宝暦~天明期の弘前藩の財政状況

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この時期の津軽弘前藩の財政状況であるが、たとえば安永六年(一七七七)十月から翌七年九月にかけての(同藩では年貢が収納される十月から翌年の九月までを一会計年度としていた)藩の財政赤字は、米方で五万一一六六石余、金・銀方で六三一貫六一七匁(金で一万五二六両余)にも及ぶ(浅倉有子『北方史と近世社会』一九九九年 清文堂刊)。これは一年間だけのことであるから、毎年累積していくことになる。
 米方の収入は一五万九〇八一石余である(表34参照)。そのうち年貢・諸役米が七割を占めるが、家中知行米の買い入れも二割半になる。年貢収納だけでは足りずに、恒久的な家中からの米買上げによって補填されていたことがらかである。一方、支出は二一万二四七石余、費目の中で最大なのが上方への移出米で、六万五〇〇〇石、全支出の三〇・九二パーセントを占め、上方市場に立脚した経済政策がとられていた(表36参照)。ほかに江戸廻 米が二万四五〇〇石(一一・六五パーセント)、先納金を供出した加賀上方商人五人への廻米というものも一万六九一一石(八・〇四パーセント)あり、廻米関係だけで一〇万六四一一石に及ぶ。実に米方の収入の三分の二が廻米に充てられているのである。その後起こった天飢饉では、領内消費を無視したいわゆる「飢餓移出」が飢饉の要因として指摘されているが、その一端がここでもうかがえる。一方、人件費といえる藩士への蔵米渡・役知切米扶持米等は六万一〇一石(二八・五九パーセント)である。
表34 安永6年収入の部(米方)
費  目
(石)
比率
(%)
収納並小役米110,81669.66
家中知行米買上分39,49924.83
余分地米8,3115.22
小普請金代米2010.13
高岡神領米1840.12
黒石打出米680.04
合 計159,081100.00
注)ただし,斗以下は表示していない。
比率は小数第3位を四捨五入した。

表36 安永7年支出の部(米方)
費   目石高(石)比率(%)
上方への移出米65,00030.92
江戸への移出米24,50011.65
要用払米28,74713.67
三ヶ所一番値段払米1,2000.57
先納金拠出商人の(木谷藤右衛門 他5名)買受米他16,9118.04
在方1万俵之元利4,8002.28
知行蔵米渡・役知切米扶持米(閏月分含む)等60,10128.59
諸役人賄米4,0001.90
銅山木山杣飯米払米1,3200.63
浦々渡切米・浦々扶持米9660.46
庄屋被下米4520.21
貯籾代米1,2000.57
在々村位下成米手当米8390.40
御前穀物代米650.03
赤米三千俵之一割二分下減1440.07
合   計*210,247100.00
注)ただし,斗以下は表示していない。比率は小数第3位を四捨五入した。
*合計が史料の数値(209,781石)と一致しないが,計算値を掲げた。

 金方のほうは、収入が一九八五貫六八七匁(金三万三〇九四両余相当)である(表35参照)。そのうち領内での米の地払いの収入と考えられる「要用払米代」が一三〇一貫余で六五・八六パーセント、ほかに掛(たかがかり)金という田畑にかかる年貢に準じる税が約一〇パーセントで、金銀方においても、役・酒造役などの商業資本に立脚した税収よりは、基本的に米穀に立脚した収入に基盤を置いていた事情がうかがわれる。したがって、金銀方においても凶・不作および米価の低迷によって容易に収入が左右されうるものであった。支出は二六〇七貫三〇四匁(金四万三四五五両余相当)で、うち借財返済関係は青森弘前および在方の用達商人への返済など三口があり、銀換算で六六三貫五六五匁で二四・四五パーセントにも当たる。ただし、これらは国元の返済分だけで、江戸上方の返済分は不である。そもそも金銀方は、収支とも国元の費目に限った数値で計上されており、膨大な廻米の売却費、江戸藩邸費参勤交代費・上方での入用などは別会計なので、江戸大坂での具体的な収支についてはらかにしえない。
表35 安永6年収入の部(金銀方)
費  目銀 銀換算
合 計
比率
 
要用払米

1,860
貫 匁
1,189,408
貫 匁
1,301,008
%
65.86
三ケ所一番値段70,23570,2353.55
200,000200,00010.12
酒造役183,900183,9009.31
家業36,20036,2001.83
田畑掛并銀納134,028124,0286.28
田畑掛并銀納給地45,50145,5012.30
田畑掛并銀納余分地分14,81514,8150.75
合 計1,860*1,874,0871,985,687100.00
注)ただし,銀は分以下を表示していない。金1両=銀60匁として換算。
*合計が史料の数値(*は2,344貫478匁)と一致しないが,計算値を掲げた。
比率は小数第3位を四捨五入した。

表37 安永7年支出の部(金銀方)
費   目金 方銀 方銀換算合計比率
 
家中よりの買上代
両歩
 
貫 匁
901,750
貫 匁
901,750
%
34.59
青森手繰金返済元利52,32552,3252.01
在々手繰金返済元利43,67043,6701.67
用達並弘前手繰金返済元利469.1539,415567,57021.77
常用金5,000300,00011.51
切米渡(金・銀給分)1,516.245,000135,9905.22
運賃・駄賃180,000180,0006.90
延買代銀渡168,515168,5156.46
大豆買上代残金81,89281,8923.14
吉例金20012,0000.64
小納金(5月~9月分)20012,0000.64
高岡神領上納滞金838.13250,3271.03
小納より拝借金返済8773452,6542.02
家中よりの拝借金返済22113,2600.51
小普請金滞分上納318.31819,1430.73
軍用金滞分上納2004,20516,2050.62
合  計*9,840.3**2,016,8592,607,304100.00
注)ただし,銀は分以下を表示していない。
 *,**合計が史料の数値(*は13,375両,**2,017貫359匁)と一致しないが,計算値を掲げた。比率は小数第3位を四捨五入した。