.47
3310両5人扶持31.95石 〃66俵2斗7升26.67石83.47
3410両4人扶持28.41石 〃62俵1斗24.9石87.65
358両4人扶持24.15石 〃56俵3斗2升22.72石94.08
368両4人扶持24.15石 〃56俵3斗2升22.72石94.08
378両2人扶持20.61石 〃47俵3斗8升外2斗1升19.39石94.08
386両2歩2人扶持外1両2歩20.61石 〃49俵1斗9升外2斗1升20.0石97.04
396両2人扶持外2両20.61石 〃47俵1斗18.9石91.7 
406両4人扶持外2両24.15石 〃47俵1升外3斗9升19.2石79.5 
415両1歩3人扶持外2両3歩1人扶持24.15石 〃38俵3斗7升15.57石64.47
4232人扶持56.64石1人扶持=1.77石に換算121俵2斗8升48.68石85.95
平均 
92.83
注)分限元帳(嘉永四年改)」・「分限元帳(明治二年改)」(弘図津)・『津軽史事典』(1977年 名著出版社)P79~80などにより作成。
1人扶持は一律に1.77石で計算した。
物成・段取り規定はすべて『津軽史事典』のものをいた。

 確かにこの時期に大幅な家禄削減が断行されたら、戊辰戦争後の戦費負担に苦しむ藩士にとり大きな負担となり、激しい不満が噴出したであろう。そこで藩は銃隊員として広範に動員された番方以外の者を元の役職に復帰させ、少々の役職の整理統合と、緩やかな家禄削減にとどめたのである。