第一節 注および引用・参考文献

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(1)A 山崎立朴 『永禄日記(館野越本-元和九年正月の条)』 一七七八年(安永七)

  B 中谷治宇二郎 『日本先史学序史』 岩波書店 一九三五年十二月

  C 村越潔 「永禄日記」『考古学ジャーナル』四三 一九七〇年四月

(2)菅江真澄 「栖家の山」『秋田叢書別集 菅江真澄集六』 一九三三年八月

(3)菅江真澄 「外浜奇勝」『秋田叢書別集 菅江真澄集六』 一九三三年八月

(4)菅江真澄 「新古祝甕品類之図」『菅江真澄随筆集』(東洋文庫一四三)平凡社・一九六九年七月

(5)工藤白竜(常政) 「乳井大円寺の石器」『津軽俗説後拾遺』(青森県叢書一) 一九五一年十一月

(6)滝沢馬琴等 『耽奇漫録』 吉川弘文館 上巻一九九三年十二月・下巻一九九四年二月

(7)松浦武四郎・吉田武三編 『東奥沿海日誌』(時事新書) 時事通信社・一九六九年二月

(8)平尾魯仙 「掘地獲古物・古陶」等『合浦奇談』(青森県立図書館郷土双書一) 一九六九年三月

(9)平尾魯仙 「一七 地を掘て物を得・一八 地中に希器を掘る」『谷の響』(青森県立図書館郷土双書一)一九六九年三月

(10)椎名慎太郎 『精説文化財保護法』 新日本法規出版株式会社 一九七七年八月

(11)渡辺兼庸 「古物学の底本」『考古学雑誌』六三-二 一九七七年九月

(12)A 西岡秀雄編 『大森貝塚』 中央公論美術出版 一九六七年十一月

  B 近藤義郎・佐原眞 『大森貝塚』 岩波文庫 一九八三年一月

(13)(12)Aに前掲

(14)神田孝平 「陸奥瓶岡ニテ未曾有ノ発見-津軽ノ蓑虫翁ノ手柬」『東京人類学会報告』二-一六 一八八七年六月

(15)神田孝平 「奥羽巡回報告 明治十九年九月十九日本会第二二会ニ於テ述ブ」『東京人類学会報告』二-一一 一八八七年一月

(16)下澤保躬 「石ノ鞋草ト称フル古石器」『東京人類学会報告』二-一〇 一八八六年十二月

(17)佐藤蔀 「陸奥国津軽郡花巻村ヨリ出デタル大甕」『東京人類学会雑誌』五-四五 一八八九年十一月

(18)佐藤蔀 「アイヌノ口碑ヲ駁シ并セテ本邦石器時代ノ遺物遺跡ハアイヌノ物ナルヲ論ス」『東京人類学会雑誌』五-四七 一八九〇年二月

(19)外崎覺蔵 「陸奥津軽郡湯口村古物発見」『東京人類学会雑誌』三-二七 一八八八年五月

(20)外崎覺蔵 「陸奥国津軽郡湯口村奇器を出す」巻末佐藤蔀作の挿図『東京人類学会雑誌』四-三四 一八八八年十二月

(21)A 工藤彦一郎 「陸奥ノ珠玉」『東京人類学会雑誌』四-三三 一八八八年十一月

  B 工藤祐龍 「亀ヶ岡発見ノ奇形石器」・「小形ノ石槍」『東京人類学会雑誌』九-九五 一八九四年二月

(22)廣澤安任 「アイノノ遺跡ノ事」『東京人類学会報告』二-一一 一八八七年一月

(23)佐藤蔀 「陸奥瓶ヶ岡にて獲たる土偶の図-瓦偶人之図」『東京人類学会雑誌』三-二一 一八八七年十一月

(24)坪井正五郎 「ロンドン通信-雪中遮光器-」『東京人類学会雑誌』六-六二 一八九一年五月

(25)若林勝邦 「陸奥亀岡探究記」『東洋学芸雑誌』九七 一八八九年十一月

(26)A 若林勝邦 「陸奥国上北郡貝塚貝塚調査報告」『東洋学芸雑誌』一四六 一八九三年十一月

  B 佐藤重紀 「陸奥国上北郡の貝塚」『東京人類学会雑誌』六-五九 一八九一年二月

(27)A 佐藤傳蔵 「陸奥亀ヶ岡発掘報告」『東京人類学会雑誌』一一-一一八 一八九六年一月

  B 佐藤傳蔵 「陸奥国亀ヶ岡第二回発掘報告」『東京人類学会雑誌』一一-一二四 一八九六年七月

  C 佐藤傳蔵 「陸奥国亀ヶ岡第二回発掘報告(続)」『東京人類学会雑誌』一一-一二五 一八九六年八月

  D 佐藤傳蔵 「陸奥亀ヶ岡石器時代遺跡地形地質及発見品」『東京地理学協会報告』一八-一六九 一八九六年十二月

(28)(26)Bに前掲

(29)佐藤傳蔵 「陸奥国中津軽郡紙漉村遺跡発掘報告」『東京人類学会雑誌』一一-一一九 一八九六年二月

(30)A 佐藤傳蔵 「津軽森田村遺跡」『東京人類学会雑誌』一三-一四一 一八九七年十二月

  B 佐藤傳蔵 「陸奥国床舞村発見の土偶に就て」『東京人類学会雑誌』一三-一四二 一八九八年一月

  C 佐藤傳蔵 「陸奥国床舞村発見の土偶に就て(続)」『東京人類学会雑誌』一三-一四四 一八九八年三月

(31)A 大野雲外・松村瞭 「陸奥地方旅行見聞録」『東京人類学会雑誌』一七-一八七 一九〇一年十月

  B 大野雲外 「陸奥亀ヶ岡発見の大土偶」『東京人類学会雑誌』一八-一九九 一九〇二年十月

  C 柴田常恵 「東北地方踏査概要」『東京人類学会雑誌』二一-二四三 一九〇六年六月

(32)河村末吉 「陸奥国三戸郡地方に於ける石器時代遺物に就て」『東京人類学会雑誌』一六-一七九 一九〇一年二月

(33)石田収蔵 「石器時代遺物」『東京人類学会雑誌』二五-二八六 一九一〇年一月

(34)笠井新也 「陸奥国発見の石器時代墳墓に就て」『考古学雑誌』九-二 一九一八年十月

(35)A 喜田貞吉 「石器時代墳墓に就いて」『考古学雑誌』九-三 一九一八年十一月

  B 喜田貞吉 「古代アイヌ族の墳墓」『歴史地理』三二-五 一九一八年十二月

(36)宍倉宣孝 「相内村の貝塚」『人類学雑誌』三七-一 一九二二年一月

(37)A 宍倉宣孝 「陸奥北津軽郡相内村より人骨発見」『人類学雑誌』三九-一 一九二四年一月

  B 中道等 「北津軽郡相内村ノ遺跡」『青森県史跡名勝天然記念物調査報告』一 一九二四年四月

(38)A 長谷部言人 「円筒土器文化」『人類学雑誌』四二-一 一九二七年一月

  B 山内清男 「関東北に於ける繊維土器」『史前学雑誌』一-二 一九二九年五月

(39)山内清男 「縄紋土器型式の細別と大別」『先史考古学』一-一 一九三七年一月

(40)A 大里雄吉 「陸奥国是川村中居石器時代遺跡発見の植物質遺物に就て」『歴史地理』四九-六 一九二七年六月

  B 杉山寿栄男 「石器時代木製品と編物」『人類学雑誌』四二-八 一九二七年八月

(41)喜田貞吉 「青森県是川村石器時代遺跡の一大新発見」『東北文化研究』一-五 一九二九年一月

(42)A 甲野勇 「青森県三戸郡是川村中居石器時代遺跡調査概報」『史前学雑誌』二-四 一九三〇年七月

  B Kashiwa Ohyama「Korekawa-Funde」『史前学雑誌』二-四 一九三〇年七月

(43)中村良之進 『陸奥古碑集』 陸奥史談会 一九二七年五月

(44)中村良之進 『陸奥考古』 陸奥史談会 一九二七年三月~一九三五年一月まで七冊を刊行

(45)佐々木新七 「七戸附近先住民族遺跡調査報告」『青森県史跡名勝天然記念物調査報告』三 一九二七年三月

(46)田中傳吾 「青森県の先史時代遺跡と蝦夷」『青森県師範学校 郷土号一』 一九三三年三月

(47)小岩井兼輝 「亀ヶ岡新石器時代遺跡と過去水準変化について」『日本学術協会報告』九-二 一九三四年五月

(48)喜田貞吉 「大正乙丑宇鉄遊記抄」『東北文化研究』二-五 一九三〇年十二月

(49)喜田貞吉 「青森県出土洗骨入土器」『歴史地理』六三-六 一九三四年六月

(50)江坂輝彌 「青森市久栗坂山野峠遺跡」『考古学ジャーナル』一三 一九六七年十月

(51)葛西励ほか 『山野峠遺跡(甕棺墓移転に伴う発掘調査)』 青森市教育委員会 一九八三年三月

(52)A 松本彦七郎 「宮戸島里浜及気仙郡獺沢介塚の土器-特に土器紋様論」『論集日本文化の起源』一 平凡社 一九七一年二月

  B 松本彦七郎 「陸前国宝ヶ峰遺跡の分層的小発掘成績」『人類学雑誌』三四-五 一九一九年五月

  C 松本彦七郎 「宮戸島里浜介塚の分層的発掘成績」『人類学雑誌』三四-九 一九一九年九月

(53)A (39)に前掲

  B 八幡一郎 『日本石器時代文化』同論考は、『日本民族』 岩波書店 一九三五年十月に前掲(鎌倉書房) 一九四七年十一月

  C 甲野勇 「関東地方に於ける縄紋式石器時代文化の変遷」『史前学雑誌』七-三 一九三五年五月

(54)奥田順蔵 「陸奥湾周圓の石器時代遺跡と其文化一・二」『うとう』一二・一五 一九三五年十月・一九三六年七月

(55)角田文衛 「陸奥に於ける二三の薄手式土器」『考古学評論』一-二 一九三五年十二月

(56)葛西賢造 「陸奥に於ける薄手式土器に就いて」『青森県郷土誌料集』一 一九三七年二月

(57)山内清男 「日本遠古之文化一~七」『ドルメン』一-四~七・九二-二 一九三二年六~十二月・一九三三年二月

(58)A 江上・後藤・甲野・八幡・山内 「日本石器時代の源流と下限を語る」『ミネルヴァ』一-一 一九三六年二月

  B 喜田貞吉 「日本石器時代の終末期に就いて」『ミネルヴァ』一三 一九三六年四月

  C 山内清男 「日本考古学の秩序」『ミネルヴァ』一-四 一九三六年五月

  D 喜田貞吉 「〝あばた〟も〝えくぼ〟・〝えくぼ〟も〝あばた〟-日本石器時代終末期問題-」『ミネルヴァ』一-五 一九三六年六月

  E 山内清男 「考古学の正道-喜田博士に呈す-」『ミネルヴァ』一-六 一九三六年八月

(59)角田文衛 「陸奥榎林遺跡の研究」『考古学論叢』一〇 一九三九年一月

(60)中島全二 「田名部町附近の先住民族遺跡遺物の分布」『青森県師範学校附属小学校初等教育研究会 国史研究二』 一九三四年十月

(61)直良信夫・江坂輝彌 「亀ヶ岡泥炭層遺跡出土遺物に就いて」『古代文化』一二-三 一九四一年三月

(62)白崎高保 「青森県中里村出土の条痕土器」『古代文化』一二-七 一九四一年七月

(63)白崎高保 「津軽に於ける石鏃形式の変遷」『古代文化』一三-二 一九四二年二月

(64)吉田格・直良信夫 「青森県相内村オセドウ貝塚」『古代文化』一三-二 一九四二年二月

(65)中谷治宇二郎 「東北地方石器時代調査予報」『人類学雑誌』四四-三 一九二九年三月

(66)清野謙次 「陸奥国北津軽郡相内村オセドウ貝塚」『日本貝塚の研究』 岩波書店 一九六九年九月

(67)A 江坂輝彌 「余白録 古いノートから-青森県下北半島最花貝塚の調査日誌より-」『石器時代』五 一九五八年九月

  B 江坂輝彌 「下北地方の考古学的調査回顧」『人類科学』一七 一九六五年三月

(68)福地勤 「町のあゆみ-先史時代-」『平内町史』上 一九七七年四月

(69)江坂輝彌 「縄文式文化について(講座・その一~一三)」『歴史評論』二三~三五 一九五〇年五月~一九五二年三月

(70)江坂輝彌 「一九四九年度に於ける日本考古学界の収穫」『貝塚』二四 一九五〇年五月

(71)橘善光・篠遠善彦 「青森県脇野沢村瀬野遺跡」『貝塚』二七 一九五〇年九月

(72)中島全二 「下北半島新石器文化の編年的研究」『考古学雑誌』三六-四 一九五〇年十一月

(73)江坂輝彌 「青森県下北郡東通村尻屋物見台遺跡調査報告」『考古学雑誌』三六-四 一九五〇年十一月

(74)A 清水潤三 「青森県西津軽郡亀ヶ岡遺跡」『日本考古学年報』三 一九五五年四月

  B 清水潤三ほか 『亀ヶ岡遺跡-青森県亀ヶ岡低湿地遺跡の研究-』 有隣堂出版 一九五九年六月

  C 清水潤三 「青森県東津軽郡小湊遺跡」『日本考古学年報』三 一九五五年四月

  D 清水潤三 「青森県東津軽郡宮田遺跡」『日本考古学年報』三 一九五五年四月

(75)A 清水潤三 「青森県東津軽郡宮田遺跡」『日本考古学年報』四 一九五五年十二月

  B 清水潤三 「青森県東津軽郡小湊遺跡」『日本考古学年報』四 一九五五年十二月

(76)A 江坂輝彌 「青森県八戸市白浜遺跡」『日本考古学年報』四 一九五五年十二月

  B 江坂輝彌 「青森県八戸市小船渡平遺跡」『日本考古学年報』四 一九五五年十二月

(77)江坂輝彌 「日本始原文化の起源問題」『古代学』一-二 一九五二年四月

(78)西村・井・玉口 「青森県森田村附近の遺跡調査概報」『古代』五 一九五二年四月

(79)西村正衛・桜井清彦 「青森県森田村附近の遺跡調査概報(第二次)」『古代』一〇 一九五三年七月

(80)A 日本考古学協会編 「遺跡発見・発掘届一覧」『日本考古学年報』四 一九五五年十二月

  B 文化財保護委員会 『埋蔵文化財要覧』 吉川弘文館一 一九五七年十一月

(81)杉原荘介 「青森県金木砂礫層出土の偽石器」『INQUA』七 一九五四年四月

(82)江坂輝彌 「青森県女館貝塚発掘調査報告」『石器時代』二 一九五五年十月

(83)清水潤三 「青森県青森市三内遺跡」『日本考古学年報』六 一九六三年十月

(84)西村正衛 「青森県南津軽郡五郷村細野遺跡」『日本考古学年報』六 一九六三年十月

(85)佐藤達夫・渡辺兼庸 「青森県上北郡出土の早期縄文土器」『考古学雑誌』四三-三 一九五八年二月

(86)二本柳・角鹿・佐藤 「青森県上北郡早稲田貝塚」『考古学雑誌』四三-二 一九五七年十二月

(87)今井冨士雄・成田末五郎 『青森県中津軽郡相馬村紙漉沢白山堂遺跡発掘』 弘前考古学会 一九五六年三月

(88)清水潤三 「青森県下北郡尻屋遺跡」『日本考古学年報』七 一九五八年三月

(89)江坂輝彌 「青森県下北郡ムシリB遺跡」『日本考古学年報』七 一九五八年三月

(90)江坂輝彌 「青森県三戸郡館平遺跡」『日本考古学年報』七 一九五八年三月

(91)桜井清彦 「東北地方北部における土師器と竪穴に関する諸問題」『館址』 一九五八年八月

(92)江上・関野・井 「青森県北津軽郡市浦村相内福島城址」『館址』 一九五八年八月

(93)工藤正 「青森県弥生文化稲作北限の地田舎館村-」『館城文化』一七 一九八〇年三月

(94)A 清水潤三 「青森県青森市三内遺跡」『日本考古学年報』九 一九六一年三月

  B 清水潤三 「青森県青森市三内遺跡」『日本考古学年報』一一  一九六二年三月

(95)A 江坂輝彌 「青森県八戸市赤御堂貝塚」『日本考古学年報』九 一九六一年三月

  B 江坂輝彌 「青森県三戸郡荒町遺跡」『日本考古学年報』九 一九六一年三月

(96)笹津備洋 「青森県八戸市日計遺跡」『日本考古学年報』一〇 一九六三年三月

(97)江坂輝彌 「青森県八戸市長七谷地貝塚」『日本考古学年報』一一 一九六二年三月

(98)A 音喜多富寿 「八戸市根城鹿島沢古墳群調査略報」『奥南史苑』四 一九六〇年三月

  B 清水潤三 「青森県八戸市根城古墳」『日本考古学年報』一一 一九六二年三月

(99)伊東信雄 「東北北部の弥生式土器」『文化二四』-一 一九六〇年三月

(100)江坂輝彌 「三戸郡名川町大字平小字前ノ沢出土の合口かめ棺について」『奥南史苑』四 一九六〇年三月

(101)村越潔 「湯ノ沢遺跡」『岩木山』 一九六六年三月

(102)村越潔 「薬師Ⅱ号遺跡」『岩木山』 一九六六年三月

(103)八戸市教育委員会 『丹後平古墳』(八戸市埋蔵文化財調査報告書四四) 一九九一年三月

(104)下田町教育委員会 『阿光坊遺跡発掘調査報告書』(下田町埋蔵文化財調査報告書一~三) 一九八八年三月~一九九〇年三月

(105)葛西励・高橋潤 『原遺跡発掘調査報告書』(尾上町教育委員会調査報告八) 一九八九年三月

(106)宇部則保 『殿見遺跡発掘調査報告書Ⅰ』(八戸市埋蔵文化財調査報告書四九) 一九九三年三月

(107)青森市教育委員会 『三内丸山(2)・小三内遺跡発掘調査報告書』(青森市埋蔵文化財調査報告書二三) 一九九四年三月

(108)青森県埋蔵文化財調査センター 『研究紀要』一 一九九六年三月

(109)A 三宅・岩本・山口 『大平山元Ⅰ遺跡発掘調査報告書』(青森県立郷土館調査報告五・考古) 一九七九年三月

   B 三宅・松山・山口・横山 『大平山元Ⅱ遺跡発掘調査報告書』(青森県立郷土館調査報告八・考古) 一九八〇年三月

   C 松山・山口・三宅 『大平山元Ⅲ遺跡発掘調査報告書』(青森県立郷土館調査報告一一・考古) 一九八一年三月

(110)村越潔 「大森勝山遺跡」『日本の旧石器文化』二 一九七五年五月

(111)山内清男佐藤達夫 「下北の無土器文化」『下北』 一九六七年三月

(112)青森県教育委員会 『鴨平(2)遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書七三) 一九八三年三月

(113)青森県教育委員会 『表館(1)遺跡Ⅲ』(青森県埋蔵文化財調査報告書一二〇) 一九八九年三月

(114)青森県教育委員会 『中の平遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書二五) 一九七五年三月

(115)(38)B・(39)に前掲

(116)江坂輝彌 「各地域の縄文式土器」『日本考古学講座』三 一九五六年二月

(117)今井冨士雄・磯崎正彦 「十腰内遺跡」『岩木山』 一九六六年三月

(118)橘善光 「第四章 弥生時代」『青森県考古学』 青森大学出版局 一九八三年八月

(119)A 須藤隆 「青森県大畑町二枚橋遺跡出土の土器石器について」『考古学雑誌』五六-二 一九七〇年十二月

   B 伊東信雄ほか 『瀬野遺跡』 東北考古学会 一九八二年四月

(120)岩本・天間・三宅 『宇鉄Ⅱ遺跡発掘調査報告書』(青森県立郷土館調査報告六) 一九七九年三月

(121)市川金丸・木村鉄次郎 「青森県松石橋遺跡から出土した弥生時代前期の土器」『考古学雑誌』六九-三 一九八四年三月

(122)鈴木克彦・木村鉄次郎 『名川町剣吉荒町遺跡(第二地区)発掘調査報告書』(青森県立郷土館調査報告二二) 一九八八年三月

(123)青森県教育委員会 『垂柳遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書八八) 一九八五年三月

(124)A 弘前市教育委員会 『砂沢遺跡発掘調査報告書-図版編』(同委員会) 一九八八年三月

   B 弘前市教育委員会 『砂沢遺跡発掘調査報告書-本文編』(同委員会) 一九九一年三月

(125)坂詰秀一・平山久夫 『津軽・前田野目窯跡』(五所川原市教育委員会) 一九六八年十二月

(126)A 坂詰秀一 「東北北部における須恵器の生産」『北奥古代文化』四 一九七二年四月

   B 坂詰秀一 「津軽持子沢窯跡の調査」『考古学ジャーナル』七五 一九七二年十一月

(127)村越潔・新谷武 「青森県前田野目砂田遺跡発掘調査概報」『北奥古代文化』六 一九七四年四月

(128)犬走須恵器窯跡発掘調査団・五所川原市教育委員会『五所川原市前田野目・犬走須恵器窯跡現地説明会資料』 一九九七年十月

(129)村越潔 「若山遺跡」『岩木山』 一九六六年三月

(130)青森県教育委員会 『杢沢遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書一三〇) 一九九〇年三月

(131)A 小山連一 「大平野Ⅲ号遺跡」『岩木山』 一九六六年三月

   B 成田末五郎・小山連一 「大館森山製鉄炉遺構」『岩木山』 一九六六年三月

(132)A 新谷雄蔵ほか 『五所川原市狐野製鉄遺跡(第一次)』(五所川原市教育委員会) 一九七九年三月

   B 新谷雄蔵ほか 『五所川原市狐野製鉄遺跡(第二次)』(五所川原市教育委員会) 一九八〇年三月

(133)A 板橋・小井田・滝沢・松山 『八戸市根城跡第一次調査略報』(八戸市教育委員会) 一九七五年三月

   B 八戸市教育委員会 『史跡根城跡発掘調査報告書』Ⅱ~Ⅻ(八戸市埋蔵文化財調査報告書二・四・六・一一・一二・一四・一六・一八・二五・三一・三五) 一九八〇年三月~一九九〇年三月

(134)戸沢・岡田・今井 『堀越城跡』 弘前市教育委員会ほか 一九七八年三月

(135)A 浪岡町教育委員会 『昭和五十二年度浪岡城跡発掘調査報告書』(同委員会 年度ごとに継続刊行Ⅰ~Ⅹ) 一九七八年三月~一九八九年三月

   B 浪岡町教育委員会 『史跡浪岡城跡環境整備報告書』(同委員会Ⅰ) 一九八九年三月

(136)青森県教育委員会 『石上神社遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書三五) 一九七七年三月

(137)青森県教育委員会 『碇ヶ関村古館遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書五四) 一九八〇年三月

(138)青森県教育委員会 『浜通遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書八〇) 一九八四年三月

(139)青森県教育委員会 『独狐遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書九九) 一九八六年三月

(140)青森県教育委員会 『境関館遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書一〇二) 一九八七年三月

(141)青森県教育委員会 『荼毘館遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書一一〇) 一九八八年三月

(142)青森県教育委員会 『中崎館遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書一二九) 一九九〇年三月

(143)平賀町教育委員会 『大光寺新城跡遺跡発掘調査報告書(第一次)』(平賀町埋蔵文化財報告書一八) 一九八九年三月

(144)七戸町教育委員会 『史跡七戸城跡東北出丸矢館跡』Ⅱ・Ⅲ(七戸町埋蔵文化財報告書二・三・四) 一九八八年三月~一九〇一年三月

(145)青森県教育委員会 『野脇遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書一四九) 一九九三年三月

(146)青森県立郷土館 『尻八館調査報告書』(青森県立郷土館調査報告九) 一九八一年三月

(147)桜井清彦・菊池徹夫編 『蓬田大館遺跡』 蓬田村教育委員会 一九八七年十月

(148)加藤孝 「津軽安東氏-山王坊跡-の調査」『東北学院大学東北文化研究所紀要・北方日本海文化の研究』一六 一九八四年十一月

(149)A 中里町教育委員会 『中里城跡試掘調査報告書』(中里町文化財調査報告書一) 一九八九年三月

   B 中里町教育委員会 『中里城跡Ⅰ』(中里町文化財調査報告書二) 一九九〇年三月

   C 中里町教育委員会 『中里城跡Ⅱ・平山西』(中里町文化財調査報告書三) 一九九一年三月

   D 中里町教育委員会 『中里城跡概報』(中里町文化財調査報告書四) 一九九一年三月

(150)鯵ヶ沢町教育委員会 『種里城跡(第一次)』(町文化シリーズ一一) 一九八九年三月

(151)本堂寿一 「今別町大開城の調査」『考古風土記』一 一九七六年五月

(152)A 本堂寿一 『青森県深浦町元城跡踏査報告』 一九八〇年八月

   B 本堂寿一 『西浜折曽の関-陣森・古館・大館跡の要図-』 一九八〇年八月

(153)江上・関野・井 「青森県北津軽郡市浦村相内福島城址」『館址』 一九五八年八月

(154)青森県教育委員会 『富ノ沢(2)遺跡Ⅴ発掘調査報告書』(1)~(3) (青森県埋蔵文化財調査報告書一四三) 一九九二年三月

(155)青森県教育委員会 『朝日山遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書一五二) 一九九三年三月

(156)青森県教育委員会 『三内丸山遺跡Ⅵ』(青森県埋蔵文化財調査報告書二〇五) 一九九五年三月ほか

(157)江坂・西村・笹津 「青森県三戸郡大館村蟹沢遺跡調査報告」『石器時代』五 一九五八年九月

(158)上北町教育委員会 『上北町古屋敷貝塚・Ⅱ(遺構編)』(上北町文化財調査報告書二) 一九八六年十二月

(159)(100)に前掲

(160)報告書未刊

(161)工藤正・葛西励ほか 『青森県平賀町堀合Ⅱ号遺跡発掘調査報告書』 平賀町教育委員会 一九七二年三月

(162)葛西励 『青森県平賀町唐竹地区埋蔵文化財発掘調査報告書』 平賀町教育委員会 一九七四年一月

(163)平賀町教育委員会 『堀合Ⅰ号遺跡』(平賀町埋蔵文化財報告書九) 一九八一年三月

(164)倉石村教育委員会 『薬師前遺跡-縄文時代後期集合改葬土器棺墓調査-』 倉石村埋蔵文化財調査報告書一集 一九九八年三月

(164)A 市川金丸 「三戸郡倉石村出土の縄文時代後期甕棺土器について」『青森県考古学会報』一二 一九七九年二月

   B 村越潔 「北東北の葬制」『よねしろ考古三』 一九八七年八月

(165)三宅徹也 「西津軽郡深浦町吾妻野Ⅱ遺跡の出土土器について」『青森県立郷土館調査研究年報』一 一九七六年二月

(166)葛西励・高橋潤ほか 『五輪野遺跡発掘調査報告書』(尾上町教育委員会調査報告四) 一九八三年三月

(167)(163)に前掲

(168)新谷雄蔵ほか 『餅ノ沢石棺墓発掘調査報告書』(鯵ヶ沢町文化シリーズ一〇) 一九八五年三月

(169)青森県教育委員会 『近野遺跡(Ⅲ)・三内丸山遺跡(Ⅱ)発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書三三) 一九七七年三月

(170)青森県教育委員会 『源常平遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書三九) 一九七八年三月

(171)青森県教育委員会 『上尾駮(1)遺跡C地区』(青森県埋蔵文化財調査報告書一一三) 一九八八年三月

(172)八戸市教育委員会 『是川中居遺跡地内発掘調査概要 土壙墓・赤染人骨』(同委員会) 一九七九年三月

(173)青森県教育委員会 『板子塚遺跡・熊ヶ平遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書一八〇) 一九九四年三月

(174)(158)に前掲

(175)(88)に前掲

(176)村越・渡辺・田村・磯崎 「大森勝山遺跡」『岩木山』 一九六六年三月

(177)A 葛西励・高橋潤 『青森市小牧野遺跡発掘調査報告(第一次)』 青森山田高校考古学研究会 一九九〇年三月

   B 青森市教育委員会 『小牧野遺跡発掘調査概報』(青森市埋蔵文化財調査報告書二〇) 一九九三年三月

(178)秋田県鹿角市教育委員会 『大湯環状列石周辺遺跡発掘調査報告書(1)』(鹿角市文化財調査資料二九) 一九八五年三月