[翻刻]

 (表紙)
  
  「 宿  継  要  書  留 」
 
脇坂様より被下置候御証文之写      2
 
         定
一 たて茶  一 紙荷  一 綿  一ひつ荷
一 めんたい 一 ふと物 一 麻荢
一 たばこ
右之七色次駄賃ニ而可通之、自然
押而可通与申族有之候ハゝ、其所ニ
留置、子細聞届可致住進、
之事者、
御公儀御定之通取可申者也
                渡邉九兵衛
   正保三年三月十八日  
 
  (改頁)      3
 
                   市田
                    問屋

此書付ハ元禄公事之節
御公儀様江御取上ニ相成候
 
元禄七甲戌年八月中馬追共、伊奈
 街道十六ケ宿及論事ニ、其節江戸
 於評定所被仰付、御裁許
 状之写左之通
          中馬方 宮木村へ壱通
          宿方  飯田へ壱通
          商人方 松本へ壱通
 
  (改頁)
 
信州伊奈郡七拾三ケ村中馬并同国
筑摩郡松本町商人与同国伊那
海道拾六ケ宿問屋継馬諍論
事、中馬之者申趣伊那海道諸
色商荷物、従古来尾州
松本江通り馬ニ而通路仕来
候、先年脇坂中務少輔信州
領地之節、家来方より七色之荷物
可致宿次旨、市田村問屋方書
付差出ニ付、荷物上まへ掠取候
故、弐拾弐年以前右之段訴候処、従
奉行所証文出之、如前致通路
候、然ニ去春問屋共七色之荷物
宿次ニ申付候由申立、荷物九駄押
止候由訴之、松本町商人申候者、此方
地頭方江十六宿問屋訴候者、去
 
  (改頁)      4
 
商人荷物宿次ニ可仕旨申付候故、
伊那海道筋御領私領七色之
荷物中馬ニ不為付候所、松本町之者
今以中馬荷物売出シ候間、向後無
用之由ニ連判之訴状差出候、其
松本町者中売所与申立売遣し
荷物押候由申之、拾六ケ宿問屋
答候ハ、中馬之者申通先年証文
出候節ハ出所より之作物斗中馬
通候処、近年松本町商人与致一味
出所より之作物与申之、松本売買
荷物付通り候ニ付去春訴候処、
荷物証文之通宿次ニ致候故、
尾州三州より七色之荷物之内、付
通り候ニ付九百駄程押之、去松本
売買之荷物付通茂是又九
 
  (改頁)
 
駄押止之由申之、右訴論不分明ニ付、
為検使覚書藤右衛門手代松山儀兵衛・
都筑長左衛門手代関太郎兵衛差
遣之令穿鑿之所、先年証文
商人荷物出所より通馬ハ可為
其通与有之、然を宿問屋出所与
有之ハ七色之荷物作り出候在所より
之通馬之為文言由申之ニ付、作り
出ス在所之者召寄遂詮議之所、於
木本中馬ニ売出候義無之由口書さ
し出シ之、其上松本町ニ而売出し
宿次由宿問屋是又随申
之、右荷物拾六宿之者買出尾州
三州江付通候、弐拾四年以前より之
庭帳并七色之荷物所々より松本江付
来候送り状数通松本町之者致所持
上ハ、宿問屋訴趣旁以非分也、然上
 
  (改頁)      5
 
上ハ去春荷物宿次ニ申付候由、構虚
妄を為不届ニ付、伊奈海道問屋
令牢舎畢、向後諸色商荷物
中馬可付通一切不妨之為後証
裁許之趣申記之、三方江下置者也
 元禄七年
  甲戌八月十四日
    
   御勘定御奉行
       後御名
    井戸志摩守良弘  井 三十郎
       同断
    稲生下野守正照  稲 伊賀
    松平美濃守重良  松 美濃
   御町奉行
    川口摂津守    川 摂津
 
  (改頁)
 
    能勢出雲守頼相  能 出雲
   寺社御奉行  
 本多紀伊守正永  本 紀伊
   戸田能登守忠真  戸 能登
    松浦壱岐守棟   松 壱岐
      
  七色荷物品左之通
一多葉粉   一麻荢    一綿  
一古手    一茶たて   一木綿  
一継荷
 
  (改頁)      6
 
      七拾三ケ村左之通
  水野隼人正領分
        二ケ村
  千村平右衛門御代官
        壱ケ村
  内藤駿河守領分
        拾四ケ村
  諏訪安房守領分
        四ケ村
  金丸又左衛門領分  
        五ケ村
  太田隠岐守領分
        六ケ村
 
  (改頁)
 
  高谷太兵衛領分
        拾ケ村
  堀大和守領分
        八ケ村
  松平摂津守領分
        三ケ村
  近藤宮内領分
        三ケ村
  高谷太兵衛領分
        七ケ村
  大草太郎左衛門領分
        二ケ村
  尾張中納言殿御領
        二ケ村
 
  (改頁)      7
 
  水野監物領分
        三ケ村
  牧野備後守領分
        三ケ村
  〆 七拾三ケ村
   
一 伊奈海道十六宿左之通
    村井
    塩尻
    松崎
    殿村
    伊奈部
 
  (改頁)
 
    宮田
    上穂
    飯島
    片桐
    大島
    市田
    飯田
    駒場
    波合
    平谷
    根羽
 
  (改頁)      8
 
右之通り御裁許状中馬追共
所持仕候処、宝永年中又々
之節、右通共ニ御取上ケ被 仰付
写斗所持仕候
          
   伊奈海道村井より根羽迄
   十六宿中馬争論之覚
一寛文十三丑年五月伊那郡中馬
 惣代宮木村・沢村之者両人江戸表
 出訴、則高木伊勢守様より御差
 紙ニ而飯田問屋市右衛門・大島問屋
 又左衛門・塩尻問屋八郎左衛門右三
 人被召呼御吟味之上、中馬
 勝手ニ罷成、向後荷物勝手次
 
  (改頁)
 
 第宿々ニ而口銭茂取不申筈ニ被
 仰付候
元禄七戌年右之訳故、宿々困
 窮相立不申之旨飯田・飯島問屋
 両人江戸表江出訴、依之御検使
 御両人松本より飯田迄御廻り、委細御
 吟味之上、伊奈郡中馬方之者共御
 差紙ニ而被召呼御吟味之上、弥以
 中馬方勝手ニ被 仰付、荷物
 手次第付通可申候、口銭茂弥取不
 申筈ニ被 仰付候、其上飯田問屋
 勘左衛門・飯島問屋新五郎両人江
 戸表ニ而籠舎被 仰付、塩尻問屋
 助右衛門ハ松本籠江被 仰付候、村
 井問屋両人茂閉門被 仰付籠
 舎閉門共ニ百廿日ニ而埒明申候
 
  (改頁)      9
 
一宝永三戌年伊奈郡中馬共申候者、伊
 奈海道筋者我々共申請候間、筑摩
 郡中馬
ハ新馬与申かけ通用為致
 間敷之旨理不尽申ニ付、筑摩郡
 中馬
之村々より江戸表江出訴、則伊奈郡
 中馬方之者共被召呼御吟味之上、
 筑摩郡中馬方願之通被 仰付、
 御裁許書中馬方双方并十六宿
 江壱通都合三通被下置、前両度之
 御裁許書ハ御評定所江御取
 上被遊候
 
    右裁許書
信州伊奈郡与筑摩郡村々中馬
新馬之儀訴出候、先年裁許
随有之道筋并荷物之品不
 
  (改頁)
 
及相定之、村々より付出候荷物
国々江致往来段、何之道筋
茂向後通馬継馬双方勝手
次第、依之先証文悉取上之候、
右裁許之趣可相守者也
    宝永三丙戌十月廿五日
  御勘定奉行
    石尾阿波守    石 阿波
  同 中山出雲守    中 出雲
  同 戸川日向守    戸 日向
  御町奉行
    坪内能登守    坪 能登
  御勘定奉行
    萩原近江守    萩 近江
 
  (改頁)      10
 
  御町奉行
    松野壱岐守    松 壱岐
  同 丹羽遠江守    丹 遠江
  寺社御奉行
    本多弾正弼    本 弾正
  同 堀左京亮     堀 左京
  同 三宅備前守    三 備前
  同 鳥井播磨守    鳥 播磨
 
  (改頁)      11
 
  享保廿年卯十一月
  被 仰出候       問屋 
               原久内代
       
   御町役人共江申渡覚
一公事訴訟其外願等之儀、其
 町支配問屋・庄屋申談
 寄
共江茂遂相談、内証ニ而
 相済候様取斗可申候、其上
 不相済儀ハ町下代迄内意
 申達、其上可差出事
一他所他国之者御城下町
 住人罷成候義、年寄問屋
 
  (改頁)
 
 庄屋遂吟味、其上支配之
 問屋・庄屋・町下代先立月
 番奉行所江申達、差図
 之上相極可申候
一雖為借屋之者・他所者
 致住居候ハヽ、其出所より之
 証文取之、支配役人申談
 人柄・家職吟味之上、年寄共へ
 茂内談、町下代迄申達
 可指置候、尤右之趣兼而申付
 置候事ニ候得共、近年猥相聞候、
 自今急度遂吟味無念無
 
  (改頁)      12
 
 之様ニ家持者共江も可申付
 置事
一家売買之事
一隠居跡式譲候事
一養子致候事
一後家入之事
右之類其筋問屋・庄屋承
届、其者共より三年寄へも
届置可申事
一町年寄役之儀御城下町
 
  (改頁)
 
 中之役儀ニ候得ハ、万事存
 可罷在事
町年寄問屋庄屋諸事
 申談、万端内々ニ而相済候
 様可相心得事
伝馬町桜町ハ古来より
 馬役
相勤候宿場ニ而、十三
 町とハ格別ニ付、町内何
 事ニよら須町年寄共江
 不及相談之段相聞候、併
 御城下町中之年寄役ニ
 
  (改頁)      13
 
 候得ハ、右両町之役人共も重キ
 儀者可及相談事ニ候、公事
 訴訟又ハ他国之者両町之
 内ニ永住宅仕候義ハ、年寄共へも
 相談之上可申出候、其余宿
 役等不依何事唯今迄
 之通、其支配役人取斗
 可申事
  卯十一月
 
  (改頁)
 
       覚
桜町茶市場之儀暮時を
 限り可致売買候、夜入荷物
 相残り候ハゝ、預置翌日可
 致売買候
右之通猥無之様ニ町内江
可申付候以上
 子五月       町奉行
               桜町
                問屋江
右享保十七年子年被仰出候
 
  (改頁)      14
 
     可致売買上條々
一袋茶類之事
一鍋金類之事
一奥馬之義ハ相対次第可致宿
 右領内へ令出入、両種至當町
 堅可商売、依為新在家所
 にきわひ候様ニと申付者也
            渡邉九兵衛  印
   慶安三庚寅二月 脇坂内膳   印
          桜町
 
  (改頁)
 
    定
木曽路江御用御荷物相送り候
 節、伝馬町桜町より伝馬役相勤
 可申事
   但馬数四疋以上者村々より
   伝馬可差出事
一従飯田より市瀬通り妻籠宿
  本馬壱疋ニ付一宿賄代銭五百文ツヽ
  可被下候事
  人足壱人ニ付
   一宿賄代銭弐百文ツヽ
         可下候事
 
  (改頁)      15
 
右之通木曽路江御伝馬
可相勤者也
  宝暦五年       郡奉行
    亥八月
 
  (改頁)      16
 
    宝暦十三年
中馬御検使 米倉幸内様  口上書差上候写
      高橋八十八様
    未十月 五日御着
       十一日御立
 
  (改頁)
 
    差上申一札之事
一信州伊奈郡・筑摩郡両之内八拾
 六ケ村中馬荷物付替ニ相障候旨、
 伊奈道馬継之内松嶋・宮木・
 北殿村問屋役人を相手取
 及争論候ニ付、今般右三ケ村御
 吟味被成候処、宝暦九卯年御裁許
 を相守取斗候段申上候得共、右御
 裁許之内心得違之儀有之候ニ付、
 私共村々庭帳共御糺被成候処、中
 
  (改頁)      17
 
 馬下シ候荷物を、其継場村より
 宿駄賃を以村々問屋送ニ
 仕候斗ニ者無之、区之儀有之候間
 御吟味之上、前書三ケ村より差上候
 書付為御読聞、逸々承知仕候、
 依之被仰聞候者宿之継送候
 間々之村方ニ而仕替中馬
 物
ニ紛候儀無之候得者、中馬
 物
ニ可障謂無之候、尤国法被
 仰出候ハヽ、違背仕間敷旨書
 
  (改頁)
 
 付差上候儀ニ付、追而難渋
 可仕儀無御座候得共、永久之
 儀以来双方差支無之致
 方考弁仕、一統申合心付
 候趣可申上旨被仰聞候段
 奉承知候
   
 此儀委細御理害被仰聞候
 段難有奉存候、評議仕候処
 難及懸案ニ、殊ニ平出村之儀
 者、前条卯年奉御裁許
 請候儀ニ付、竟難申上旨申
 
  (改頁)      18
 
 上候処被仰聞候者、問屋継ニ致
 来候荷物品極候儀無之故、村
 村ニ而区ニ心得及異論候ニ付、
 問屋送ニ可致品与中馬可付荷
 品を分、尤宿駄賃拂候而ハ
 中馬駄賃高直ニ相成、荷主
 共難儀可仕候間、松本・飯田・
 名古屋其外共是迄中馬
 渡候賃銭之通ニ而問屋送ニ
 仕、尤中馬之儀者可相届日限
 を極荷主より請取候由、右日限
 
  (改頁)
 
 延引候而者商人差支候趣、
 松本宿より先達而及出訴候、
 可届日限無相違継送、且又
 中馬之儀駄賃銭を以継送
 候稼ニハ無之、自分ニ買求候品を
 勝手宜所ニ而売買仕候旨、是又
 無相違相見候処、馬継場ニ而
 継合候ニ極候ニ而ハ、交易差支候
 段申立之候ニ付、中馬荷物
 合売買之儀者、何方ニ而茂勝手
 次第致候ハヽ、何連茂指支有
 之間敷、勿論定候駄賃を引
 
  (改頁)      19
 
 下ケ宿送之商荷物付送候而ハ、
 御用御通其外御通行之節
 荷物より過分之駄賃請取候様
 罷成、迷惑之旨申之候段一通
 相聞候得共、中馬之儀ハ壱人ニ而三、
 四疋追商荷物付送候儀故、定
 候駄賃を引下ケ付送候共、往来
 駄賃銭ニ差障候義無之段、御
 理害逸々御尤至極ニ奉承知候、
 右ニ付荷品分御尋被成候処
 恐多、此段ハ難申上候間、中馬
 継場村々共双方難儀不仕相
 
  (改頁)
 
 立候様、御賢恵を以御分被下候
 様奉願上候、右被仰渡候上御
 願ケ間敷儀申上間敷候、右
 之外如何様ニ被仰付候共、毛頭無
 違背御請仕急度相守、以
 来出入ケ間敷儀不仕候様取斗
 可申候
一前条問屋送之儀者、松本・飯田・
 尾州三州辺より往来伊那道
 筋之儀ニ而、中山道ハ勿論駅
 宿ニ拘候儀ニハ無之段被仰渡
 奉承知候
 
  (改頁)      20
 
 此儀伊奈道継場斗之段承
 知仕、然処北小野・南小野両村
 より松本町迄之間ニハ中山道塩
 尻宿・北国脇往還村井宿
 有之候得共、松本町江之儀者
 両村より付通、右両宿江前条
 賃銭ヲ以継送候様ニハ仕間敷
 候、岡谷村より下諏訪并甲州
 路金沢宿辺江之往来筋ニ
 御座候ヘハ、甲州路ハ先達而申
 上候通、内済ニ而極有之候通相
 守、其外村々より高遠宿
 
  (改頁)
 
 分り送り候荷物御座候共、高
 遠迄之間ハ継場無之、在道
 ニ而是又送り荷物之儀ハ此上
 被仰出候ニ准取斗可申候
     
右御吟味ニ付少茂相違之儀
不申上候以上
      岡谷村・平出村・伊奈部
      村宮田村・小野村・北小野
      村名主問屋印形
前書村々申上候通ニ付、継書印形
差上候処相違無御座候以上
 
  (改頁)      21
 
          名主組頭問屋印形
       赤須・上穂町・飯島町
     米倉幸内 様
     高橋八十八様
 
   差上申一札之事
一信州中馬通行之儀往来筋宿
 と度々及争論候ニ付、中馬稼仕候村
 村仕来并通行仕候宿々ハ、他国
 迄取斗方 御吟味被 仰付、此
 以後国法被仰出候儀茂可有之
 哉之段被聞奉承知候
 
  (改頁)
 
  此儀飯田町ニハ中馬稼仕候者無
 御座候得共、尾州三州・遠州辺
 当国松本町其外より中馬
取付来候荷物中馬荷問
 屋と申有之取捌、尤当町
 商人共より中馬江渡付送候荷
 品も御座候間、此以後中馬荷物
  付送り之儀、国法被 仰出候儀も
 御座候ハヽ、無相違急度相守、
 其節一言之御願等毛頭仕間
敷候、依之右荷問屋商人
  惣代として宿役人共連印書付
 差上申候
右御吟味ニ付少茂相違之儀
不申上候以上
 
  (改頁)      22
 
       堀大和守城下
        信州伊奈郡飯田町
             問屋 印
             庄屋
   宝暦十三年未十月十日
 
    米倉幸内  様
    高橋八十八 様
 
  (改頁)
 
    差上申一札之事
一信州伊奈郡・筑摩郡両郡之内八
 十六ケ村中馬荷物付替ニ相障候
 旨、伊奈道馬継之内松島・宮木・
 北殿村問屋役人共を相手取及
 論
候ニ付、今般御吟味被成候処、中馬
 方より申上候ハ、宝永三戌年御裁許
 相守候段申上候得共、右書下者村々
 よ里付出候荷品不及相定、通馬
 馬
双方勝手次第と有之候者、中馬
 江之被仰渡ニ而宿場ニ拘候儀ニ者
 無之、尤商荷物付送り中馬
 買可仕文言ニ者無御座、右三ケ村
 申立候者、宝暦九卯年被仰渡
 相守取斗候旨申候処、中馬荷物
 一宿ニ而茂下シ候ハヽ、其継場よ里
 
  (改頁)      23
 
 宿駄賃を以可継送被仰渡
 者無之候処、双方心得違候、然共
 松本・飯田荷問屋商人御糺被成
 候処、古来より商荷物中馬付送り
 候儀無相違相見へ、継場村々茂
 前書之通取斗候儀ニ付、右毎度
 之御裁許ニハ有之候へ共、此上宿
 荷物中馬荷物不紛致方考弁
 仕申上、以来異論不仕候様被仰渡候処、
 右三ケ村并市田より岡谷迄継場村
 村々共心付候義無之旨申上候ニ付、宿
 送りニ可仕荷品・中馬可付通荷品分
 ニ仕候ハヽ、紛候義有之間敷、然共
 馬
駄賃者下直ニ候処、宿駄賃
 之割合を以宿送りニ可仕哉之段
 委細御理害被仰聞候処、右継馬
 
  (改頁)
 
 村々一統奉承知、右之外如何様被
 仰出候共違背仕間敷旨申上之、
 中馬方申上候者、荷品分ニ被仰付候
 義御尤奉存候処、外之荷品無之節
 自分遣ニ調付帰候義も難成様ニ
 罷成候而、中馬稼差支可申哉之
 旨申上候ニ付、松本・飯田より付送り
 候商人荷物中馬宿送之駄
 数を分ケ被仰付候ハヽ、是迄之通
 宿場助ニ成ニ茂相成、中馬稼差
 支無之、尤宿送之義者問屋共
 相添候送状ニ、可相届日限書加極
 之通届候得者、中馬同所ニ而
 人
差支ニ相成候義無之積候、
 本
・飯田者中馬荷物懸合荷
 元之由ニ付、猶又外ニ心付候義も有之
 
  (改頁)      24
 
 候ハヽ、可申上旨奉承知候
   
 此儀被仰聞候御理害逸々奉承
 知、御慈悲之段御尤至極奉存候、
 宿送と中馬ニ相渡候荷物品分
 又ハ駄数割合ニ被仰付候共、中馬
 駄賃銭里数を以宿送り仕、尤相
 届日限延引不仕候様ニ、継場村
 村分被仰渡被下候得者、商人
 渡世ニ相障候義無之難有奉
 存候、右之段ハ飯田町より松本町
 迄之間江送候荷物伊奈郡道
 継場村々之義ニ而、中山道ハ勿
 論其外駅宿江相拘候義者無御
 座候旨奉承知候、国法被仰
 
  (改頁)
 
 出候ハヽ毛頭無違背相守可申段
 書付差上候義ニ付、此以後如何様
 被仰付候共、其節ニ至り御願等
 申上候儀者無御座候共、中馬
 并継場村々當時商人共渡世
 罷成候様ニ御慈悲之段奉願候
右御吟味ニ付少茂相違之儀
不申上候以上
      信州伊奈郡飯田町
        堀大和守城下
 宝暦十三未十月十日    問屋 印
              庄屋
    米倉幸内  様
    高橋八十八 様
 
  (改頁)      25
 
   宿々連印定書之事
一飯田・松本より送り出候継荷物之分、
 荷元江申達駄賃帳相添
 為差出、宿々ニ而右帳面ニ
 駄賃并敷金請取候訳相
 記継建可申事
一右両所より之出荷物駄賃之儀、
 宿々 御定之駄賃銭江割
 合申定之事
 飯田より 四拾文  市田より 三拾八文
 市田江       大島江
 
  (改頁)      26
 
 大島より 弐拾文  片桐より 八拾文
 片桐江       飯島江
 飯島より 八拾文  赤須より 四拾文
 赤須江       宮田江
 宮田より 七拾壱文 伊奈部より五拾三文
 伊奈部江      北殿村江
 北殿村より三拾七文 松島より 六拾四文
 松島江       宮木江
 宮木より 六拾四文 村井より 四拾六文
 南小野江      松本
 
  (改頁)
 
   合銭七百八拾文
 但シ中馬駄賃之銭高ヲ右御
駄賃之高江割合請取
 可申事
一庭銭之義通例之荷物ハ壱駄
 ニ付五文ツヽ敷金有之、荷物
 壱駄ニ付八文宛取之申定
 之事
尾州名古屋・三州岡崎・当国
 飯田・松本右四ケ所荷問屋
 出荷物之外木曽諏訪領
 
  (改頁)      27
 
 高遠領其外所々より出候商人荷物
 駄賃之儀、御定之駄賃より壱割半引下
 請取之継立可申事
  但シ中馬荷壱駄凡弐拾八貫目迄
  定荷物之軽重ニ御駄賃相定可申候
一日限有之急荷物之儀日付刻付ケ
 記、無遅滞継立可申候、万一致遅滞候
 宿者其宿より改之書付相添
 送り可申事
荷物之貫目并濡荷損荷等相互
 宿々ニ而随分相改可申候、万一貫目
 致不足候歟濡荷損荷等仕出候
 
  (改頁)
 
 宿者何分ニ茂其宿ニ而荷主与
 相対を以外宿江世話懸申間敷候
一在郷間之宿より出候二方荒神・
 駕籠・軽尻共ニ口銭取可申事、
  但シ荒神四文・駕籠ハ弐文・軽尻
  三文宛取之可申候
一右之通り宿継荷物付送りニ付、諸
 入用等相掛候ハヽ、宿々割合可致候、
 勿論右定之外新法之取斗
 方之義ハ、何ケ度茂宿々相談ヲ
 以相極メ可申事
右者前々より仕来茂有之候得共、
此度御裁許之上宿継荷物
 
  (改頁)      28
 
定法被 仰付候ニ付、宿々相談
之上右之通相定申所相違無
御座候、為後日宿々連判証文
仍而如件
   明和三年戌三月
     
  中馬ニ渡所々江送候荷品覚
    松本江送候分
宝暦十二午年中
一立茶〆五千六百九拾弐駄
  弐箇付壱駄
 但シ壱箇ニ付拾四貫目程
 
  (改頁)
 
  駄賃壱駄ニ付三百文より四百五拾文程
同断
一綿〆千弐百六拾弐駄
  弐箇付壱駄
 但シ壱箇ニ付拾四貫目程
  駄賃壱駄ニ付三百五拾文より五百五拾文程
同断
一椀〆弐百八拾壱駄
  四箇付壱駄
 但壱箇ニ付七貫目程
  駄賃壱駄ニ付三百文四百五拾文程
 
  (改頁)      29
 
同断
一元結〆三拾九駄    四箇付壱駄
           但シ壱箇七貫目程
  駄賃壱駄ニ付三百文より四百五拾文程
同断
一蜜柑〆拾駄      四箇付壱駄
           但シ壱箇七貫目程
  駄賃壱駄ニ付三百文より四百五拾文程
同断
一紙〆六駄       弐箇付壱駄
           但シ壱箇拾四貫程
  駄賃壱駄ニ付三百五拾文より五百五拾文程
 
  (改頁)
 
同断
一肴〆百弐拾四駄    四箇付壱駄
           但シ壱箇七貫目程
  駄賃壱駄ニ付三百五拾文より五百五拾文程
同断
一鉄類〆三拾三駄    弐箇付壱駄
           但シ壱箇拾三〆目程
  駄賃壱駄ニ付三百五拾文より五百五拾文程
同断
一太物〆拾三駄     弐箇付壱駄
           但シ壱箇拾四貫目程
  駄賃壱駄ニ付四百文より六百文程
同断
一柿〆三百拾五駄    弐箇付壱駄
           但シ壱箇拾弐〆目より
                   拾四〆目程
 
  (改頁)      30
 
  駄賃壱駄ニ付三百文より四百五拾文程
同断
一気田茶〆百六拾七駄  三箇付壱駄
           但シ壱箇九貫目程   
  駄賃壱駄ニ付三百五拾文より六百文程
同断
一蝋燭〆拾弐駄     四箇付壱駄
           但シ壱箇六〆目程より七〆目程
   駄賃壱駄ニ付四百文より六百文程
同断
一竹輪〆弐百駄     四把付壱駄
           但シ壱把六〆目より七〆目程
   駄賃壱駄ニ付弐百五拾文より四百文程
 
  (改頁)
 
同断
一傘〆拾九駄      四箇付壱駄
           但壱箇ニ付六貫目程
   駄賃壱駄ニ付四百文より六百文程
同断
一釘〆弐駄       弐箇付壱駄
           但壱箇ニ付拾三貫目程
   駄賃壱駄ニ付四百文より六百文程
同断
一櫛〆三駄       弐箇付壱駄
           但壱箇ニ付拾四貫目程
   駄賃壱駄ニ付四百文より六百文程
同断
一薬種〆弐拾三駄    弐箇付壱駄
           但壱箇ニ付拾三貫目程
 
  (改頁)      31
 
   駄賃壱駄ニ付三百五拾文より五百文程
同断
一斤茶〆千四百六拾駄  弐箇付壱駄
           但壱箇ニ付拾弐〆目程
   駄賃壱駄ニ付四百文より五百五拾文程
 松本送り〆九千六百六拾壱駄
    下諏訪江送候分
同午年中
一煉油〆三拾三駄     三箇付壱駄
            但壱箇ニ付九貫目程
   駄賃壱駄ニ付三百文より四百五拾文程
 
  (改頁)
 
同断
一椀〆四百六拾四駄    四箇付壱駄
            但シ壱箇ニ付七貫目程
   駄賃壱駄ニ付三百文より五百文程
同断
一柿〆五駄        弐箇付壱駄
            但シ壱箇ニ付拾弐〆より拾四〆目程
   駄賃壱駄ニ付弐百五拾文より四百文程
同断
一元結〆弐百五拾三駄   四箇付壱駄
            但壱箇ニ付七〆目程   
   駄賃壱駄ニ付三百五拾文より四百文程
同断
一古手〆三駄       弐箇付壱駄
            但壱箇ニ付拾四貫目程   
   駄賃壱駄ニ付三百五拾文より五百文程
 
  (改頁)      32
 
同断
一綿〆三駄        弐箇付壱駄
            但壱箇ニ付拾四貫目程
   駄賃壱駄ニ付三百五拾文より五百文程
同断
一肴〆拾弐駄       四箇付壱駄
            但壱箇ニ付七貫目程
   駄賃壱駄ニ付三百文より四百五拾文程
同断
一紙〆八駄        弐箇付壱駄
            但壱箇ニ付拾三貫目程
   駄賃壱駄ニ付三百文より五百文程
 
  (改頁)
 
同断
一小万物〆壱駄      弐箇付壱駄
            但壱箇ニ付拾四貫目程
   駄賃壱駄ニ付三百文より五百文程
同断
一呉服〆三駄       弐箇付壱駄
            但壱箇ニ付拾三貫目程
   駄賃壱駄ニ付三百文より五百文程
同断
一鉄類〆九駄       弐箇付壱駄
            但壱箇ニ付拾三貫目程
   駄賃壱駄ニ付三百文より四百五拾文程
同断
一立茶〆弐駄       弐箇付壱駄
            但壱箇ニ付拾四貫目程
   駄賃壱駄ニ付三百文より四百五拾文程
 
  (改頁)      33
 
同断
一薬種〆拾六駄      弐箇付壱駄
            但壱箇ニ付拾三貫目程
   駄賃壱駄ニ付三百文より四百五拾文程
  下諏訪送り
   〆八百拾三駄
  上諏訪江送り候分
同午年中
一煉油〆拾五駄      四箇付壱駄
            但壱箇ニ付七貫目程
   駄賃壱駄ニ付三百五拾文より五百五拾文程
 
  (改頁)
 
同断
一土味茶〆弐百六拾七駄  弐本付壱駄
            但壱本ニ付拾四貫目
   駄賃壱駄ニ付三百文より五百文
同断
一紙〆弐駄        弐箇付壱駄
            但壱箇ニ付拾弐貫より十三貫目程
   駄賃壱駄ニ付三百文より五百文程
同断
一柿〆百九駄       弐箇付壱駄
            但壱箇ニ付拾弐貫より拾四貫目程
   駄賃壱駄ニ付三百文より五百文程
同断
一綿〆五駄       弐箇付壱駄
           但壱箇ニ付拾四〆目程
   駄賃壱駄ニ付三百五拾文より五百五拾文程
 
  (改頁)      34
 
同断
一薬種〆三駄      弐箇付壱駄
           但壱箇ニ付拾三〆目程
   駄賃壱駄ニ付三百五拾文より五百五拾文程
  上諏訪送り
  〆四百壱駄
   高遠江送り候分
同午年中
一太物百弐拾五駄    弐箇付壱駄
           但壱箇ニ付拾四〆目程
   駄賃壱駄ニ付弐百五拾文より三百五拾文程
同断
一づミ皮〆三拾七駄   四箇付壱駄
           但壱箇ニ付六貫目より七〆目程
 
  (改頁)
 
   駄賃壱駄ニ付百五拾文より弐百五拾文程
同断
一椀〆三百八拾七駄   四箇付壱駄
           但壱箇ニ付七貫目程
   駄賃壱駄ニ付弐百五拾文より三百五拾文程
同断
一蜜柑〆五駄      四箇付壱駄
           但壱箇ニ付七貫目程
   駄賃壱駄ニ付弐百文より弐百五拾文程
同断
一柿〆弐百六拾八駄   弐箇付壱駄
           但壱箇十弐〆目より十四〆め程
   駄賃壱駄ニ付弐百文より三百文程
同断
一綿〆四百三拾六駄   弐箇付壱駄
           但壱箇ニ付拾四貫目程
   駄賃壱駄ニ付弐百文より三百文程
 
  (改頁)      35
 
同断
一古手〆拾七駄     弐箇付壱駄
           但壱箇ニ付拾四貫目程
   駄賃壱駄ニ付弐百五拾文より三百五拾文程
同断
一肴〆四拾四駄     四箇付壱駄
           但壱箇ニ付七貫目程
   駄賃壱駄ニ付弐百文より三百文程
同断
一鉄類〆拾弐駄      弐箇付壱駄
           但壱箇ニ付拾三〆目程
   駄賃壱駄ニ付弐百文より三百文程
同断
一櫛〆三駄        弐箇付壱駄
            但壱箇ニ付拾四貫目程
   駄賃壱駄ニ付弐百文より三百文程
 
  (改頁)
 
同断
一帷子〆七駄       弐箇付壱駄
            但壱箇ニ付壱拾三貫目程
   駄賃壱駄ニ付弐百文より三百文程
同断
一集荷〆三駄       但壱駄ニ付
             二拾七、八貫目程
   駄賃壱駄ニ付弐百五拾文より三百文程
同断
一元結〆壱百四拾九駄   四箇付壱駄
            但壱箇ニ付七貫目程    
   駄賃壱駄ニ付弐百文より三百文程
同断
一たばこ〆壱駄      弐箇付壱駄
            但壱箇ニ付拾四貫目程   
   駄賃壱駄ニ付弐百五拾文より三百文程
同断
一紙〆四駄          弐箇付壱駄
            但壱箇ニ付拾三〆目程  
   駄賃壱駄ニ付弐百文より三百文程
 
  (改頁)      36
 
同断
一菅笠〆七駄       四箇付壱駄
            但壱箇ニ付六貫目程   
   駄賃壱駄ニ付弐百五拾文より三百文程
同断
一小万物〆七拾六駄    弐箇付壱駄
            但壱箇ニ付拾四貫目程   
   駄賃壱駄ニ付弐百五拾文より三百文程
同断
一酢〆四拾壱駄      四本付壱駄
            但壱本ニ付六貫目程  
   駄賃壱駄ニ付弐百文より三百文程
同断
一蝋燭〆拾六駄      四箇付壱駄
            但壱箇ニ付六貫目より七貫目 
   駄賃壱駄ニ付弐百文より三百文程
 
  (改頁)
 
同断
一呉服〆拾駄       弐箇付壱駄
            但壱箇ニ付拾三貫目程 
   駄賃壱駄ニ付弐百文より三百文程
同断
一鎌〆拾弐駄       弐箇付壱駄
            但壱箇ニ付拾三貫目程
   駄賃壱駄ニ付弐百文より三百文程
同断
一薬種〆壱駄       弐箇付壱駄
            但壱箇ニ付拾三貫目程
   駄賃壱駄ニ付弐百五拾文より三百文程
同断
一竹輪五拾五駄      四把付壱駄
            但壱把ニ付六貫目より七貫目
   駄賃壱駄ニ付百五拾文より弐百文程
同断
一硯石〆四駄         弐箇附壱駄
            但壱箇ニ付拾三〆目程
 
  (改頁)      37
 
   駄賃壱駄ニ付弐百五拾文より三百五拾文程
同断
一土味茶〆六百五拾三駄  弐本付壱駄
            但壱本拾四貫目程
   駄賃壱駄ニ付弐百文より三百五拾文程
同断
一気田茶〆六拾弐駄    三本付壱駄
            但壱本ニ付九貫目程
   駄賃壱駄ニ付弐百五拾文より三百五拾文程
  高遠送り
   〆弐千四百三拾五駄
  飯田より松本迄之間江送り候分
同午年中
一柿〆八拾弐駄      弐箇付壱駄
            但壱箇十弐〆目より十四貫目
   駄賃松本迄之割合ヲ以相極メ送り申候
 
  (改頁)
 
同断
一小万物〆八駄      弐箇付壱駄
            但壱箇ニ付拾三貫目程
同断
一綿〆百七拾壱駄     弐箇付壱駄
            但壱箇ニ付拾四貫目程
同断
一元結〆三駄       四箇付壱駄
            但壱箇ニ付七貫目程
同断
一椀〆四拾壱駄      四箇付壱駄
            但壱箇ニ付七貫目程
同断
一藍玉〆五拾五駄     弐箇付壱駄
            但壱箇ニ付拾四貫目程
同断
一立茶〆七拾壱駄     弐箇付壱駄
            但壱箇ニ付拾四貫目程
同断
一土味茶〆千弐百七拾三駄 弐箇付壱駄
             但壱箇拾四貫目程
同断
一杓子〆弐駄        弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾三貫目程
同断
一鉄類〆拾六駄       弐箇付壱駄
 但壱箇ニ付拾三貫目程
 
  (改頁)      38
 
同断
一鎌〆七駄         弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾三貫目程
同断
一太物〆弐拾七駄      弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾四貫目
同断
一蜜柑〆六駄        四箇付壱駄
             但壱箇ニ付七貫目程
同断
一肴〆拾七駄        四箇付壱駄
             但壱箇ニ付七貫目程
同断
一塩〆四百拾七駄      弐俵付壱駄
             但壱俵ニ付拾三貫目程
同断
一竹輪〆五拾壱駄      四把付壱駄
             但壱把ニ付六貫目より七〆目程
同断
一薬種〆拾弐駄       弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾三貫目程
同断
一瀬戸物〆四駄       四箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾弐貫目程
同断
一古手〆八駄        弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾四貫目程
同断
一鍋〆三駄         弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾三貫目程
 
  (改頁)
 
同断
一菅笠〆壱駄        四箇付壱駄
             但壱箇ニ付六貫目程
同断
一気田茶〆拾七駄      三本付壱駄
             但壱本ニ付九貫目程
同断
一溜〆拾駄         四本付壱駄
 但壱本ニ付六貫目程
同断
一醤油〆四駄        四本付壱駄
             但壱本ニ付六貫目程
同断
一酢〆弐拾壱駄       四本付壱駄
             但壱本ニ付六貫目程
  飯田より松本迄之間送り
   〆弐千三百弐拾七駄
   尾州名古屋江送り候分
同午年中
一たばこ〆千九百七駄    弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾四貫目程
   駄賃壱駄ニ付拾弐匁より拾七匁程
 
  (改頁)      39
 
同断
麻荢〆弐百五拾四駄    弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾四貫目程
   駄賃壱駄ニ付拾弐匁より拾七匁程
同断
一椀〆四拾八駄       四箇付壱駄
             但壱箇ニ付七貫目程
   駄賃壱駄ニ付拾弐匁より拾七匁程
同断
一絹〆七駄         四箇付壱駄
             但壱箇ニ付六貫目程
   駄賃壱駄ニ付拾四匁より拾七匁程
同断
一麻布〆六駄        弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾四貫目程
   駄賃壱駄ニ付拾弐匁より拾七匁程
同断
一紙〆百四拾三駄      弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾弐〆目より拾三貫目程
   駄賃壱駄ニ付九匁より拾三匁程
 
  (改頁)
 
同断
一ふるかね〆三駄      弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾三貫目程
   駄賃壱駄ニ付拾四匁より拾七匁程
同断
一干瓢〆壱駄        弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾四貫目程
   駄賃壱駄ニ付拾四匁より拾七匁程
同断
一薬種〆四拾九駄      弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾三貫目程
   駄賃壱駄ニ付拾四匁より拾八匁程
同断
一柿〆九拾八駄       弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾四貫目程
   駄賃壱駄ニ付拾匁より拾四匁程
同断
一抜胡桃〆壱駄       四箇付壱駄
             但壱箇ニ付七貫目程
   駄賃壱駄ニ付拾弐匁より拾五匁程
 
  (改頁)      40
 
同断
一桶木〆三駄        弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾四貫目程
   駄賃壱駄ニ付拾弐匁より拾四匁程
同断
木地椀〆三拾駄      四箇付壱駄
             但壱箇ニ付七貫目程
   駄賃壱駄ニ付拾弐匁より拾四匁程
同断
一水油〆四拾三駄      弐本付壱駄
             但壱本ニ付十四貫目程
   駄賃壱駄ニ付拾三匁より拾八匁程
  尾州名古屋送り
〆弐千五百九拾八駄
 
  (改頁)
 
   三州岡崎江送り候分
同午年中
一椀〆拾駄         四箇付壱駄
             但壱箇ニ付七貫目程
   駄賃壱駄ニ付拾壱匁より拾三匁程
同断
一たばこ〆百八拾駄     弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾三貫目程
   駄賃壱駄ニ付拾壱弐匁より拾五匁程
同断
一かミ〆拾五駄       弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾四貫目程
   駄賃壱駄ニ付拾壱弐匁より拾五匁程
同断
一櫛〆九駄         弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾四〆目程
   駄賃壱駄ニ付拾匁より拾五匁程
同断
一絹〆三駄         四箇付壱駄
             但壱箇ニ付七貫目程
   駄賃壱駄ニ付拾壱匁より拾三匁程
同断
一集荷〆弐駄       但壱駄ニ付
              弐拾七八貫目程
   駄賃壱駄ニ付拾壱匁より拾三匁程
 
  (改頁)      41
 
  三州岡崎送り
   〆弐百拾九駄
   三州吉田江送り候分
同午年中
一真綿〆壱駄        弐箇付壱駄
             但壱箇拾三貫目程
   駄賃壱駄ニ付拾壱匁より拾三匁程
同断
一椀〆弐駄         四箇付壱駄
             但壱箇ニ付七貫目程
   駄賃壱駄ニ付拾壱匁より拾弐匁程
同断
一たばこ〆六拾駄      弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾四貫目
   駄賃壱駄ニ付拾匁より拾弐匁程
同断
麻荢〆(   )     弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾四貫目程
   駄賃壱駄ニ付拾匁より拾弐匁程 
同断
木地椀〆百弐拾駄     四箇付壱駄
             但壱箇ニ付七貫目程
   駄賃壱駄ニ付九匁より拾壱匁程
 
  (改頁)
 
   三州吉田送り
      〆百九拾三駄
   三州新城江送り候分
同午年中
一柿〆百駄         弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾四貫目
   駄賃壱駄ニ付七匁五分より拾匁程
同断
一たばこ〆て四百五拾五駄  弐箇付壱駄
             但壱箇拾四貫目程
   駄賃壱駄ニ付八匁より拾匁程
同断
木地椀〆弐百五拾弐駄   四箇付壱駄
             但壱箇七貫目程
   駄賃壱駄ニ付七匁より拾匁程
同断
麻荢〆四駄        弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾四貫目程
   駄賃壱駄ニ付八匁より拾壱匁程
同断
一紙〆弐拾七駄       弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾弐〆目より拾三貫目程
   駄賃壱駄ニ付八匁より拾壱匁程
同断
一椀〆四拾九駄       四箇付壱駄
             但壱箇ニ付七貫目程
 
  (改頁)      42
 
   駄賃壱駄ニ付八匁より拾壱匁程
同断
一櫛〆拾壱駄        弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾四貫目程
   駄賃壱駄ニ付九匁より拾弐匁程
同断
一がらぐ〆七駄       弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾四貫目程
   駄賃壱駄ニ付拾四匁より拾五匁程
同断
一薬種〆六駄        弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾三貫目程
   駄賃壱駄ニ付八匁より拾壱匁程
同断
一満き皮〆七拾弐駄     四箇付壱駄
             但壱箇ニ付六貫目より六貫八百程
   駄賃壱駄ニ付七匁より拾匁程
同断
一桶木〆弐駄        弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾四貫目程
   駄賃壱駄ニ付八匁より拾匁程
   三州新城送り
    〆九百八拾五駄
 
  (改頁)
 
   飯田三州迄之間江送り候分
同午年中
一醤油〆五駄        四本付壱駄
 但壱本ニ付六貫目程
   駄賃岡崎迄之割合ヲ以相極メ送り申候
同断
一溜〆拾七駄        四本付壱駄
             但壱本ニ付六貫目程
同断
煙草〆三駄        弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾四貫目程
 三州迄之間送
   〆弐拾五駄
   美濃岩村辺江送り候分
同午年中
まゆ〆百四拾駄      弐箇付壱駄
             但壱本(ママ)ニ拾四貫目程
   駄賃岩村迄之割合ヲ以相極送り申候
同断
一たばこ九百四拾五駄    弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾四貫目程
同断
一椀〆拾駄         四箇付壱駄
             但壱箇七貫目程
同断
一柿〆百拾六駄       弐箇付壱駄
             但壱箇拾四貫目程
 
  (改頁)      43
 
同断
一木履〆百三拾八駄     四箇付壱駄
             但壱箇ニ付七貫目程
同断
一かミ〆弐駄        弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾弐〆目より拾四貫目程
 美濃岩村辺送り
  〆千三百五拾壱駄
   木曽妻籠江送り候分
同午年中
一糸〆八拾壱駄       弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付九貫目程
   駄賃壱駄ニ付四百五拾文より五百文程
同断
一椀〆拾三駄        四箇付壱駄
             但壱箇ニ付七貫目
   駄賃壱駄ニ付四百五拾文より五百文程
同断
一たばこ〆弐百五拾七駄   弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾四〆目程
   駄賃壱駄ニ付四百五拾文より五百文程
同断
一紙〆壱駄         弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾弐〆目より
                   拾三〆目程
   駄賃(壱駄)ニ付四百五拾文より五百文程
 
  (改頁)
 
同断
一水油〆三拾七駄      弐本付壱駄
             但壱本ニ付拾三〆目より
                   拾四〆目程
   駄賃壱駄ニ付四百五拾文より五百文程
同断
一醤油〆拾九駄       四本付壱駄
             但壱本ニ付六〆目程
   駄賃壱駄ニ付四百五拾文より五百文程
同断
一溜〆三拾駄        四本付壱駄
             但壱箇ニ付六〆目程
   駄賃壱駄ニ付四百五拾文より五百文程
同断
一薬種〆七駄        弐箇付壱駄
             但壱箇ニ付拾三〆目程
   駄賃壱駄ニ付四百文より五百文程
 木曽妻籠送り
   〆四百四拾五駄
  惣荷高合弐万千四百五拾三駄
 
  (改頁)      44
 
右者信州伊奈郡飯田町問屋并
中馬之者江相渡、所々江懸合候
荷物庭帳書抜書面之通ニ御座候、
尤年ニ寄少々宛増減御座候得共、例
年格別之相違ハ無御座候、御尋
ニ付書上候處相違無御座候以上
            堀大和守城下
 宝暦十三年未十月十日   信州伊奈郡飯田町
                本町通・知久町
                   問屋
                    九郎平
                番匠町通り・松尾町
                   問屋
                    文四郎
                傳馬町通・桜町
                   問屋
                    三太夫
 
  (改頁)
 
                本町
                   庄屋
                    儀兵衛
                知久町
                   庄屋
                    喜三郎
                番匠町
                   庄屋
                    伊平治
                松尾町
                   庄屋
                    源 六
                傳馬町
  米倉幸内 様           庄屋
  高橋八十八 様           新兵衛
                桜町
                   庄屋
                    三郎右衛門
 
  (改頁)      45
 
        宝暦十三年未十月
御用通    御往来商人荷物継送り問屋庭帳
御諸士様方              書抜帳
           堀大和守領分
                信州伊奈郡飯田宿
   元文五申年     人足拾六人
一御諸士様御通行     馬 拾三疋
   寛保元酉年     人足 四人
一御諸士様御通行     馬  四疋
   同 二戌年     人足拾四人
一御諸士様御通行     馬  八疋
   同 三亥年     人足 八人
一御諸士様御通行     馬  四疋
一御朱印御通行      人足 六人
             馬  三疋
 
  (改頁)
 
一御證文御通行      馬  三疋
一賃人足            弐人
   延享元子年
一御證文御通行      馬  四疋
一賃人足            八人
一御諸士様御通行     人足 八人
             馬  三疋
   同 二丑年
一御諸士様御通行     人足 拾弐人
             馬  拾疋
   同 三寅年  
一御朱印御通行      人足 弐拾八人
             馬  拾壱疋
一御證文御通行      人足 八人
             馬  拾疋
一御諸士様御通行     人足 拾三人
             馬  拾壱疋
 
  (改頁)      46
 
一賃人足            八人
   同 四卯年  
一御證文御通行      人足 弐拾八人
             馬  拾弐疋
一御諸士様御通行     人足 弐拾五人
             馬  拾三疋
   同 五辰年
一御朱印御通行      馬  弐拾四疋
一賃馬             弐拾弐疋
一賃人足            弐拾九人
一御諸士様御通行     人足三拾壱人
             馬  弐拾九疋
   寛延二巳年    
一御諸士様御通行     人足 弐人
             馬  七疋
   同 三午年
 
  (改頁)
 
一御諸士様御通行     人足 弐拾六人
             馬  弐拾五疋
   同 四未年
一御諸士様御通行     人足 弐拾四人
             馬  拾四疋
   宝暦二申年
一御諸士様御通行     人足 拾七人
             馬  九疋
   同 三酉年
一御諸士様御通行     人足 三拾六人
             馬  拾七疋
   同 四戌年
一御朱印御通行      人足 四人
             馬  四疋
一御證文御通行      人足 四人
             馬  四疋
一御諸士様御通行     人足 七拾弐人
             馬  拾九疋
   同 五亥年
一御諸士様御通行     人足 三拾五人
             馬  八疋
 
  (改頁)      47
 
   同 六子年
一御諸士様御通行     人足 三拾五人
             馬  弐拾疋
   同 七丑年
一御證文御通行      馬  弐疋
一貸馬             壱疋
一御諸士様御通行     人足 五拾八人
             馬  七疋
   同 八寅年
一御諸士様御通行     人足拾九人
             馬  九疋
   同 九卯年
一御諸士様御通行     人足 四拾人
             馬  拾八疋
   同 十辰年
一御諸士様御通行     人足 拾七人
   同十一巳年
一御朱印御通行      人足 弐拾六人
             馬  四拾疋
 
  (改頁)
 
一御證文御通行      人足 四人
             馬  五疋
一賃人足            拾三人
   同十二午年           
一御諸士様御通行     人足 弐拾五人
             馬  拾壱疋
天明六未年
八月四日改        人足 百九人
             馬  七十四疋
                  信州伊奈郡
     宝暦十三年未十月      飯田問屋
                     三太夫
    米倉幸内  様
    高橋八十八 様
 
右者元文五申年より去未年迄之弐拾三ケ年
分、問屋留帳年限ニ書抜書面
之通りニ御座候、則留帳弐拾冊相
添奉差上申候、右之外紛失仕
 
  (改頁)      48
 
無御座候、且又商荷物之儀当所
宿馬少候ニ付、問屋并売人共
相対を以付送り、宿継仕候儀無
御座候、則別帳差上候通相違
無御座候以上
 
    乍恐以書奉申上候
此度信州中馬出入ニ付、村高家数人別
所より作り出、他国江付出中馬稼仕候産
物等御尋等御座候所、飯田宿之儀者田畑
無之町並之屋敷斗ニ而、作出候産物
中馬稼仕候者無御座候ニ付、人別
家数馬数等御傳馬相勤候分左ニ
申上候
一家数百五拾六軒   但桁行二間半より七間半
           梁間五間より八間半迄
 
  (改頁)
 
   内
   七拾壱軒    傳馬町
   八拾五軒    桜町
一人別千四百九人
   此訳
  内六百六拾人   傳馬町
   三百三拾人   男
   三百弐拾六人  女
   四人      山伏
  内七百四拾九人  桜町
   三百九拾五人  男
   三百五拾三人  女
   壱人      山伏
一馬拾疋
  内馬壱疋     傳馬町
   馬九疋     桜町
 
  (改頁)      49
 
右之通り御尋ニ付書上候所
相違無御座候以上
    堀大和守領分信州伊奈郡飯田町
           問屋  三太夫
      同傳馬町 庄屋  新兵衛
      同桜町  庄屋  三郎右衛門
      同傳馬町 組頭  利兵衛
      同桜町  組頭  与兵衛
 宝暦十二午年十一月廿二日
      米倉幸内  様
      大塚庄十郎 様
 
    差上申一札之事
一信州伊奈郡飯田傳馬町桜町産物作り立、
 尾州参州甲州其外何国迄茂付送売買
 仕、中馬追候者壱人茂無御座候、勿論荷口
 
  (改頁)
 
 口銭古来より取候儀并庭帳面無御座候
 右之通相違無御座候以上
           堀大和守領分信州伊奈郡
  宝暦十二午歳      飯田桜町組頭
     十一月             与兵衛
              同 傳馬町組頭
                     利兵衛
              同 桜町 庄屋
                     三郎右衛門
              同 傳馬町庄屋
                     新兵衛
              同 桜町 問屋
                     三太夫
        米倉幸内 様
        大塚庄十郎様
     差上申一札之事
                 人足弐拾六文
       市田江壱里拾丁   本馬五拾弐文
                 軽尻三拾三文
一飯田より            人足五拾八文
     駒場江三里       本馬百弐拾文
                 軽尻七拾九文
 
  (改頁)      50
 
右之通古来より相極賃銭取来候得共
御定被 仰付候与申儀證拠書物等者
無御座候以上
          堀大和守領分
            同国同郡飯田町  
               庄屋
 宝暦壱二午年十一月廿二日    三郎右衛門
               同
                 新兵衛
               問屋
                 三太夫
右者赤須村より根羽宿迄一紙連印ニ一通ニ而
差上申候
     米倉幸内   様
     大塚庄十郎  様
        差上申一札之事
   戸味茶  麁茶ニ而平生百姓方ニ而遣申候
   伊勢茶  右同断 筵包ニ而荷作り申候 伊勢より出ル
一茶 斤茶   右同断 壱斤宛紙袋ニ入、麦ワら色ニ而荷作り申候
   たて茶  右同断 筵包ニ而荷作り申候、三州より出ル
   けた茶  当国ニ而上茶ニ用ひ申候、遠州より出ル
 
  (改頁)
 
一椀                 近江国    
                   信濃国飯田  より出ル
一元結伽羅油             尾州名古屋
                   信州飯田   より出ル
一わた類 くりわた          山城国大和国 
     篠巻糸取候様ニ拵候綿    尾州名古や  より出ル
     薩わた
                   京都
一太物類布類事            大坂   
                   尾州名古や  より出ル
一柿荷                信州飯田より出ル
 右品々多分
一竹輪                信州飯田より出ル
一紙荷  中折与唱平生遣申候     
     杉原与申候而糊入紙出申候  右同断より出ル
一古手荷 着ぬ紀衣類品々       大坂
                   尾州名古屋
                   三州   より出ル
 
  (改頁)      51
 
一櫃荷 小間物類品々         京都
                   大坂     
                   尾州名古やより出ル 
麻荢                上州
                   信州松本 より出ル
一がらぐ荷 食櫃重箱膳        木曽より出ル
      篩の輪其下右准候品々
一蚕満ゆ荷              上州
                   甲州   より出ル
一蝋燭荷               大坂
                   信州松本少々宛出ル
                     飯田
煙草                信州
                   甲州   より出ル
一藍玉                三州より出ル
                   駿河
一鉄物類 鍋釜鍬鎌古鉄類       所々より出ル
 右品々多分
一水油                所々より出ル
一瀬戸物               美濃国より出ル
 
  (改頁)
 
一絹荷                上州
                   甲州   より出ル
一干粕并油粕             所々より出ル
一薬種類品々箱入           尾州名古屋
                   信州松本 より出
一肴類塩物品々            三州
                   越後   より出ル
一上野砥               上州より出ル
一塩荷                駿州
                   三州   より出ル
一笠荷                伊勢
                   加賀   より出ル
一紺屋形荷              勢州白子より出ル
一染草類               信州飯田辺より出ル
一櫛の木               右同断より出ル
一漆荷                所々より出ル
一酢                 信州飯田より出ル
一薩荷                甲州飯田より出ル
一ゑんセう              所々より出ル
 
  (改頁)      52
 
 右之分者無数
           大草太郎左衛門御代官所
               信州伊奈郡飯島町 
                 名主  八右衛門
  宝暦十二午年十一月      組頭  与左衛門
                 百姓代 孫作
           同人御代官所
               同国同郡赤須町
                 名主  三九郎
                 組頭  清次郎
                 百姓代 彦左衛門
           千村平右衛門御預り所
               同国同郡上穂町
                 名主  弥右衛門
                 組頭  喜兵衛
                 百姓代 文三郎
                 問屋  恒右衛門
           近藤権太郎知行所
               同国同郡上穂村
                 名主  善四郎
                 組頭  三郎左衛門
 
  (改頁)
 
                 百姓代 市郎兵衛
                 問屋  傳三郎 
           大草太郎左衛門御代官所
               同国同郡片桐町
                 名主  善蔵
                 組頭  清蔵
                 百姓代 林左衛門
           同人御代官所
               同国同郡大嶋町
                 名主  武兵衛
                 組頭  平治
           堀大和守領分
               同国同郡飯田町
                 庄屋  三郎右衛門
                 庄屋  新兵衛
                 問屋  三太夫
    米倉幸内  様
    大塚庄十郎 様
            是より順宿名印
根羽宿
 
  (改頁)      54
 
信州伊那海道中馬往来仕候訳、従
御公儀様御尋被成候由ニ而、今日被召
出被仰渡候趣奉承前、則左ニ御請取
申候御事

一伊那海道中馬与申茂、何頃より相始候哉
    答
中馬之儀何頃より相始候哉、年月之儀
承伝覚候者も無御座候、往古より三州
尾州江山越ニ馬数追而、塩荷或肴等
付来、郡中之者相用来候事、所々
替ニ罷成候由来慥成候答難申上候
御事
 
  (改頁)
 

中馬相止候時節茂有之哉
    答
中馬相止候と申義不及承、日々
不絶往来仕候、諸用相達申候御事

中馬相止候而ハ所々難渋ニ相成候哉
    答  
中馬之義往古より通用仕来候得共、
相止候而ハ日用之儀差支甚難儀ニ
罷成候御事
中馬之儀度々口論差起り、従
御公儀様御裁許被成下候、就宝永
 
  (改頁)      55
 
年中中馬・新馬口論之節、段々御吟
味之上、村々より付出荷物何連之道筋
茂向後通馬・継馬双方勝手たる
べき次第之訳、
御書下頂戴仕以後御裁許之趣
急度相守、於只今飯田町・市田
原町両宿之儀者、中馬相障申義
曽而無御座候、併伊那海道宿
御用之御傳馬并旅人之継馬
於只今ニ相勤候得者、中馬荷物
継荷ニ相成候得者、宿並之通
被仰付被下置候様ニ奉願上候
   宝暦十二午歳   以上
 
  (改頁)
 
明和七寅年十一月十六日
     宿々申定之事 
一去丑年 御奉行所へ伺之上被仰付候
荷物九品差押へ候、継送り可申事
一飯田より松本へ出荷物之内六百駄、同所より
下諏訪へ出荷物之内八百駄合千四百駄之
儀、今以不継出候ニ付、十月廿六日大島・片桐・
飯島三ケ所より、御添状を以飯田御役所へ
右継荷物差出候様被仰付被下旨御願
申上候所、町人中へ被仰付候義不相成段
三ケ所之者へ被仰渡候、依之右千四百駄
之継荷物相定り候迄ハ、飯田荷物之内
 
  (改頁)      56
 
可差押荷物之品左之通り
 椀 元結 油 酢 紙類 づミ皮 蝋燭
 櫛 藍玉 蜜柑 小間物類并土味茶
 葉茶
右之類差押へ継送り可申候、尤飯田
御役所ニ而町方へ被仰付無之ニ付、差押へ
可継立段者飯田町役人中十三宿与り
相断置差押可申事
一右之通押置来卯正月宮田より村井迄
之内ニ而壱人、上穂・赤須より市田迄之内ニ而壱人
江戸表へ罷出、継荷物出し方被仰付被下
置候様御頼可申候、右路用并江戸雑用
之義一日壱人弐百五十文も十三宿割合
 
  (改頁)
 
差出可申候、尤飯田より執之宿を相手
取願出宿々被召出候共、一統之義ニ付
十三宿割合ニ而差出可申事
松本より飯田へ出荷物之内六百駄継荷之義
差出候様松本へ申達継立可申候、万一
松本不得心ニ候ハヽ、是又江戸表へ御願可申上事
一敷金之儀継荷ニ者有間敷事ニ付、
執之宿々馬継場ニ而も敷金者請申
間敷候、庭銭者壱駄ニ付六文宛取り可申事
右之通申定候上者、相互少も違背
申間敷候、依之宿々問屋連印如件
     寅十一月十二日
 
  (改頁)      57
 
 猶以無処何方江成共御渡し被成候
 筋ニ相成候ハヽ、先急飛脚成共宿々江
 御通達可被成候、御相談之上何連共可仕候
以飛札致啓上候、弥御堅固ニ
可被成御暮珍重奉存候、然者
四年以前丑年継荷物御裁許
御書下御押切之御本紙
貴様御方ニ御預置罷成候、
然処此度問屋御退役
被仰付候之段致承知候
 
  (改頁)
 
就夫御本紙御名前ニ而
御預り置被成候事故、外
江御渡し可被成之義ハ、宿
不得心御座候間、為御座
得御意候、勿論援荷物
之儀ニ付、近日宿方より
江戸表江罷出候ニ付、否之義
御任申上候積ニ御座候、何
連ニも右御本紙貴様
御預り置不被成候間、以来
 
  (改頁)      58
 
差支可申儀ニ奉存候間、左
様御心得可被成候、右之段
可得其意如是ニ御座候以上
             飯島町
     辰三月廿七日    宮下七郎左衛門  印
             片桐町
               平田善七     印
             大島町
               中村平次     印
      桜町 大原伊右衛門 様
此書下宿次ニ而廿四日夜
 
  (改頁)
 
市田より参り申候
     
飯田拾三丁より江戸御奉行所へ之親書左之通
    乍恐以追訴奉申上候
一堀大和守領分信州伊那郡飯田町十三町
惣代松尾町二丁目平助・同所壱丁目久蔵・
本町二丁目文七郎奉申上候、去亥年中馬
通行差支、私共町かた必至と渡世ニ相離、
難義至極仕候ニ付、先月中私共三人之者惣代ニ
罷出願書奉差上候所、右之始末御吟味
之上段々御差斗奉請恐入奉存候得共、乍然
右之儀者先達而御裁許も被仰渡候御義ニも
有之、殊当町かた渡世ニ相離強難義仕候ニ付、
御恐をも不顧左ニ奉申上候
一七ケ年以前明和元申年、當御奉行所様御掛りニ而
信州馬継場村々中馬渡世仕候村々と出入有之、
 
  (改頁)      59
 
尤右出入之義ハ先年も数度及出入候事故、
七年以前御見分之御役人様方も御尤被遊、
猶又段々御吟味之上信州一国之中馬御定
法御立被成下、中馬村々にて平日付送り候
荷物駄数ニ被成下候も有之、又々夫々之荷物
品訳被成下候も、道筋も有之右一件裁許被
仰渡候間、平均ニ治し私共町々も前々仕来之通
売買等仕、偏ニ難有仕合ニ奉存候、然所去丑年六月中
伊那道筋十三ケ村之内大島村・片桐村・飯島村・赤
須村右四ケ村問屋共、産物九品候義も松本并飯田
を離之間之村々より出候品抔と名目を付御伺ニ
罷出候所、右九品之産物ハ中馬可付品ニハ無
之、馬継場ニて可継送荷物之由被仰渡候段、
当所宿問屋伊右衛門方より為申究ニ付、奉驚
尤右四ケ村問屋共此義御伺ニ罷出候ニ付、当宿問屋
伊右衛門義被召出候旨承り候へ共、右伊右衛門義元来
中馬荷物を是迄取扱候問屋ニ而ハ無之
 
  (改頁)
 
候へハ、中馬荷物之片納ハ一向不奉存候、縦存居
有之迚も馬継場助成ニ相成候節ハ、自分之
勝手ニ甚相成候事故、手前之得益ニ迷ひ
中馬渡世之もの并町方衰微致シ必至と
渡世ニ差支候を不顧、元来之儀を乍存、明白ニ
不申上候故、有躰ニ被仰渡候義可有御座奉存候、
畢竟馬継場村々中馬村々出入ニ付、
一旦御裁許被仰渡候趣迄ニ御座候得者、中馬
荷物取扱候問屋共被召出候義ニ奉存候所、
右両人のもの被召出候ハ全御伺ニ罷出候四ケ村
之問屋共、松本問屋七郎左衛門・飯田桜町問屋伊右衛門
を荷問屋之躰ニ申上候故、両人之者共被召出候義ニ
乍恐奉存候、尤松本問屋いつれニ成候而も貧
着ハ無之者ニて御座候へ共、伊右衛門義ハ甚勝手ニも
相成、殊ニ四ケ村問屋共と同腹のものニ候、益々
四ケ村と馴合候者ニ御座候へハ、御尋之義も
自分も勝手任せ如何申上候や難斗奉存候、
 
  (改頁)
 
勿論御伺ニ罷出候産物九品之義ハ別段之様ニ      60
御伺申候へ共、古来伊那道筋之義ハ右九品ニ不限、
都而何品ニ不寄中馬付送り之荷物
御座候所、七年以前申年御裁許之節十三村、
飯田・松本両所より出荷物之内ニ而千弐百駄ハ馬
継場益ニ御定被遊、則馬継場ニ而可継送と被
仰渡候義ニ御座候へハ、全九品と引分馬継場
にて可継謂無御座候、則四ケ村問屋共并当所
問屋伊右衛門義能存趣罷有候義ニ座候、尤
宿場之問屋共ニ御座候へハ、中々以宿之助成ニ
相成候事を五、六ケ年も捨置候謂決而無御座
候へハ、今更別段ニ御伺ニ罷出九品之産物を
馬継場へ引請付送候様相成候而ハ、商人
必至と渡世ニ相離難義至極仕候、已ニ飯田
より高遠御城下ニ十三里之所、中馬駄賃
 
  (改頁)
 
三駄ニ付凡六七百文之所、宿継ニ仕候へハ凡
弐貫文も相懸り申候、殊ニ日数も相延其上
中馬渡世之者とハ違ひ、馬継場ニ而ハ
荷物も甚様馴而右九品之儀ハ取扱悪敷
候哉、又ハ日数相延候而ハ荷方ハ勿論荷問屋も
甚迷惑仕候、前々より中馬ニて継送り候荷物
有之候、則証拠も有之義ニ御座候も、且市田村より
飯田町荷物一駄ニ付宿駄賃ハ三十弐文ニ御座
候ヘハ、去暮以来馬継場より付送り一太ニ付五十弐文
より六十弐文迄相懸申候、尤宿馬壱疋壱人ニて
追可申所壱人ニ而三、四疋より八、九疋迄送候義、
其上過分之太賃可取謂無之候所、悉
枠掠候者共ニ御座候へハ、中々是迄捨置候もの共ニハ
毛頭無御座候間、此段御賢察奉願上候、尚又七年
以前信州中馬通行五筋之海道ニて荷物
品分を書上御仕分被成下御裁許被仰渡候
 
  (改頁)      61
 
道筋茂御座候へハ、五筋之内いな道之義者
諸方より出候産物数多御座候故、双方太訳
被成下候段奉願、則太訳ニ被仰付、数多之内
相籠之品々御座候上、去暮迄無役馬通行
仕候義ニ相違無御座候、飯田町之義ハ信州之
馬継場ニ而御座候故、松本よりハ格別荷扱余斗
取扱申候、全躰右太賃之高下ハ格別信州
之義ハ至而山中ニござ候故、中馬を先年より
岡舟与謂難所有之、往来十里廿里三十里
茂御座候所、中馬通馬ニ而往来仕往かけニハ
信州之産物米穀之荷物付出し、戻ハ
尾州名古や三州岡崎・吉田より出候、其節相捌
候品見合付通し、飯田町を中継場ニ致
中馬ニ而自由仕来候、中馬渡世之村方六百
七十八ケ村馬数も壱万八千六百十四疋御書上
仕候間渡世仕候、尤私共町方ハ右荷物
 
  (改頁)
 
中継ニ御座候所、九品之産物馬継場にて
付送り候様ニ相成候而、甚通行悪敷渡世も
難相成訳合い、中馬ハ駄ちん下直ニて其上敷金と
申義御座候而、買戻し本金縦五両之産物ハ
凡壱両より三、四両迄敷金仕候間、甚商人勝手
宜敷自由仕来候、誠ニ米穀重々付送候
而ハ中馬之渡世不相成候故、山中往来も
相止メ申候、左候ヘハ米穀請払も不通用二相
成、諸商人ハ勿論自然と御地頭様方之御益
ニも不相成様ニ奉存候、都而難所之場所ヲ
通シ馬ニて往来之荷物自由ニ仕取扱候ハ
全年来之事故、途中ニて荷物継合付
送り候義御座候故、国中産物之品々も
相応ニ相捌、殊更米穀之相場迚も余り
も無之、信州之義ハ勿論尾州三州・遠州
廣太之益ニ相成候所、産物九品馬継場ニ而
 
  (改頁)      62
 
荷物ニ相成候而ハ中馬ハ米穀重ニ相成、
中馬之通行不自由ニ相成、私共町かたハ
不及申尾州三州・遠州迄之衰微ニ相成
之義ニ御座候、四ケ村之者共如何奉申上候哉
難斗奉存候へ共、飯田・松本之間ニ不限いな道
より尾州三州辺海道之義ハ山坂難所
之場所ニて御座候へハ、御用御通りハ勿論御武家
様方御通行と申所と之義ハ無御座候、
此義ハ七年以前御見分御役人様御出被遊
候節、問屋共庭帳御乱被遊候、委細相知レ
候御義ニ御座候、然所何を以四ケ村之者共
難相勤義有之間敷様奉存候、従飯田
松本之間飯田より尾州之間多分之
馬継場ニて候へ共、七年以前御吟味之節も
多分之馬継場より宿益ニ早不申、
 
  (改頁)
 
只今中馬通行而已先規之通
相成候様口書を以御願奉申上候所、右
四ケ村ニ限難義之筋申上候義、難得其意奉
存候、乍恐此段御賢察可被下候、勿論中馬
渡世ニ仕候ものか又ハ荷問屋之者共御記被成
下実ニ差障り無之筋ニ御座候ハヽ、縦私共
家業相離候とても御願可申上様無御座候
とも、伊右衛門・七郎左衛門義問屋共と馴合居候
ものニ付、全宿益ニ相成候事故、先年之
御裁許之太分ニ籠候旨不申義ニ御座候、
何分御勘弁被成下中馬渡世之者とも
被召出、七郎左衛門伊右衛門申上候 御座候哉
御糺被成下候様、偏ニ奉願上候以上
    明和七寅七月
 
  (改頁)      63
 
            堀大和守領分
             信州飯田松尾町二丁目
                     平助
                 同町 壱丁目
                      久蔵
                 本町  
                     文次郎
      御奉行所様
 
  (改頁)      70
 
    明和六年丑九月十三日着
尋儀有之間早々罷出可相届、
於若不参者可為曲事者也
 丑九月七日  弾正 御印
                信州伊那郡飯田町
                同国筑摩郡松本宿
                右弐ケ所宿
                    問屋
                    年寄 之内
                      壱人ツヽ
 
  (改頁)
 
右御差紙神田上州屋弥次兵衛方より同
十三日到着仕候、則伊右衛門供弐人召
連三人ニ而甲州通江戸表ハ罷越申候而
相済霜月十七日ニ罷帰申候
 
  (改頁)      71
 
 一九月十五日昼時飯田表出立廿一日江戸表着、
  翌十六日呉服橋御屋鋪江御届ケ申上候
△一九月廿四日     松本問屋七郎左衛門殿着、
  翌廿五日一紙ヲ以御奉行所江御届ケ申上候
 一九月廿八日御呼出しニ付罷出候所流ニ相成、夜ニ入
  五ツ時ニ宿江罷帰り申候、右之段御屋敷へも御届ケ申上候
△一十月四日御呼出しニ付七郎左衛門・私罷出候
  御懸り御留役辻左源治様御尋ニ付申上候
 一松平丹波守領分信州筑摩郡松本町
           問屋七郎左衛門当丑
                  弐十五才
 一堀大和守領分信州伊奈郡飯田町
           問屋伊右衛門当丑
                 四十六才
 一両人罷出候所御尋ニ付、右之通申上げ候へば、御留メ被仰
  四ケ宿伺之儀ニ付、両宿之者共呼出し追々相尋
  可申候、委細御答申上候様被仰付候
      御吟味之次第左之通 八ツ半時より
                七ツ時過迄
 
  (改頁)
 
 一伊右衛門儀風邪ニ而甚難儀ニ付御訴申上候ハ、私儀
  乍恐御覧之通相勝レ不申候、松本問屋同様之訳ニ御座候、
  七郎左衛門申上候、段々御尋被遊被下、御腰懸迄御下ケ被遊
  被下候様御願申上候ば、早速御免御座候ニ而御腰懸江引罷在候
 
 大島宿・片桐宿・飯島宿・赤須宿右惣代ニ而差出シ候
 伺書為御誦聞、右惣代之者御吟味之
 御書留メ為御御誦聞之趣
     乍恐以書付奉伺候
              信州伊奈郡  
               名子村之内   大島町
               片桐村之内   片桐町
               石曽根村之内  飯島町
               赤須村之内   赤須町
六年以前甲年信州中馬村々馬継場村々
出入、御吟味之上御裁許被為 仰付候者、
松本より飯田町江之出荷物之内六百駄并
飯田より松本江之出荷物六百駄合千弐百駄
 
  (改頁)      72
 
馬継場ニ而継送可申旨、且飯田より諏訪
江之出荷物之内八百駄、是又馬継ニ而継立
可申旨被為 仰渡、勿論中馬村六百七拾
八ケ村中馬稼仕来候分者仕来之通相稼、
松本ニ而荷物請払致候儀者是又仕来通
相心得、其外之品々宿々并馬継場ニ而
継可申旨御請証文奉差上候、右其外
飯田町松本を離間々村々より仕出シ候
荷物凡左之通
  輪竹  串柿  煙草  木地
  焼酎売  麻荢  油糟  糸荷
  まゆ
右之荷物之分者問屋茂無御座、
村々ニ而商人買出シ継荷仕、勿論
右之内産荷之分者手馬ニ而付
 
  (改頁)
 
通候者中馬同前ニ奉存候得共、
江買取駄賃ニ而付出候内、馬継
場ニ而継立候得共、近年商人勝手を
以付通候者も有之、此儀都而馬継
場ニ而継立可申儀与乍恐奉存候、
右之段懸案之村方殊更数度
出入ニ而仕来昆乱仕、近年双方共ニ
心得違等も御座候ニ付、御伺奉申上候
右奉申上候通り、飯田・松本を離れ村々より
買出シ候荷物之分、不残馬継場ニ而付
立候儀与奉存候、此段御伺奉
申上候以上
   明和六年丑六月   嶋隼人御代官所
              飯島町名主 与左衛門
              大島町問屋 平治郎
     御奉行所様
 
  (改頁)      73
 
 同日左之通四ケ宿伺書為
 御誦聞被遊候者
此度伊奈郡四ケ村惣代ヲ以伺出候趣
一通相考候所、甲年中馬御裁許之次第ハ
外人懸りニ候故意味合分明ニ不存候、此度右
伺書之趣者、先意味書可申方ニ候得共、何等
障茂可有之哉、又者一躰之儀相尋度呼
出シ候段、被仰渡候ニ付、御答申上候者先
方御伺書為御誦聞被遊候趣相考申上候
所、先達而御普請役米倉幸内様
高橋八十八様於信州中馬有之村々
六百七拾八ケ村并馬継場宿々共ニ往古より
之仕来り御吟味被遊候ニ付、不残仕来可申
上義ニ御座候、其節不申上候儀者仕来
無御座候義与奉存候、左候得ば此度願之筋
中馬村々仕来茂無御座、商方ニ而も
 
  (改頁)
 
先達而申上候義無御座候ハヽ、飯田・松本
勿論其外障りも御座有間敷奉存候、
松本町之義者先御吟味中時ニ御願
申上候者、第一中馬ヲ引請日々市相立
国用相弁候場所故、商人多分ニ御座候ニ付、
中馬之荷元与申伝候所、松本江心差付
参候在々所々の中馬荷物ヲ、其道筋ニ
荷問屋与申程之義無御座候共、中買之
者有之右荷物買置中馬江相渡、先々江
駄賃ニ而為付候義抔御座候而者、松本町
差障り甚だ難義至極ニ奉存候間、国法相立被遊候
義も御座候ハヽ、右躰之義無御座候様御願
申上置候願之儀に御座候間、此度願筋者障り
御座有間敷候得共、甲年御裁許者往古より、
度々中馬出入有之候而、論不相正候訳ハ
度々御裁許其場切ニ被仰渡、一躰江
及候儀ニ無御座候故と御察被遊一国之法
 
  (改頁)      74
 
御立被遊候儀ニ奉存候所、此度四ケ村江
御裁許御座候而者、其外ニ而者左様
之儀仕候而も宜敷相心得候而ハ、先達而松本
御願申上候意味立不申候間、一統之国
法之御立被下置候様ニ仕度段申上候所、左候
ハヽ兼而差含メ罷有候中馬方稼多
分ニ可相成筋者、松本・飯田之荷物問屋中馬
荷物多分取扱候得者、中馬之稼も宜
諸色下直ニ付、一国之益ニ御座候間、右
在々所々ニ而直キ売買不仕、無処筋ニ
候へハ、右荷物之分馬継場ニ而継送り候様ニ
一統触流シ有之候ヘハ、如何相考見可申
旨被仰出候ニ付、御答申上候者、
左様被下成候ハヽ宿方并商方共此上
之有難義者御座有間敷儀ニ奉存候、
其訳者当時何方ニ而直キ売買仕候者
 
  (改頁)
 
有之候与申義者不奉存候得共、左様之義
仕候者有之候而者、尾州三州辺其外共ニ
中馬荷品相場区々ニ売崩シ、一躰之
産物直段ニ甚差障り可申儀ニ奉存候、
尤荷問屋手掛候得共国々之相庭相考
売捌候故、一国之産物直段合ニ益可有
儀奉存候、尤他国より入荷も下直成ヲ
見合注文仕候故、是又在々所々追々益ニ
御座候間、中馬方商方専一御座候、
宿方ニ而ハ無処直キ売仕候節者、宿益ニ
罷成候間、右御触御座候ハヽ、双方有難
義ニ奉存候、此段御考弁被下置候様可申上候、
一此度申出候九品之荷物是迄宿継
 仕候や否哉之御尋御座候、此御答
 前条申上候通中馬方ニ仕来無御座候ハヽ、
 宿継ニ可仕義ニ奉存候得共、是迄如何
 
  (改頁)      75
 
 仕候や不存候段申上候
善光寺如来之御餘見一国共ニ
 益ニ可相成、左様ニ候や此御答
中馬多分通用故信州ハ甲州より
 弁才宜敷候や御尋此御答
△一同廿八日御呼出しニ付、松本問屋七郎左衛門
 飯田問屋伊右衛門・大島町問屋平次郎・
 飯島町名主与左衛門右四人罷出候
御懸り御留役
      辻左源次様被仰出候
先達而呼出し相尋候通相違無之哉、
若存寄もらし可申上候様ニ被仰出候、御答
先達而申上候通り少茂相違無御座、段々
申上候左申上候
 
  (改頁)
 
 口書可為誦聞候、承候様被仰付候、
 則為御誦聞承知仕候、尤四人共ニ
 印形差上申候、二、三日之内御裁許
 書
相渡し可申候、左様相心得候様被仰付候、
 夜ニ入五郎平方ニ帰宿仕候
御尋
飯田町問屋ニ宿料有之哉否哉候段々
 御答
 此義者六年以前御書上仕候通、宿置屋敷
 御年貢御免被遊、伝馬役相勤罷在候、
 問屋口銭抔之候義、一向無御座候段申上候
松本其外何レ之宿ニ而茂口銭其外
 問屋役料無之所ハ有間敷候仕来とハ
 乍云、其方儀迷惑成義と被仰候、
 
  (改頁)      76
 
 存寄ハ無之哉と被仰候御答
一只今迄仕来りニ而御座候得共、近年ハ
 追々諸士様方御通行相増、口銭
 無御座候而者甚難儀至極奉存候、段々
 申上候、尤成義与被仰候
一十一月七日御呼出シニ付
△        大島町片桐飯島赤須
         右四ケ宿惣代
              大島町問屋
                  平次郎
         同断   飯島町問屋
                  与左衛門
                  代彦次郎
              松本町問屋
                  七郎左衛門
              飯田町問屋
                  伊右衛門
 
  (改頁)
 
 右之通
 安藤弾正少弼様御白洲江罷出候
        御懸り御留役
          辻左源治様
一被仰渡之趣為誦聞候間、致承知候様ニ
 被仰
     差上申一札之事
信州伊奈郡大島・片桐・飯島・赤須四ケ町之
者共儀、明和元甲年中馬出入一件御裁
許之節、松本より飯田江之出荷物六百駄、飯
田より松本江之出荷物六百駄、下諏訪江之荷物
八百駄都合弐千駄者、中馬駄賃ヲ以馬継場ニ而
継之、中馬村方六百七拾八ケ村ニ而中馬稼仕来候
分者、仕来之通可相心得旨被仰渡奉畏候、
然所飯田より松本迄之間宿場ヲ離候間々村々より
出候煙草・荢・油糟焼酎・売糸・繭・輪串・
 
  (改頁)      77
 
柿之類、其村々より付出し候者勝手次第之儀ニ候
得共、他所之商人相調壱駄荷ニ拵付出シ候
者、前々継合候品ニ候所難弁候、右者中馬稼候
哉又ハ馬継場ニ而継合候筋ニ候哉之旨奉伺候ニ
付、松本・飯田両町問屋茂被召出御尋被遊候
所、定以難弁候得共米穀之外商人之調候
者、都而売買之品ニ候得者馬継場ニ而継合
可申儀与相心得罷在候段申上候ニ付、去ル甲年
御裁許証文ニ当時致稼候六百七拾八ケ村を
中馬村ニ定メ馬数も格別不相増、其所々之
仕来ヲ以産物之品ヲ中馬ニ而付送り戻馬之
稼茂いたし、右品々之分者中馬仲間ニ而継
合候共勝手致次第ニ、松本町ニ而荷物致請払
候儀者、是又仕来之通相心得、其外之品ハ
宿々并馬継場ニ而継送可申旨被仰渡、
商人荷物中馬ニ而可付送旨之被
仰渡者無之、宿々并馬継場之儀之商人
荷物継送之助成ヲ以御用并武家方
 
  (改頁)
 
御通行継合相勤メ候儀ニ候、併米穀ハ
運送之自由ヲ専ニすべきゆへ、中馬
裁許之節も米穀類ハ郭之宿々馬継
場ニ而茂口銭不可取趣ニ候間、米穀之外ハ
何品ニよらず縦令何之村方より付出し候共、
他所之商人相調付送り候荷物者、宿
馬継場ニ而継合候儀与相心得可申旨被
仰渡、逐一承知奉畏候、仍而御請証文
差上申所如件
              嶋隼人御代官所
                  信州伊奈郡
                     大島町
                     片桐町
                     飯島町
                     赤須町
 
  (改頁)      78
 
                惣代飯島町
                   名主 与左衛門代
                     彦次郎
   明和六丑年十一月七日
                  大島町
                   問屋 平次郎
       御奉行所
 
前書大島・片桐・飯島・赤須四ケ町江被
仰渡候趣、私共儀茂罷出承知奉畏候
尤右継合方之儀者右四ケ町ニ不限、何之
宿々馬継場も同様之儀ニ御座候ニ付、
右御請証文之写御渡被 置候間、
宿々馬継場へも寄々申達逼々ニ
無之様可取斗旨被 仰渡奉畏候、
 
  (改頁)
 
依之奥書印形差上申候以上
   松平丹波守領分
     信州筑摩郡松本町
       問屋
       年寄兼帯
          七郎左衛門
   堀大和守領分
     同国伊奈郡飯田町
       問屋
       年寄兼帯
          伊右衛門
    
右御書付三通割御仕切印被為遊、私共
両人奥印仕四ケ宿惣代両人御請印ニ而
一通者御評諚所江差上、右御写松本町
問屋・飯田町問屋江壱通宛御渡、尤御仕切印
有之候外、宿々江茂両問屋より寄々申聞候
様ニ被仰付候         御請仕候
其後
飯田問屋四ケ宿惣代之者共帰村仕候様被
 
  (改頁)      79
 
 仰付候、松本町問屋之儀者御用
有之候間、相残候様被仰付候、飯田町
宿問屋之儀先達而申候通、問屋役
料一向無之段口銭茂取不申候段存付
茂無之哉与被仰候、   難有奉存候
一馬継場問屋之義不勝手ニ而者御用筋
不相弁候、商人益有之候荷物随分継
送、右之助成を以御用并武家通行
之用事相勤可申儀与被 仰候
  右御答
 只今迄御用筋之儀者、先達而申上候通
 余斗人馬入用之節者、地頭役人江相願
 相勤申候、武家様方人馬御入用之節
 者、宿場ニ不足仕候得者雇馬仕差懸り
 之通行共ニ御差支無之様相勤申候
 問屋口銭之儀茂御伺奉申上度奉
 存候得共、地頭役人江相願其上恐多奉存
  候得共、奉御伺度奉存候    申上候
   (改頁)
 尤成儀与被仰候
中之口江御届申上、夜四ツ頃ニ旅宿ニ罷帰申候
一八日朝国屋敷岡沢甚左衛門様・村田五郎兵衛様・
小林源五左衛門様御届ケ申上候処、御本紙ハ大切成
儀故写相認差上候様ニ被仰、則相認夕方
差上申候
 

大原伊右衛門様 十三人役人共    〆 
       
御飛脚戻り候ニ付致啓上候、時節柄
寒暖差募候得共御堅勝ニ御在符
被成目出度奉存候、此者御家内ニ
而も御揃御堅固ニ可被成御座候、
随而野子共不相替罷在候
 
  (改頁)      80
 
御安意可被成候、凡ハ当月三日
御白洲江御出シ成候処、御震出
御差扣被成候由何躰ニ候、御入被成候哉
今程ハ定而御全快ニ御座候与奉存候
夫故七郎左衛門殿斗御出被成候所、
御尋之趣御答之趣等御書通
之趣、新兵衛殿三郎右衛門殿より被仰
聞一同致承知候、何連松本当所
者同様之儀ニ御座候得ハ、御一様
之御答可整儀ニ奉存候、右ニ付
五丁拾三丁別々之筋合ハ無御
 
  (改頁)
 
座候間、是又御一様ニ御答宜
様ニ被仰上可分候、勿論御両所
得茂、其段御引合申候得ハ、
此度可被仰越候得共、御見舞
旁得其意度如此御座候、左答
方首尾好候取伝廻追付、目
出度御帰奉待入候、恐惶謹言
          十三人
           役人共
  十月十四日
   大原伊右衛門様
 
  (改頁)      81
 
十一月廿五日
江戸表より罷帰御差図之通惣町
相咄、其上五町庄屋両人組頭町人衆
迄私宅招キ誦聞セ申候、其後十三丁
誦聞セ可申候所、如何間違候哉、段々
相延申候、霜月廿五日ニ町会所江十八丁役人不揃
相揃申候而、拙子ニ十三丁組頭へ右御書
付訳咄呉候様ニ被申候、依之委細ニ
相咄申候得ハ、何之訳も無御座候、組頭ハ
罷帰り申候、又其後如何致候哉十三丁より
五丁茂一同ニ江戸表江御願ニ罷出候様申上候
得共、重キ被仰付、殊ニ宿場故別ニ罷成候、
其後三郎右衛門方迄十三町より儀兵衛・弥平太・
宇左衛門三人被参候、先日御書下写小夫ニ御
 
  (改頁)
 
返し申候、此義得其意度候、尤此度一件相
済不申候内、右之一件之義御寄会申す間
敷与申参候、
一其後下代衆江拙者参候様申参り候ニ付、罷
越候得ハ、外義ニ而ハ無御座候、十三町より先日御書
下相返し申候哉不伝候、十三町役人共又々貰
参候へハ、早速ニ相渡呉候様ニ被仰候ニ付、各様
被仰候義、殊ニ御内意之他奉承知候段申候而、
罷帰候、其後儀兵衛参申候而、右御書下
被下候様被申候ニ付、拙子申候ハ、御仲間中一同ニ
御承知候ハヽ相渡可申与御返事致候、則手紙左之ことく
    
昨日御籠を罷成所奉存候、然上其節□従前
仲満衆一同之義、尚又罷帰候而入念申達候所、弥
一同ニ御座候間、■■米ニ一寸申上候以上
    極月八日
       有幸様御用     ■■
 
  (改頁)      82
 
        覚
 御定借御用金之儀往古之書物等も
 無之、承伝候趣を左ニ相記候
一御定借金之儀ハ御近領ニも御座候通、前々
 穀留ニ御座候所、寛文年中御所替已後
 穀留ニ而ハ惣町方難義仕候ニ付、御願申上
 年々金弐千両宛差上可申候間、穀留
 御免被遊被下候様ニ御願申上候処、御聞
 届穀留ハ御免、御定借被 仰付
 差出来り候所、中奥町方困窮卯仕、右弐
 千両相調兼候間、高御減被下候様ニ相
 願半高減少金千両宛差上来り、御
 利足壱割之積を以、毎年元利御返済
 ニ成年々新ニ冬春両度ニ千両宛御定
 借差上申候
 
  (改頁)
 
一付出シ出荷歩銭之儀壱駄ニ付拾弐文ツヽ
御領主様江御取被遊候、其品々
一 塩  肴  茶類  串柿  たばこ
  紙  椀  元結  麻荢  木綿類
  くり綿  油類  輪竹  其外
               雑荷
此外五穀類酒者御免ニ而出荷歩
銭御取不被遊候
一肴・塩・茶付込入歩銭ハ古来より惣町へ
助成ニ被下置候御事
   但壱駄ニ付歩銭弐拾四文宛
右之通りニ御座候間、御差心得御考被成可
被 仰上候以上
   十月十五日
 
  (改頁)      83
 
      差上申一札之事
一信州伊那・筑摩両郡之内八拾壱ケ村惣代
 久保村・大出村・南小野村之内雨沢・北小野村訴
 上候者、伊奈郡之中馬者壱人三、四疋ニ而、松本
 町
より尾州三州迄凡五拾里諸荷物致通馬ニ
 又者中馬仲間ニ而場所不構致荷替、勝手ヲ
 以付通来り候処、右道筋之内松島・北殿・
 宮木三ケ村より付替荷物ニ相障り候、宝永三
 戌年出入之節、通馬・継馬可為勝手次第
 旨御裁許有之、中馬稼ヲ以御年貢相
 納百姓致相続、中仙道助郷役茂勤来り
 候間、中馬荷物付送り并付替不相障候様
 致度旨申上之候
一同国伊那郡松島村・北殿村・宮木村答上候者、
 宝永三戌年中馬出入有之、其節之御裁
 許ヲ相守罷有候処、近年継荷物中馬ニ紛シ、
 継場ニ而者御朱印御証文其外通行
 
  (改頁)
 
 斗り継立勝手ニ成候荷物中馬ニ而継合、別而
 木下村ニ而我侭致候故、去卯年平出村・松島村
 より右木下村ヲ相手取及出訴、御吟味之上中馬
 之儀、其村之産物付通シ売捌候処ニ而、外之品
 を買求メ付候共、何連茂参着之所迄通馬ニ
 いたし、区々之継合致間敷、若無処儀ニ而継合候ハヽ
 馬継場ニ而継宿継ニ致来り候商荷物之分者、
 馬
付候儀者相止メ可申候、右之通ニ候上者、向後荷
 宿之義茂中馬之継合并売荷物之継場ニ
 不致様ニ御裁許有之、其所之産物ヲ日数十二、三
 日余茂通馬仕候事ニ而、他所之荷物を引請、或者
 勝手ヲ以継合候儀ニ者無之旨申上之候
一同国筑摩郡弐拾四ケ村惣代藤池村・古田村・
 会田村訴上候者、従往古中馬稼ヲ以渡世
 致来り、殊宝永三戌年御裁許茂有之
 差支無之筈之処、会田村問屋ニ而中馬
 来之荷品ニより銭五、六文より拾四、五文迄
 銭
有之、其上去々午四月茶荷物差押
 候旨申上之候
 
  (改頁)      84
 
一同国同郡苅谷原村・会田村・岡田村問
 屋訴上候者、三ケ村共北国往還之馬継
 場ニ而同様高札有之、御用并武家方
 御通行廿五人廿五疋之継役相勤、商人荷物
 継送り之助成を以右継役相勤候、勿論
 人
荷物之外土地之産物手馬ニ而付送候儀ハ、
 信州通例ニ候得ば商人荷物ヲ紛シ茶荷物
 付送り候故、下し候様申聞候処、却而理不尽
 申掛ケ候旨申上之候
一同国同郡松本町商人共訴上候者、松本町
 信州より出候荷物之付出場所ニ而、中馬
 者江相渡売買仕来、駄賃ニ而送り荷物ニ茂
 いたし中馬仲間之相対ニ而自由ニ致差支
 無之処、問屋継斗ニ成候而者日限及延引ニ、
 途中ニ而いき連腐候ものも有之商売ニ差支
 有之旨申上候
 
  (改頁)
 
出入一同被為遂御吟味候処、中馬方申上候ハ、
往古より中馬ニ而渡世仕来、寛文十三丑年
中馬方ト飯田・大島・塩尻三ケ所問屋及出入
中馬荷物勝手次第可付通旨御手代中
被差遣、御吟味之上諸色荷物中馬
付通一切不可妨之旨、御裁許有之候所、
宝永三戌年筑摩郡之中馬伊那
より新馬与申所由、筑摩郡村々より訴上、
御吟味之上、通馬・継馬双方可為勝手
次第旨御裁許有之、寛文・元禄
御裁許者其節御取上ケニ成、右御裁許
通相守中馬渡世致来り候、然ル処去ル卯年
平出・松島両村ト木下村出入、御裁許ニ事寄
松島・北殿・宮木三ケ村より郡中之渡世ニ相障り、
尤右道筋ハ定り候駅場ニ而者無御座、松本
并飯田より尾州三州江之往来、其外右道筋之
最寄ニ随ひ、中馬村々之産物付出シ売払、
 
  (改頁)      85
 
其所之品を買求メ纔〓《ワズカ》之利潤を以て渡世
いたし、勿論右道筋之問屋者宿役相勤
候ニ者無之処、荷物を以相続致候趣ニ申立候段
難心得、松本其外所々より飯田往来之商人荷物
飯田町中馬荷問屋数拾軒致差配、既ニ
道筋拾六ケ村之内五、六ケ村ニ者問屋無之、御用
通行之節者百姓夫役ニ相勤申候、且中馬ニ而
付送り候尾州名古屋町・三州岡崎・吉田両宿共ニ、
凡道法五、六拾里程之往還、十五、六日相掛り付通
斗り之稼ニ而者売買之度数少ク候故、付出候荷物
も勝手ニより中馬仲間ニ而付替、松本荷問屋へ
送り遣シ、或者駄賃敷金ヲ以荷物相調、尾州
三州江付出シ無油断稼候故ヲ以助成ニ相成、身元
軽キものも中馬仲間の作物道筋最寄次第
売買致、代金順々払自然と渡世二成候儀者、
中馬通行自由故其理ヲ請候もの多、殊更信
州者雪国故、三、四月より八、九月迄之間耕作
致候ニ付、中馬稼ヲ重ニいたし来り候旨申之、
馬継場問屋申立候者、中馬仲間勝手を
継馬いたし候而者、商人荷物中馬ニ致、
 
  (改頁)
 
馬継場ニ而者御用通行斗之人馬相勤相
続難成、既ニ平出・松島両村与木下村出入之節、
通馬ヲ中馬ト定、区々之継合致間敷旨
御裁許有之、中馬仲間継合致候而者、右
御裁許ト相違仕候旨申争ひ、弐拾四ケ村
惣代藤池村外二ケ村并苅谷原村問屋
銘々中馬之義ヲ申立、松本町商人共茂
中馬自由に不相成候而者商売差支候旨
申立候ニ付、中馬之訳御代官并御預り
御役所御領主御役人中江御尋御座候
処、古来より之仕来りニ而所々産物付送り
右助成ヲ以御年貢等之足銭ニ仕候趣ニ
者候得共、中馬最初不相知付送品区々
ニ而難相決、先御裁許茂其度々双方
申立候趣を以御吟味之上被仰渡候事ニ
付、一躰江及ひ候儀ニハ無御座、然者中馬
信濃国中之仕来と思召候間、御普請役
元〆米倉幸内殿・御普請役高橋八十八殿
 
  (改頁)      86
 
被差遣、中馬有之村々并通行之道筋
御糺明之所、中馬之発端者不相知、中仙道・
甲州道中并伊奈道筋尾州三州御通行、
其外北国筋江信州之産物付送来り候段ハ
相違無御座、中馬稼候諏訪・筑摩・伊那・安曇・
小県・更科・埴科・高井八郡六百七拾八ケ村
有之、右村々申候と仲仙道并脇道北国
往還
・甲州路上諏訪・金沢・蔦木右三宿
伊那道三州岡崎・吉田迄之道筋宿々ニ而
継場問屋帳面等御突合、逐一御糺
御座候処、信州之産物并戻り馬之荷物
其所々より品数相違仕候、口銭不差出所
も有之、又ハ出之候場所茂員数不同
有之、都而仕来区々ニ而、尤其所より差別
可有御座候処、全前々及争論候場所之
御裁許ヲ論外ニ而承之、勝手を以申争ひ
候儀ニ而、中馬方之者共義、右渡世致来り候
段ハ相違なく候得共、御年貢者有合之
 
  (改頁)
 
毛ヲ以定候儀ニ付、右助成を以て御年貢相納
候由之申分ケ者難相立、寛文・元禄
裁許書者、宝永御裁許之節御取
上ケニ相成候間、不被及御沙汰ニ、右宝永之
御裁許ニ継馬勝手次第と有之候得共、
其所之産物者格別諸荷物自由可致
様無之、馬継場問屋共茂今般相争ひ
候分ハ、五海道外之往還ニ而定り候宿
者無之、其外双方申争ひ、無証拠御取
用難成、次ニ弐拾四ケ村と苅谷原外ニ弐ケ村
問屋共茶荷物付通シ有無之儀、品々
申争ひ候得共、是以遅ニ証拠無之松本
商人共儀近在より付出候荷物ヲ買請、
尾州・参州其外売送り并向キ向キ掛合、
信州ニ無之品ヲ仕入置、在々江売渡為替
金ト名付敷金取置、中馬荷物請払
取捌来候段、是又無相違思召候得共、
是又中馬之者共同様ニ申口ハ
 
  (改頁)      87
 
左取用難成、猶又安曇・筑摩両郡之内
弐百五拾六ケ村之儀寛保元酉年甲州
道中金沢・蔦木・教来石・台ケ原・韮崎
右五ケ宿と及出入、内済仕候得共品数相残
産物手馬ニ而難付送り、戻り馬ニ付来り
候品も宿継ニ相成候故稼薄く、自然と
馬数も減シ及困窮候間、内済通ニ而者
迷惑仕候旨惣代を以奉願、前書中馬
同様品々申上候得共、都而中馬発端不相
知品数茂治定仕候儀無之、其所之仕来
を以稼ぎ仕義ニ而、寛保元酉年中馬
往還之品数極り内済いたし候上者、右品
数を以て渡世可致儀ニ御座候、依之被仰渡
候者、当時稼致候六百七拾八ケ村を中馬
定メ、馬数茂格別不相増其所々之
仕来を以て産物之品を中馬ニ而付送り、
戻り馬之稼茂いたし右品之分者
中間ニ而継合候共、勝手次第ニいたし、
松本町ニ而者荷物請払致候儀者、
 
  (改頁)
 
是又仕来り之通相心得、其外之品者
宿々并馬継場ニ而継送り可申旨
被仰渡、度々之御裁許書証文等ハ
御取上ケ被遊、中馬荷物口銭中馬
稼之村々名当時之馬数御帳面ニ
被記、松本町江御渡被成候間、宿
馬継場并中馬之村々共ニ銘々御代
官所御預り所御領主御地頭所ニ而
拝見之上写取、永ク相守及再論ニ間
敷旨被仰渡一同承知奉畏候、若相
背候ハヽ御科可被仰付候、仍為後
証之連判一札差上申所如件
        八拾壱ケ村惣代
         今井平三郎御代官所
          信州伊奈郡久保村
              百姓
          訴訟方  弥五右衛門
 
  (改頁)      88
 
         千村平右衛門御預所
          同国同郡南小野村之内雨沢
              百姓
          訴訟方  清兵衛
         松平丹波守御預所
          同国筑摩郡北小野村
              百姓
          同    長十郎
         内藤大和守領分
          同国伊奈郡北大出村
              百姓
          同    惣左衛門
         今井平三郎御代官所
          同国同郡松島村
              問屋
         相手方   仁左衛門
             名主
               十左衛門
 
  (改頁)
 
         同人御代官所
          同国同郡北殿村
             問屋
         同     吉兵衛     
  明和元年
 申十二月
         内藤大和守領分
          同国同郡宮木村
             問屋
          同    忠四郎
             名主
               平次郎
       追訴差上候
           弐拾ケ村惣代
          松平丹波守御預所
          同国筑摩郡古田村
              名主
               恒右衛門
       右同断
         同人御預り所
          同国同郡藤池村
              名主
               六右衛門
 
  (改頁)      89
 
       右同断
         同人御預り所
          同国同郡苅谷原村
              名主
               弥惣右衛門
       右同断
         同人御預り所
          同国同郡会田村
              名主
               善左衛門
       右同断
         同人領分
          同国同郡岡田村
              年寄
               作左衛門
       右同断
          同人領分
           同国同郡松本町
              前問屋
              商人惣代
                 半五郎
                 九左衛門
 
  (改頁)
 
     御評定所
 
    差上申一札之事
一信州伊奈海道拾八宿と唱来
 候由宿場ニ極、問屋と申儀相立
 被仰渡候、年暦宿場掟御高
 札并駄賃銭極有之候哉、且
 又一宿ニ而相勤候役人馬数極、
 尤定助・大助等之村方又ハ何
 方より何方江之脇往還と申
 儀有之候哉御尋ニ御座候
  此儀問屋相立御用并諸
  荷物継立候証拠書物所持
 
  (改頁)      90
 
  仕候村方茂御座候得共、伊奈
  海道拾八宿被仰付、問屋
  相立候証拠無之、人馬継立候
  最初年暦ハ相知不申、宿
  場掟御高札無御座候、然共
  古来より宿役御用人馬御
  大名様并御家中其外御
  武家様方御通行之節者、
  問屋・名主・村役人共罷出、御差
  支無之様継立申候、依之古
  来之訳左ニ奉申上候
一飯島町之義元禄十三辰年迄
 問屋相立宿役高百六十三石
 余御引被下候所、何様之訳ニ
 
  (改頁)
 
 而哉子細相知不申候得共、翌
 巳年高谷太兵衛様御代
 官所之節より、右役高御引
 不被下候ニ付、問屋退役仕候得共、
 前々より引付を以宿役高廿
 壱疋相勤申候、併日々除置
 候儀ハ無御座候、尤大通之節ハ
 飯島町名主共より触出石曽根・
 田切・本郷三ケ村より助人馬
 差出、其余不足ニ候得ハ、大草
 村より茂為差出、且又当町之
 儀石曾根村之内飯島町と
 御高札御免定ニも有之候
一赤須町・上穂町之義入会ニ付、
 
  (改頁)      91
 
 両宿ニ而継場三ケ所相立、当
 番ニ而相勤申候所、赤須町之
 儀前々者宿役高百五拾石
 余御引被下候所、飯島同断御引
 不被下候、且又両宿ニ而役人高差
 出置候儀ハ無之候得共、御先触
 准シ差出、尤不意御通行ニ而も
 早速人馬差出御指支無之様
 仕候、且又赤須町之儀大通之
 節者、赤須村之内小町屋割・
 市場割・南小平・北下平・上赤
 須右六ケ村名主共へ申遣、為
 相触介人馬為差出申候、上
 
  (改頁)
 
 穂村者御料私領相分り
 候得共、同様ニ割合相勤、尤
 前々より宿役引高并介郷無
 之、村高千石余ニ而相勤申候、
 赤須村之内赤須町之御高札
 御免定ニ有之上穂者村被
有之候
一片桐町之義元和三巳年脇坂
淡路守様御領分之節、問屋
伝馬為役米弐百八拾俵地頭より
 相渡、夫役被差免、明暦二申
 年より米三百四十俵壱斗壱升六合
 被下候、正保三戌年御同料之節
 
  (改頁)      92
 
 宿継可仕、荷物品訳書付地頭より
 相渡申候品多く候間、右書付写
 別紙差上候、右以前より問屋
 相立有之候与申伝候得共、発旦
 年暦相知不申候、其後御料所
 罷成飯島町同断御差止メ
 罷成候得共、古来より引付を以当
 時共御用御差支為無之、人足
 弐人馬弐疋日々用意仕、宿
 差出置相勤申候、尤大通之
 節者上片桐・南沢・高島・小平
 七久保右五ケ村江問屋より助人
 馬触出、其余不足仕候得者、部奈・
 
  (改頁)
 
 福与両村より差出相勤申候、且又
 当宿之儀片桐町与御高札御
 免定ニも有之候
一大島町之義文禄二巳年京極
 修理大夫様御領分之節、御
 馬役
高五拾弐石余御引被下、
 慶長十三申年より米弐百并
 地頭夫役小物成被差免、明暦
 二申年より米四十壱俵被下之、問
 屋相立宿役相勤候所、御料
 所ニ成飯島町右同断御差
 止罷成候、尤右以前より宿
 相勤候与申伝候得共、最初年
 
  (改頁)      93
 
 暦相知不申候、古来引付を以
 御用御差支為無之、人足弐人
 馬弐疋日々用意仕宿場差
 出、尤大通之節者新井・古町人
 相触介人馬差出、其余不
 足之節ハ山吹・辰ノ口・駒場・上平
 右四ケ村より為差出申候、当宿
 之儀名古村之内大島町も御
 高札御免定ニも有之候、
一市田町之儀前条大島町同断
 地頭より米百九拾五俵余相渡、
 夫役小物成被差免御伝馬
 
  (改頁)
 
 役相勤申候、其後地頭代り
 之度之書付相渡、当時堀
 大和守迄度々相渡候書付
 写差上申候、尤御用御差支
 為無之人足弐人馬弐疋日々
 用意仕宿場江差出置、大
 通之節ハ地頭へ申達助人
 馬地頭役人より触出相勤候得共、
 介郷村と極候儀ハ無御座候、
 尤町高札御免定共市田町
 と有之候
飯田町之儀傳馬町桜町ニ問屋
 
  (改頁)      94
 
 相立御武家様方御通行之
 人足継立仕候得共、介郷と申
 茂無之、尤宿馬拾疋ニ而不足
 仕候節ハ、近村々より雇馬仕継立
 申候、依之地頭より宿並屋敷
 年貢諸役御差免、為問屋給
 米四俵ツヽ相渡し申候、御朱印
 御証文御継立之義ハ、地頭役
 人より領分之内江相触、馬為
 差出相賄申候、右之通ニ付待
 人馬除置候義ハ無之候得共、御
 先触其外御差掛之御用
 
  (改頁)
 
 差支不申候様ニ相勤申候
一七ケ宿一統申上候、継合候隣
 宿々江道法駄賃銭極有之
 候得共、
 御公儀様より町定被仰渡候と
 申証拠書物ハ無御座候得共、越
 後国村上・長岡・柴田御城下より
 尾州三州又者當国上田小諸
 松本・高遠・飯田御城下より右
 国々江之脇往還御座候、尤中
 山道御差支之節ハ、江戸表又ハ長
 門辺御家中様御通行茂御座候
一前条ニ奉申上候通、継場問屋
 
  (改頁)      95
 
 相立御用荷物并諸士方御通
 行之節、伝馬役相勤候段申上候
 ニ付、御大名様方御通行有之哉
 又ハ御家中等極り候而御通有
 候哉御尋ニ御座候
  此儀堀大和守様・座光寺喜兵衛様・
  小笠原兵庫様・近藤権太郎様
  年々御通行被遊、其外
  御朱印御証文御用人馬
  不意御通り被成候御武家様方
  御座候所、拾八宿間々ニ村方
  有之候得共、継立候義古来
  より無御座候、且又飯田町之義ハ
 
  (改頁)
 
  御大名様御通行ハ無御座候
一私共宿々ニ而中山道・東海道
 其外江茂助郷役相勤候有
 無御尋ニ御座候
  此儀前条ニ申上候通、宿
  相勤候ニ付、外へ介郷役勤
  候義、古来より無御座候
右御吟味ニ付少茂相違之儀不
申上候以上
       近藤権太郎知行所
        信州伊奈郡上ぶ村名主
               善四郎
  宝暦十二年午     組頭
       十一月廿二   三郎左衛門
             百姓代
               市郎兵衛
             問屋
               伝三郎
 
  (改頁)      96
 
       千村平右衛門御預り所
        同国同郡同村名主
               弥右衛門
              組頭
               喜兵衛
             百姓代
               文三郎
             問屋
               恒右衛門
       大草太郎左衛門御預り所
        同国同郡赤須町名主
               三九郎
             組頭
               清治郎
             百姓代
               彦左衛門
       同断
        同国同郡飯島町
            名主 八右衛門
             組頭
               与左衛門
             百姓代
               孫作
       同断
        同国同郡片桐町名主
               善兵衛
 
  (改頁)
 
             組頭
               清蔵
             百姓代
               林左衛門
       同断
        同国同郡大島町
             問屋 
武兵衛
             組頭 
               平次
       堀大和守領分
        同国同郡市田町
             名主 
治郎右衛門
             組頭 
               善五郎
             百姓代
               傳右衛門
             問屋
               喜右衛門
       同断
        同国同郡飯田町
            名主
 三郎右衛門
            名主
               所兵衛
 
  (改頁)      97
 
            組頭
               与兵衛
            同
               利兵衛
            問屋
               三太夫
 
     米倉幸内  様
     高橋八十八 様
 
  (改頁)
 
明和六丑年十一月十八日ニ江戸表より
帰国、其後御書下写シ松本
七郎左衛門殿へ書中ニ而談事候而
市田より村井迄写相認メ、両人ニ而
奥印致相廻し申候、其後ニ
飯島・片桐・大島・市田右四宿
御書下預り遣候様ニ申参候ニ而、
右御書下シ末ニ預り之
印形致、尤次日割致遣申候扣
 
  (改頁)      98
 
前ニ 御本紙
奥書文言左ニ
右御押切有之候御本紙
頂戴、拙者方ニ預り置申所
相違無御座候以上
           飯田町
  明和六丑年     問屋
     十一月     伊右衛門  印
       市田町
        問屋
          源左衛門殿
 
  (改頁)
 
右同断
           飯田町
  明和六丑年     問屋
     十一月     伊右衛門  印
       大島町
        問屋
          平次郎殿
右同断
           飯田町
  明和六丑年     問屋
     十一月     伊右衛門  印
       (片桐町
         問屋
           ○○○殿)
 
  (改頁)      99
 
右同断
           飯田町
  明和六丑年     問屋  
     十一月     伊右衛門  印
      飯島町
            問屋
            七郎右衛門殿
 
  (改頁)      104
 
     乍恐口上書ヲ以御請仕候御事
一六ケ年以前米倉幸内様御越被遊中馬方・宿
 御吟味之上、荷物駄分ケ被 仰付、又々十月問屋伊右衛門
 被 召呼通シ荷物宿継荷物掟 江戸表被
 仰付候趣、重キ御儀と奉存候、桜町三丁目之儀者
 貧町ニ而往来旅人宿仕、或者荷物賃日雇
 耕作山〓《カセギ》等渡世仕者多く罷有候得者、何連方江
 相片付可然候哉難斗奉存候
一此度拾三丁御願出候ニ付、伝馬町桜町之儀者、
 如何相心得候哉と御尋被遊候所、拾三丁御願如何
 御座候哉、乍恐不奉存候、宿役之御町ニ住居仕罷
 有候得者、御願之筋も難申上候、差當今日渡
 世営難相成候処、江戸御用入用相続右金子も、
 以今借用仕罷有候而、甚難儀仕候、此上貫銭相懸り
 候而も出来不仕候、別而当年抔者〓《カセギ》等うすく
 渡世難義仕候、何連之方江成共被仰付候筋
 相守、家蒙相送り永當町ニ住居仕度奉存候
 御慈悲ニ此段被為聞召分被下候ハヽ難有奉
 
  (改頁)
 
 存候、右之外可申上候筋無御座、為其印形仕差
 上申候以上
  明和七年寅三月     桜町三丁目 連名
                     印
    御奉行所様
 
    乍恐以口上書ヲ御請仕候御事
一先達而従御公儀様被仰渡候、飯田・松本
 間より出候荷物宿継之儀、十三丁筋及難義候ニ付、御
 願申上候由桜町之者共者、如何相心得候哉与御尋
 被遊候ニ付、乍恐申上候、売買同様之儀ニ御座候得共、
 宿場ニ候得者拾三丁とハ訳違、御願申上候茂
 気之毒仕候、殊更御用相重度々役人共
 出府仕丁内甚及困窮、右入用之金子以今
 他借仕罷有候得ハ、又々此上江戸表江願出入
 金掛候而茂出来不仕、難義至極ニ奉存候、乍併
 従御上被仰付候儀者違背仕申間敷候、
右之趣以御慈悲被為聞召分被下置走路ハヽ、
難有奉存候以上
   明和七年       桜町壱丁目
       寅三月    同町弐丁目
    御奉行所様        連名 印
 
  (改頁)      105
 
    乍恐口上書以御請仕候御事
一七年以前申年中馬出入一件御裁許
之趣ニ付、大島・片桐・飯島・赤須町より奉伺
候所、仕来通行之外松本より飯田迄之
間村々より付出候荷物急度御分被遊
候付、従江戸表松本町問屋七郎左衛門・
当所問屋伊右衛門被召呼御尋之上、
米穀之外何品ニよらず、縦令何連
之村々より付出シ候共、他所之商人
調付送候荷物ハ、宿々馬継場ニ而継
合候義と相心得可申首捨、江戸ニ
被仰渡候趣、大島・片桐・飯島・赤須
町惣代印形差上、松本町七郎左衛門・
 
  (改頁)
 
問屋伊右衛門右四ケ村江被仰渡候趣
同様奉承知、御請印形差上旧臘
罷帰候而、惣町江右御書付之趣相
心得候様申返候所、十三町之者共右
之趣ニ罷成候而ハ、末々難渋之由奉
願候由、依之伝馬町之者共如何相心
得候哉と御尋御座候二付、従
御公儀様被仰渡候趣商人
宿継ニ相成候間、口銭等もとれ候
様ニ之義御座候、宿場之助成ニも相
成候筋御座候得者、伝馬町之義ハ御
伝馬役相勤候町故、十三町とハ訳
違、宿役入用之足シにも相成候得ハ、
 
  (改頁)      106
 
一段之義と奉存候、併町内ニ而も売買
物多ク交易仕候ものハ、宿継ニ而ハ
運送相滞難義ニも罷成候得共、
十三町願之通同様にも仕度候江共、
宿役之町ニ住居仕宿並ニも相成候
義、隠可申筋も無御座候故、十三町
同意ニ奉願候義も迷惑ニ奉存候、
此上何連之方へ成共被仰、道筋
違背仕間敷候、江戸表へ奉願候道
筋十三町同様ニ物入懸り候而ハ、町内
貫銭出かね、其上市運上等之
助方無御座、渡世甚難儀仕候得ハ、
何連方へ成共被仰付候筋相
 
  (改頁)
 
守家業相送り永當町ニ住居
仕度奉存候、去之年以来江戸御用
ニ付町役人出府仕、右入用之貫
銭今以集り兼申候上、又々今度
之御願ニ入用多懸り候義、町内之者共
甚難儀ニ奉存候、御慈悲ニ此段被
聞召分被下置候ハヽ難有奉存候、
右之外可申上筋無御座候、為其
印形仕差上申候以上
    明和七寅年  伝馬町壱丁目
       三月  同  弐丁目
   御奉行所様
 
  (改頁)      107
 
右願書伝馬町壱紙桜町壱丁目・
弐丁目一紙三丁目一紙右三通ニ而
差出し、尤石澤氏へ持参仕候所、下井氏へ
持参仕候様被仰候ニ付、下井氏へ差上ル、
一三月十四日夕方御廻文参申候所、
五丁中組頭不残、町人五人組ニ而壱人ツヽ、
新参三郎右衛門御屋敷御会所へ、十五日
五ツ半時罷出候様ニ被仰出候、如可返候
哉、私ヲ御軽キ申上候
御用人山上甚兵衛様御同心館野四郎右衛門様
同水野左門様郡代中山藤左衛門様
阿久澤善内様町下代大澤嘉左衛門様
       同   下井善治様
 
  (改頁)
 
右申上候通五町之儀者宿場之儀ニ御座候得共、
宿益を以渡世難成、商売躰を以重ニ渡世仕候儀ニ
御座候得共、商売之手詰ニ相成候而ハ、永々難義
至極奉存候間、只今迄之通中馬通用自由仕候
様ニ奉願度奉存候、其上
御城下御町十八町只今迄萬端一致仕、従古来
同様ニ申談来候所、時節到来とハ乍申此度敵
々ニ罷成、御城下町二分ケニ相成候儀、奉対
御城主様恐入奉存候、旁商売躰自由宜敷様ニ
江戸表江罷出奉願、永御町ニ住居仕度奉存候
御尋ニ付、右申上通相違無御座候、為其御請印
形差上申候以上
 
右申上候通五町之儀者、宿場之義ニ御座候得者、
宿益を嫌申筋無御座候、尤も商売躰も仕候
得共、宿之助成ヲ相潰商売躰守相立候様可奉願筋
無御座候間、去冬四ケ宿奉伺候ニ付、被仰出候趣
伊右衛門御請申上候通相守、願之儀ハ決而申上間
敷候、然上ハ
御城下惣御町之者共ハ、宿方ノ徒党ヲ相潰商売
躰之荷物中馬ニ而付送り自由仕候様ニ奉願候
 
  (改頁)      108
 
得者、自然与十三町之宿共とハ敵々ニ罷成候故、
五町之者共被取相手江戸表江被為召候儀も
可有之御座候、其節者何程物入難義仕候共罷出
十三町之者共と出入
御公儀様奉蒙御裁許候覚語ニ罷在候、此度
五町存寄御尋ニ付、右申上候通相違無御座候、
為其御請書印形仕差上申候以上
此弐通五町者共印形仕差上申候様被仰付候
     寅三月十五日ニ
   乍恐口上書を以申上候御事
一此度拾三町之者共御訴訟仕候ニ付、五町之
者共一同に江戸表江罷出御訴訟可申哉
宿益を相立、十三町とハ別段ニ可有之哉と
御尋被遊候ニ付、先達而口上書を以申上候所、
又々御書付二品御渡被遊何連之方成共
五町一同ニ可申上段被仰渡候所、五町之義
 
  (改頁)
 
難渋共御座候而、下ニ而ハ難決、又々口上書
を以奉伺候御事
一五町之儀ハ宿場ニ而御座候所、宿場を
離レ拾三町一同ニ江戸表江御訴訟ニ罷出
申候ハヽ、四ケ宿之者共江戸表江罷出、去冬
問屋伊右衛門被召出被仰渡候趣奉
畏、御請印形差上申候所、此度違背
仕拾三町之者共と同様ニ罷成難義仕候
段、御願申上候義難心得奉存候間、問屋
伊右衛門并宿之者共被為召御吟味被遊
被下置候様御願申上、若御呼出御吟味
被遊候節、御返答可申上様御座有間敷
哉ニ奉存候
宿場之儀ハ宿並申合等も有之、
御朱印御証文御用通、其外諸士様
 
  (改頁)      109
 
方大通之節者、宿並相互ニ聞合等又ハ
為知候義も御座候得共、宿並儀離候ハヽ
宿之様罷成、不依何事聞合等も
弁シ兼、御用通之節も外宿とハ違区々
之義も御座候ハヽ、当宿難渋之筋も
出来可申哉難斗奉存候御事
一拾三町と一致仕御願ニ罷出候ハヽ、拾八町
割合相懸り、其上五町ニ而問屋伊右衛門始メ
宿之者共被為召候ハヽ、其節ハ五町入用
突八重之物入相掛り候ハヽ、甚難儀可仕候、
五町之儀ハ宿場ニ而御座候得共、商売
躰を以渡世仕候義ニ御座候得ハ、商方重ニ
仕候もの共茂手前勝手ニ而拾三町一統ニ
相成候儀も町烈を洩レ候義ニ御座候得者、
 
  (改頁)
 
是又難義ニ奉存候、兎角宿場之二字ニ
差当り難渋仕末々ニ至難義之節も
可有御座候哉、只今ニ而ハ差当り物入等
之義甚難儀仕候、誠ニ拾三町之敵々ニ
罷成、江戸表江罷出出入仕所存
曽而無御座候得者、□御書付ニ印形仕
差上候義甚恐入奉存候、依之右之条
奉伺候間、以御慈悲被為聞召分
被下置候ハヽ、難有仕合ニ奉存候以上□
   明和七寅年        伝兵衛
       三月       治兵衛
                惣兵衛
                庄三郎
                五郎兵衛
                与兵衛
                文五郎
                治左衛門
 
  (改頁)      110
 
                孫右衛門
    御奉行所        平右衛門
     
右御書付三月廿三日組頭両人ニ而持参いたし、
大沢嘉左衛門殿・下井善治殿差上申候所、同廿四日ニ
庄屋・組頭・両下代へ呼出御書入被仰付、則
御差図之通相認メ組頭十人ニ而印形致シ
差上申候
 
    席ノ御加筆之覚

右両様之御尋何連之方共片付不申、五町ニ而
茂壱丁限之存寄、別々ニ口上書差上五町区々ニ
相成候ニ付、猶又被 仰渡候者、五丁一統ニ
申談願候哉不相願候哉、両様之内片付
相談相決候処申上候様ニ被
仰付候ニ付、五丁之者共一同ニ申談候得共、
難決御座候訳左之通ニ御座候△
 
  (改頁)
 
   末之御加筆

候得共、自然と被相手取候筋ニ罷成、江戸表へ
被 召出候様ニ相成候得共、不及是非義ニ
御座候、
右之通彼是差支候筋共相見へ候得者、
願候所之有無難片付奉存候間、此上ハ此
侭差置至来候任模様、其節了簡
仕候外無御座候間、右御願何連共片付
候御答難申上候ニ付、此段乍恐口上書を以
申上候以上□
右二通之御加筆差入レ差出し申候以上
    三月廿五日
 
  (改頁)      111
 
安永七戌正月土味茶・かさ三十太
飯島ニ而差留候ニ付、飯田より飯島御役所へ
願出申候願書写
   乍恐以書付御届奉申上候
一昨十三日片桐村之内七久保村之者共、
 土味茶廿五太串柿五太飯田ヲ
 離候商人買請ニ而宿継ニ可被成
 荷物ヲ付出しニ可仕候段申、其馬
 士五拾人斗ニ而付送り候ニ付、先
 達而御届申上候通、飯田出
 物
ニ紛候故、右荷物三十太差
 押へ候所、送り状も出し不申
 
  (改頁)
 
 届所も不申候付、右村団蔵・
 弥一次両人ト相対之上預置
 申候中馬之義ハ、馬士壱人ニ而
 三疋四疋宛通行仕候故、
 右之通大勢申分理不尽ニ
 宿場ヲ付通し可申工ニ御座候外、
 此上如何様之義工御願可申上も
 難斗奉存候ニ付、御届申上候、
 右荷物先々江之送り状有之か、
 又ハ村方産物ニ而御座候所相知
 候ハヽ、早速継立可申候得共、
 如何様成後入哉送り状も出
 
  (改頁)      112
 
 不申候、其上届所も不申上候ニ付、
 右弥一次団蔵江相対候上預り
 置申候、一躰中馬ト申者其所
 之産物を手馬ニ而付出し売
 払、其戻り馬ニ荷物ヲ付戻り
 申義御座候、然ル所七久保之
 義ハ在郷村ニ而宿継荷物
 飯田出荷物ニ紛敷毎日戻り
 之駄賃稼仕候ニ付、宿継
 物
一向無御座候、中馬稼ぎと申すニ而ハ、
 決而無御座候、毎々日戻り之
 たびに稼ぎ仕候、宿場甚
 
  (改頁)
 
 降り相成申候間、荷物差押
 申候、何卒此段御慈悲
 御代官様江も御届被成様
 奉願上候以上
        問屋
         七郎右衛門
 戌正月十五日 名主
         孫作
 武嶋左膳様
    飯島
     御役所
 
  (改頁)      121
 
  片桐始り廻状      飯島町
                与市
                孫作
  尚々被仰渡書付ハ此間ニ而懸御目
              可申候以上
 
先達而御裁許相済候宿継荷物取扱
方決定不致候故、御奉行江召出
御伺申上候所、何連之荷物ニ而茂商人之方へ
買取候荷物者、宿継ニ可仕旨被仰渡候、依之
庭銭御相談申上度候間、来ル廿五日当所迄
御出可被下候、尤被仰渡之書付写進
申候間、御覧之上早々御順達右日限無
間違御出可被成候以上
  丑十一月十九日     飯島町名主
                 与市
                 孫作
            片桐町
            大島町
            市田町
            飯田町
 
  (改頁)
 
 追而片桐町大島町より者先達而御相談
 申度義御尋候、乍御苦労明日御出可被下候
                  以上
一筆致啓上候、昨日ハ御立寄被下候所、
早々仕合奉存候、御尋着以後弥御堅勝
可被成御座珍重奉存候、然ハ右之儀ニ付、
何角取斗方御相談申度、来ル廿五日
宿々当地へ立会之積り廻状遣申候、貴様
御儀いまだ御草臥ニハ可有之候得共、何卒
右日限乍御苦労御出被下様致度候
甚他之御取斗方不奉存候而者、宿
差支申候間、乍御苦労御出可被下候、右
之段可得其意、如是御座候以上
 ○丑 十一月十五日    平沢与市
              林 孫作
    大原伊右衛門様
 
  (改頁)      122
 
     右返書
貴札致拝見候、如何先緩々以貴意
大慶奉存候、弥御両家御安康ニ被成
御座珍重奉存候、然者継荷物之義
ニ付、来ル廿五日御会合可被成也由申被下候、
松本飯田掛合同様之義ニ御座候得ハ、
松本七郎左衛門殿帰国次第申請候筋
も被為候、此度ハ拙子ハ御会合ニ罷
出申す間敷候、先之四ケ御宿田町
御打寄御談之趣可被仰下候、近日
此方よりも伺ひ可申候恐惶謹言
    霜月廿日     大原伊右衛門
 
           林孫作様 平澤与市様
 
  (改頁)
 
     継荷物定書之事
輪竹  串柿  煙草  木地  焼酎穴
 麻荢  油精  糸荷  まゆ
一間之村々在々ニ而旅人泊り候儀可申届事
松本行六百駄松本より飯田江六百駄諏訪荷
 八百駄都合弐千駄、松本問屋七郎左衛門殿被帰
 候者、可申届事
一弐千駄之外何ニ不寄宿継荷物御定軽尻
 駄賃
口銭四文庭銭六文
一拾三宿申合連判之儀七郎左衛門殿被参候節
 可致事
  右之通合調定申候以上
  丑十一月廿七日
 
  (改頁)      123
 
自飯田松本迄之間宿々ヲ離候間之村々より出候
商人買請之諸荷物、今度
御奉行所ニ而宿継ニ被仰付候ニ付、来ル朔日より継立
申候間、最寄宿継場役人方へ荷物御差出可
被成候、尤駄賃庭銭之儀、飯田松本迄之積り
を以相添被差出候様、荷主衆中江御達可被成候、
米穀類之儀者格別之事ニ付、何方迄も御勝
手次第御越通可被成候、是又御下知ニ付申
追候以上          市田村   源左衛門
  丑十一月廿八日     大島町   武兵衛
              片桐町   八右衛門
              飯島町   与市
              赤須町
一筆致啓上候、寒気ニ向候得共
弥堅勝ニ可被成御座、然者
先達而御裁許被
 
  (改頁)
 
仰渡候、其御地より之出荷物
千四百駄之義、急之御差出被成
様取斗可被下候、駄賃之義
言下年中平均致定直段
相極申度候荷物之出し方
も月割ニいたし、壱ケ月ニ百
拾太余之当り申候、少々之過
不足ハ可有之事ニ奉存候、大略
右之割合御差出可被成様ニ致
度候、駄賃之外庭銭一ケ宿
壱駄ニ付庭銭六文ニ相極
申候間、駄賃庭銭共ニ荷物
 
  (改頁)      124
 
相添被差送候様御取斗可
被下候、定駄賃ニて無御座候
而ハ、其度々宿々割合ニ差
支申候
一荷問屋衆中御名前并印
 鑑宿々へ被遣候様致度候
一継荷物千四百太ハ勿論、惣而
 其御他より出し荷物送り状ニ貴様
 奥印被成、御出可被下候、左無御座候候
 而ハ在方より出し荷物ニ紛荷物可通
 之事ニ奉存候、貴様奥印無之
 分ハ継場ニ卸候様致度候、右之段
 
  (改頁)
 
 可得御意如是ニ御座候、恐惶謹言 
 丑
  十二月二日    宿
             問屋
   大原伊右衛門様
 此書状四日ニ着
   
一筆致啓上候、寒気之節愈御堅
勝可被成御座、珍重奉存候、然ハ其御地
より高遠町松本迄之間之町
在之送り状ニ而参候荷物之分者、
中馬荷ニ者無之誠ニ相見江申し候間
継立可申奉存候得共、貴様并松本
七郎左衛門殿江可対談不申内者、先当より
口銭取ニ而通し可申と奉存候間、此段
荷問屋衆中被仰達可被成候、然
 
  (改頁)      125
 
其積宿々取斗可申候間、左様御心得
可被下候,併戻りニ付候者差構無御座候
右之段可得其意如此ニ御座候
             飯島 片桐
  十二月二日      大島 市田
             四ケ所
               問屋
      飯田桜町 
       御問屋中様
 此書状同月四日着
      
    四ケ宿江返書
一筆啓上仕候、寒気之節御座候得とも
其御地御家内被成御揃、弥御堅勝可被成御座候、
珍重奉存候、先達而ハ江戸逗留中河
角御世話ニ罷成、殊御熟意被成下不衛
所奉存候、下杣儀も道中無難ニ而、先
 
  (改頁)
 
月十七日寄託仕候、乍慮外御安意可被下候、
是又江戸表首尾能御治被成、当時
御帰国被成候哉、此段如何承度奉存候、
此節御帰国も被成候ハヽ、何角以国中迄
御相談申度奉存候、尤宿々ニ而も去ル
朔日より荷物継立候由御座候、就夫松本より
之千四百太都合弐千駄之宿継之儀、
是又駄わけ品わけ之義も御相談申度
奉存候
先者御様子承度如何ニ御座候、恐惶謹言
  二月四日        大原伊右衛門
       倉科七郎左衛門様
  右書状市田町より宿継を以送り遣申候
一昨日出之御細書致拝見候而、御寒気
 之節各様弥御安康可被成御座珍重奉存候、
 然ハ高遠町松本迄之間々町在之
 送り状ニ而参候荷物之儀、中馬荷品ニ無之とも
 難相定候、都而飯田より付出し候分ハ仕来ニ而
 御座候、尤飯田・松本仕来ニ而何方へも付出候
 儀ハ御座候、乍併河水之宿へ成共、荷物
 
  (改頁)      127
 
 おろし候て継立候様被仰付候、此儀ハ松本
 七郎左衛門殿帰国次第談事之上可申上候、
 兎角再論ニ罷成不申候様致度奉存候、
 今質ニ取候様可被下候、且又先達而事被仰出候
 駄わけ之儀いまだ当所町中相談一決
 不仕候、是又七郎左衛門殿帰国次第相談之
 上万端御意、右御報草々如斯二御座候、
                恐惶謹言
   ウシ十二月四日     大原伊右衛門
       四ケ宿江御衆中
 此書状市田町より宿継ニ而出申候
 
  (改頁)
 
御手紙致拝見候、弥御堅勝ニ被成御座候
珍重奉存候、然ハ去頃松本へ六百駄
諏訪へ八百駄合千四百駄出荷物
之儀、月割以駄賃庭銭御添
急ニ御差出被成候様申進候所、御地之
御相談決着無之候間、当分見合
候様可致旨被仰聞致承知候、且又
右両所之外へ飯田より出荷物之義
中馬荷ニ而無之とハ難相定旨被
仰聞候、此儀奥馬之戻りニ其在
所迄付戻り候ハ御裁許ニ有之候
戻り馬之稼と申ニ而御座候得とも、
 
  (改頁)      128
 
在所を行越候馬之分ハ駄賃
稼ぎと申ものニ奉存候間、此下口銭取ニ
可仕哉と宿々及相談申候事ニ
御座候
一先達而申進候通其御地より
 出候諸荷物之分、送り状ニ惣而
 貴様御奥印被成、御出し可被下候、
 此間茂折々似セ送り状を以
 在郷馬付通候得共、可致様無
 御座候旨、何分ニも急ニ御印鑑
 被遣、右之通御取斗可被下候
 勿論其御御地惣而出荷物問屋中
 
  (改頁)
 
 名前御印鑑急ニ被遣候様ニ被
 仰通可被下候、先日も此段申
 進候得共、否不被仰聞候、如斯ニ
 御座候以上
 丑十二月六日     飯島
            片桐
            大島
            市田
             問屋

     桜町
      大原伊右衛門様
追而其御地之出荷物之義、何方
 行ニ而も、千四百駄出候得ハ事済候
 趣ニ被仰聞候江ハ、此義ハ左様ニ而ハ
 有之間鋪、諏訪八百駄松本
 六百駄ハ両所へ急度可行届荷
 
  (改頁)      129
 
 物と奉存候ニ付、此段得其意候以上
  明和七寅年二月十六日
               問屋
                伊右衛門
               庄屋
                三郎右衛門
一御会所江被召出候      組頭
                治左衛門
               同
  御役人           平右衛門
     阿久津善内  様  同
     中山藤左衛門 様   与兵衛
        下代衆    同
        大澤嘉左衛門殿 庄三郎
        下井善次 殿 同
                治兵衛
               五丁町内
                弐人ツヽ
                〆拾人
             新兵衛義病気
             御断申上候
 御尋
去年中江戸表へ罷越、御書下頂戴仕候、
罷帰り右宿荷物之義難義筋思
 
  (改頁)
 
為成、拾三丁よりハ願出候得共、其方一向ニ
退罷帰候段如何哉被仰候
 答
左様ニ而ハ無御座候、一向相談打合不申候故、
引退被有候段申上候
 問
江戸表ニ而彦次郎義、飯島町七左衛門代判
為致哉、此義一向存候段申上候、左も
               可有義と
                奉存候
 問
商ニ而渡世相成哉、宿益ニ而渡世
致哉御尋、此義商ニ而渡世仕候段
申上候、左候ハヽ一同願可有義与奉存候
 答
宿場之義ニ候得者如何奉存候、何れ与
申儀ハ無御座候段申上候
左候て其方申方口上ハ商方ハ得候、
宿場方へ心躰拝見へ申候と被仰候
 
  (改頁)      130
 
一三右衛門罷出申候    一遂におくれ不申候
一組頭五人罷出申候
 右五人者共御尋
 拾三丁宿継致義筋願申候、五丁之義も
 同様願出候趣被仰候
 組頭共申上候ハ
 未差支か相繁申候得ハ一通年も相過
 願上申候段申上候得ハ、
 問
 願之義ハ片町懸り願出候、不紛被仰候
 答
 追々江戸御用相重り町内困窮仕候、
 当時入之上御用ニ難義仕、見合罷遣候
 申上候得ハ

 拾八丁一同ニ相成候得ハ左程義も
 有間敷候、慥被仰候品々継荷相成候
 
  (改頁)
 
 得ハ、明日より上ノ御用も弁候被仰候、
 先御断申上候て退申候
 町人拾人罷出候
  右同様成義出申上候
 其後御窺申上候得ハ、罷帰候様被仰出候、
 尤此節拾三丁入申候方申出も彼是
 可申候、是ハ上ノ節も可相申候、下代衆
 被仰候
 組頭町人共江被仰候ハ、宿益ニ而渡世
 相成哉又ハ商方ニ而渡世相成哉片付申候而
 願出申候
三月二日
一拾三丁一同之御願申上候由被仰付義
 伝馬町壱丁目之内口上ニ而申上度申出候
 節人数如何
 弥蔵・武兵衛・源治郎・弥四郎・平右衛門・
 
  (改頁)      131
 
 弥右衛門・武七・久右衛門・曽平・孫右衛門
 与右衛門・嘉兵衛・市郎右衛門
 〆十三人
   
三月十一日ニ三宿より以飛脚申参候哉、
右御請証文ニ奥印致宿々相廻申候、
御申上げ候右文意
     
一御請証文之通相伝申候而奥書ニ
 右御裁許御請証文之写相廻シ
候而、書面之通御取斗可被成候以上
             飯島町問屋
     明和七年亥三月     七郎右衛門
             片桐町同
                 六太夫
             大島町同
                 平治郎
 
  (改頁)
 
右御請証文之趣宿々馬継場へ
我等共片より旁々可申通旨被
仰付ニ付、奥印御差遣候間
御承知可被成候以上
   寅三月         問屋
                 七郎右衛門
               問屋
                伊右衛門
寅三月十八日ニ松本問屋書中参并
村井迄去年御書下シ写相廻し候様即
刻廻文如此
  市田村より村井迄
   廻状          松本町
               飯田町
       右上書如此
 
  (改頁)      132
 
一筆致啓上候、追而寒気ニ罷成弥以
各様無御故障被成、御勤奉珍重候、
然者去年中伊那郡大島・片桐・飯島・
赤須四ケ町より御伺書出候ニ付、道中
御奉行安藤弾正少弼様より私共
御呼出御尋之上、去十一月中御
書下ケ被下置、右御文意之内ニ外
宿々馬継場江茂寄々申達、区々
無之様可取斗旨被仰渡候ニ付、
此段為御知申置候、為其
御書下ケ之写別紙ニ相認差遣
申候、右得御意度如此仕候、恐慌謹言
       飯田町
         大原伊右衛門
 
  (改頁)
 
     寅三月十七日
       松本町
         倉品七郎左衛門
市田大島片桐飯島赤須上穂
宮田伊那部北殿松島宮木北小野
南小野塩尻村井  
  右宿々馬継場
  御問屋中様
  御役人中様
追而書中并別紙共ニ御順達村井より
松本町倉品七郎左衛門方へ御返可被成候以上
此廻文ニ御書下写相添三月十九日ニ
田町問屋へ遣申候、尤外代衆へ伺候而
出申候
 
  (改頁)      133
 
明和七年寅六月八日ニ桜町平助壱人
右御頼ニ江戸表へ出立申候、
同七月十一日ニ福住六治郎 帯刀御免ニ而
             馬ニ而分持壱人
右大和守内福住六治郎絵符被下候
升屋傳右衛門二間屋傳左衛門〆三人出立申候
同七日ニ江戸表へ着江戸屋敷ニ而帯刀之不折也内、
尤七日面羽織御止メ被成候
升屋傳右衛門殿六月廿六日帰申候、
一文字屋久蔵閏六月十五日、 板屋文左衛門七月十日
 松田屋五郎七七月五日
出立申候、
同九月廿四日立藤屋小右衛門大工伊助両人
出立申候、伊助義江戸着申候而直ニ御願不相叶候而
罷帰申候、其後軒屋平助江戸不首尾而東海道より
夜中ニ帰申候、其後本覚寺ニ而十三丁組頭不残
五人与ニ而壱人立会ニ而江戸表不首尾之段咄申候、
十月五日ニ越前や利兵衛出立、同十日ニ而江戸表
より五郎七文次両人帰宅候所、少々御願之
 
  (改頁)
 
手掛り出来申候段、十三丁へ咄申候得共、此義
河水ニ者相頼不申候
 
  (改頁)      135
 
猶以今日ハ奥馬近在之馬共ニ大分出
申候ニ付、早朝ニ申上候御願御出被成候方
有之候得者、此方ニ而御留申上候
   
以使札致啓上候、弥御堅勝被成御座
珍重奉成候、然者其御地より出候柿
竹輪之儀去冬より区々ニ而差置
候得共、宿継ニ被仰付候八品ノ内ニ
而御座候間、継立可申候、依之
右之趣得其意候間、被仰渡候、
五日より市田江御継送り被成候様
被仰付可被下候、右之趣為得
御意候、如何御座候、恐惶謹言
                 中村平治
         十月十五日   田六太夫
                 宮下七郎右衛門
 
  (改頁)
 
     大原伊右衛門様
追而申上候、中馬売被成候而も宿
荷物ニ而御届候ニ付御継送り被成候様
被仰付可被下候以上
   
右返答
 御札致拝見候、各様弥御堅勝
 被成御座珍重奉存候、然者当所より
 送り出候柿荷竹輪之義今日
 与り継送り候様被仰聞候得共、
 此義は六百駄ノ内ニ籠り候
 荷品ニ御座候得者、飯田より継立
 之義ハ不得心ニ御座候、尤飯田を
 離レ間々村々より出候分ハ不残
 
  (改頁)      136
 
 御継立御尤ニ御座候、右御館早々
 如何御座候、恐惶謹言
    十月十五日    大原伊右衛門
  宮下七郎右衛門様
  平田六左衛門 様
  中村平治   様
    
    乍恐以書付奉願上候
一七年以前申年馬継場と中馬者共と
 出入り有之御裁許相済、松本より飯田
 着之出荷物六百駄飯田より松本
 諏訪着之出荷物千四百駄、惣合壱ケ年ニ弐千
 駄ツヽ馬継場ニ而継立可申有、於
 
  (改頁)
 
 御奉行所被仰付候、早速継
 物
出候様ニ松本飯田へ申達候所、
 松本よりハ承知之上荷物差出候
 得共、当御城下飯田町ニ而ハ如何被
 仰渡得候哉、数度催促仕候得共今以
 壱駄も不被差出、御裁許ニ相違
 仕義迷惑ニ御座候間、飯田町
 問屋中被召出諏訪松本荷物
 当年分千四百太早速御差出候
 様被仰付被下候様奉願上候事
一継立荷物付通し荷物混雑
 仕紛敷奉存候間、継荷物不及申
 上、返し荷物ニ而も惣而出荷物之分
 
  (改頁)      137
 
 不残桜町ニ而被相改、同町問屋中
 奥印を以送り状被相出候様被仰付
 可被下候、旁左様ニ無御座候而ハ荷物
 乱仕候て、争論有之迷惑仕御事
一飯田荷物問屋中印鑑茂宿
 江出差候様被仰付被下候様奉願上候、
 松本 よりハ先達而印鑑宿々へ至来
 仕御座候
右之通奉願上候間、御慈悲ニ御城下
荷問屋中被召、願之通被仰付
被下度候様奉願上候以上
  明和七年寅十月 嶋隼人御代官所
           伊那郡飯島問屋 七郎右衛門
              片桐問屋 六太夫
 
  (改頁)
 
              大島問屋 平次郎
   堀大和守様
      飯田御役所
右之通飯田御役所御願申上候間、
御慈悲ニ御添状被下候様奉願上候以上
             問屋
               平治郎
             名主
     寅十月       武兵衛
             問屋
               六太夫
             名主
               仲右衛門
             問屋
               七郎右衛門
             名主
               八右衛門
   飯嶋御役所
 
  (改頁)      138
 
右御添状持参ニ而飯島弁作殿・片桐
六太夫・大島平次三人、十月廿六日ニ
被参候、御留メ申候、拙子病気ニ付、同
役三郎右衛門殿相頼御役所差出し申候、尤
同廿七日朝右ニ付十三丁仲問屋中へ
治郎左衛門殿遣以手紙被通達下候様ニ
小文ニ手紙遣申候、則口上ニ而返事仕候
廿七日
一三郎右衛門致持参候所、直ニ願書差出候様ニ
 被仰付差出申候
一廿八日朝御召出荒町御評定所ニ而御奉行
 阿久沢善内殿中山藤左衛門殿御吟味付、六年
 以前酉年松本より之駄分ケ荷物田町傳右衛門
 付参り十三町へ相渡し、当時松本へも荷物
 宿送り之義改り申候間、飯田より送り候分も
 
  (改頁)
 
 御差扣可被下段、十三駅惣代之由申候所、十三町
 与り以書付申上候、右ニ付荷物不差出候与
 被仰候、三宿之者申上候ハ、左様成義ハ決而
 無御座候、明日伝右衛門御呼出し御吟味奉願上と
 申上候ニ付、翌日廿九日市田問屋源左衛門・組頭
 長九郎・伝右衛門其外組合御召出し御吟味
 被成候へとも、一向左様成義不申候段申上候ニ付、
 左候へハ十三町者与掛合候様ニ被仰付候、
 問屋申候証拠書物御座有間敷候ヘハ、
 対段仕候而も迚も相済間敷候、対決願
 候へ共一先対談候様ニ被仰付候ニ付、是非なく
 本覚寺ニ而立会候所、十三町より町役人不残
 并組頭此度江戸願ニ付世話致候者不残
 罷出、小勢之原町之衆中を口々ニ、申一向
 談もなき事ニ御座候、夜四ツ時ニ市田町
 
  (改頁)      139
 
 衆中本覚寺を引申候、直ニ其夜御代官
 赤川武兵衛殿へ惣手代衆ハ被参、明日対決
 被仰付被下候置候様、押而御願申候ニ付、
 両御奉行御窺被成候所、得之外成被仰
 様ニ而御斗候、市田伝右衛門より対決立而願
 候て、追而可申付候、今日御取込之由ニ
 被仰候て、問屋申上候ハヽ、此方より何も申
 上候ニ而ハ無御座候、十三町より伝右衛門断り申
 候段書上候ニ付、対決奉願上候、右書付
 之義ハ如何御座候哉与申上候へハ、対決
 御吟味無之上者御取用イ無之段
 被仰候、右ニ付問屋申候ハ左候ハヽ十三町
 書付をほうぼうニ而御座候哉与申上候へハ、
 御代官成程左様与被仰候、夫故何連も
 罷帰り申候、霜月朔日二日三日四日五日一向ニ御
 
  (改頁)
 
 沙汰なく、六日ニ御召出し三駅大島町平治
 片桐儀八飯島弁作三郎右衛門同道ニ而荒町評
 定所へ罷出候、両御奉行被仰渡候ハ、十三町之者共
 此節江戸表へ右願ニ罷出候段、尤右駄分荷物
 之義宿々ニ而ぬれ荷・わ連荷・こわれもの・
 くさりもの請合申候哉敷金も致候ハヽ、
 今日より荷物可差出シ段被仰渡候、三宿之者
 申上候ハ左様成宿継荷物ニ定メ無之候、
 仲馬駄賃ニ而付送り候義御裁許之
 趣ニ御斗候、其外請合申候義敷金抔と
 申義宿場ニ無御座候段申上候へハ、然上ハ
 此方も致し方無之候、江戸表窺候とも
 何連ニ成共勝手次第ニ致候様ニ被仰渡、御
 返書御渡し被成候、翌七日ニ何連も罷帰り申候
 
  (改頁)      140
 
 嶋隼人様御役人今井官蔵殿・桧山惣次郎殿・
 田中重兵衛殿
 手代衆〆四人宛名ニ而御返書出申候
一霜月五日夜本町叶屋八郎右衛門・安藤禅正様御内
 森本幸治郎与申候、駄賃帳面ニ而江戸表より
 戻り申候
一十一月三日頃十三町役人衆為其知久町勘蔵
 番匠町丈助両人口上、此間かき・竹輪之儀
 奥太馬一回ニ付不申候間、右之段御上へ願出可申候
 左様ニ答候様ニ可申参候ニ付
 右答御口上承知候、尤奉存宜被仰被下候様ニ申
 両人之衆へ咄申候ハ、五丁迄も同様之儀ニ御座候
 支配者右之此方も咄申候、御同道難儀より挨拶申候
 両人共ニ帰り申候
一四十七もニ十三宿所々評議御座候ニ付、昼四ツ時
   (改頁)
 駕籠ニ而大嶋宿迄手前罷越候而、問屋平次郎へ
 熟談申し候、五町出候荷物之分ハ付け出し、通荷物
 相談申候至終宜御座候、其夜罷帰り申候
一三宿より飯嶋御役所御添状致持参候間
 当役所へ駄分荷物出し被下候様ニ願申候ニ付
 五丁之者共如何ト御尋ニ付、申上候口上書
 
   乍恐五丁之者共以書付申上候御事
一七年以前申年馬継場与中馬
 者共与出入有之、御裁許相済
より飯田着之出荷物六百太、飯田より
諏訪之出荷物八百太、松本より飯田表
荷物六百太合出荷物千四百
太合弐千太ツヽ、壱ケ年ニ馬継場ニ而
継立可申旨、右申年被 仰付候所
 
  (改頁)      141
 
松本よりハ承知之上荷物出候得共
 当御町よりハ壱駄も不差出候ニ付、
 今般飯嶋・片桐・大嶋三ケ所寄り当
 御役所江右駄分催促之御願申
 上候ニ付、右太分荷物差出候様、当
 御役所ニ被 仰付奉畏候、右駄
 分荷物之義ハ早速差出し可申候
 拾八町之荷高五十江相掛り候処
 之駄数差出し可申候
一印鑑之義ハ右三ケ宿へ相対仕、其上
 何連共仕可申候
桜町問屋奥印之義ハ迷惑存候ニ付、三
 ケ所へ断り相立可申候通ニ御座候以上
    明和七寅年十一月
 
  (改頁)      142
 
一御請之事      一弐千太事
一糸入荷事          一
可被■方事
 
  (改頁)      143
 
            本所石原
                  辻佐源治様
            下谷和泉はし
            板倉佐渡守 斉藤斧右衛門殿
            御蔵裏ニ而
            藤本甚介様裏通り
                  飛田本蔵殿
 
  (改頁)      145
 
  裏表紙
    「
        飯田問屋
              大原安正
 
                          」